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その人が何処から来たかなど、どうでもいいではないか。 どんな地位にあるか、どんな功績があったのか、どんな血筋を引いているのか、など全くどうでもいいではないか。 ただ、その人の行いを見よ。 今ここに於いて、何をするのかを見よ。 行いが正しく、羞恥があり、身と心を慎んでいるのであれば、その人は生まれがどうあれ、今から高貴な人ではないか。

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VRバイクも購入しました。



数日間 乗って慣れてから、アスタムとの二重生活を早速 始めます。


暫くは週2日間アスタムに滞在して、5日間はレイクサイド… そんなイメージでいます。

その中で感じる事を大切にしていきますが、その流れの中でアスタム移住が早まるかもしれない…

3年後には家を建てて、それから移住しようと考えていましたが、ホームステイの形で早目に移住する事もあるかもしれません。

ここのアパートは1年間、来年1月まで家賃は既に払っていて、その後は更新するのか? アスタムに移住するのか? 決める事になりそうです。

全く体験しないで決める事は出来ないので、これからの二重生活はその決断の為の時期に当たります。

来週 早々に一度アスタムを訪れ、ホームステイ先の方と相談して、日にちと金額を決めてきます。
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今日はニルマリポカリにやって来ました。

震災後 観光客が戻ってくるまで、どれくらいの時間が必要なのだろうか? と毎日 考えますが、2年!!は観光業による収入が殆どない状況が続く事を想定しています。

果たしてどれだけの会社が絶えられるのか?分かりませんが、ジタバタしないで観光業は暫くは諦める事が必要です。

2年後に自分の貯金が底を着いているかも知れませんが、その時に新たな別の生き方が備わっていたのなら、そこからは観光業とネパール人を相手にしたビジネス、両輪が備わっている事になるので、そこからまた少しずつ必要なお金を貯めていけたらいい....

この2年間でその片輪を造っていきます。その為に必要なお金は使っていきます。

お金がないなら、ないなりの生活が出来るところがネパール。

その生き方の幅が日本よりもあります。



ニルマリポカリ(フォクシン一帯)に出来た初のホテル。

今はお客さんがいないので閉まっていましたが、乾季にはヒマラヤとポカラの街が一望できます。



ニルマリポカリにやって来た理由は、12月にはオープン前だったホテルがどうなっているのか?を知る為と、日本のNGOが始めたコーヒー プロジェクトがここにある事を聞いたからでした。

ここで6軒ほどがコーヒーの栽培をしているそうですが、上の写真のインドラ アディカリさんのコーヒー栽培を見せてもらいました。



先ず見せてもらったのがナーサリー。コーヒーの苗を育てている場所でした。


ビニールの屋根の下に、容器に入ったコーヒーの苗が5000個。

豆を植えてから約3ヶ月でこの状態です。

何故ビニール屋根なのか?は聞きませんでしたが、雨の季節に種を撒くので、雨に降られて腐ってしまわないように.... だと思います。

コーヒーの木は直射日光が苦手なので、多少はそれもあるのかな....


育ったコーヒーの木には沢山の実がなっていました。


しかしベグナスのコーヒー農園とは違い、上に直射日光を遮る木もなく、日光にさらされ続けているコーヒーの木も目立ちました。


コーヒーの実がかなりびっしりと生っていました。

ラトナ コーヒーの矢作さんからは、村人は早く大きくなる木を知っているので、林がない場所にはその木を先ず植えて、その下にコーヒーの苗を植える事を勧めてくれました。

基本は直射日光を遮る事が必要みたいですが、ここは大きくなったコーヒーの木が遮られる事なく生えている場所もあり、直射日光その違いでどれ程の影響が出るのだろうか?


今日の収穫は、コーヒーの苗の作り方を見る事ができた点でした。



奥さんはハバネロの収穫中....

そしてもうひとつ。ここでは自分も興味を持っている唐辛子 ハバネロの栽培をやっていました。


今年から始めたハバネロの栽培。

熱帯が原産地のハバネロは、暑いシーズンに栽培します。

今が収穫のピークで、毎日 次々と生って収穫できるそうです。


ハバネロ、今日の収穫。

これはポカラに持って行き、ポカラの外れでニルマリポカリから一番近いマーケット、ビロウタ チョークで販売されています。

ニルマリポカリには、もっと多くのハバネロの栽培をしている農家があるようです。


こちらは小さくて売り物にはならないハバネロを乾燥させ、自分達で香辛料にして使うそうです。

そして、隣には大きく熟したハバネロが保管されていて、その中の種を乾燥させて、来年の種まきにそれを使います。



新しい水道メーター。

丘の上、山の上にある村の悩みは水不足です。

これはどこの村も大体同じで、先日訪れたベグナスの農園もそうだし、パラグライダーで上がるサランコットも同じです。

果たしてアスタムはどうだろうか? 浄水システムが出来ていて、井戸水もあった記憶があります。


この水道メーターはどれだけ使ったを調べるものですが、都会と違う点は、使った量が多いと地域の人々からクレームが付くところ。

沢山使うことは即ち、他の地域の人達の使える水が減るということになります。


因みに、ここは朝の7時~8時までしか水が出ません。



最後にチャパティとイスクスのカレーを頂いて帰りました。


ニルマリポカリにはFUKUOKA(福岡)という、日本人の寄付で建てられた学校があります。

しかしここもセカンダリー18歳までの学校で、ポカラのような街では18歳で勉学を終える人は少なく、それから高校や大学に進みます。なので、若い人は皆 街に出て行きます。


30歳近くまで学校に通う人は多く、学歴社会。それは即ち、学歴がないと仕事に就けない、又は全く仕事がない事を意味します。

中東に出稼ぎに行くか、先進国に留学し働くか、ネパールで自営業をするのか、限られた仕事に雇われるのか.... 選択はそれしかない状況です。



12月 ニルマリポカリの丘。ポカラの街は雲海の下....


今 自分の頭にあるコーヒーとハバネロの栽培が、ここニルマリポカリでは始められていました。

しかし、今日の農家の収入源の柱は鶏の飼育で、コーヒーもハバネロも試行錯誤の途中でした。

今日話していて心に残った言葉は、「村にはシンプルな生活がある。自給自足+鶏や農産物の販売で得たお金での生活。何故 皆は街に出て行き、お金が掛かかり安らぎを得られない、同じ様な生活をしているのか?」

ポカラという大きな街が下界にあり、バイクを飛ばせば20分で行ける距離にある。

その20分上がった天空で、下界を見渡した素直な感想だと思う。


レイクサイドからバイクで約50分。その距離はアスタムとは変わらない。

ただ、オフロードを走る距離が長く、この古いバイクが壊れないか?と不安になった....

山道はアスタムの2倍 走ることになる。


ニルマリポカリも移住の候補地だが、産業であったり、可能性を考えると、ヒマラヤにより近いアスタムの方が魅力的に感じる。

ここはポカラとヒマラヤ全体が俯瞰で見渡せる環境であり、コーヒーやハバネロなどの繫がりもあり、産業の在り方として訪れて話を聞く場所だと感じました。


会社その五は「Astam Kurusani farm」アスタム クルサニ(唐辛子)農園

ハバネロを含む、世界の色々な唐辛子を栽培したい。

ニルマリポカリのハバネロはポカラの南のマーケットには出荷しているが、中央や北に位置するマーケットには出ていない。

アスタムはポカラの北に位置するので、ターゲットは北のミランチョーク、中央のマヘンドラプル、プリティビチョークになる。


コーヒーの種は矢作さんから貰える。そして、アスタム ホームステイと共に植え付けが始められる。

ハバネロはシーズンが終わるので、来年の春まで待って苗付けを始めることになる。

だから、今のうちに種を分けてもらって保管しておく必要がある。

また近々ニルマリポカリを訪れて、事情を話しハバネロの種を分けてもらう事にします。



PS. 明日は村と村を行き交うために必要な私の足、VR バイクの納車予定です。



今日もラトナ コーヒーに出向いて、オーナーに会って話をする事が出来ました。

ここは倉庫として使っていましたが、コーヒーを飲みたいとの要望もあり、カフェも始めたそうです。

だからツーリストの来ないマレパタンにカフェがある訳です。

しかし、静かな場所の方が、常連さんが好みそうな場所だと感じました。



以前はホット コーヒーとアイス コーヒーだけでしたが、今日からリニューアルしてパンケーキの販売も始めました。


オーナーの矢作さん。

この袋には、アディカリ村で3月に採れたコーヒー豆20kgが入っています。

しかし、80kgの豆を選別して形と色の悪いものを取り除いたら、80kgが50kgに。50kgが20kgになったそうです。

そして、この袋はより生鮮品を長持ちさせる為の特殊な袋で、この厳選された豆で日本のオーナーの信頼を得たいようでした。

ポイントは、普通のものを安く売っても、大量生産している海外のものには値段で適わないので、厳選されたものを少量でもいいから評価される事が重要だ... と話していました。


この豆は日本で売ると1kg750円+輸送量となり、1kg500円ほどで販売されている海外産のものの2倍の値段になります。

それでも買ってもらえるものを作る事が必要で、普通のものを輸出しても勝ち目はない。

希少価値とそれに伴う品質が必要になってきます。



これはYeti レストランで使っているコーヒーで、マチャプチュレ オーガニック コーヒーです。

矢作さんのラトナは、マチャプチュレ プレミアム コーヒーですが、この上のコーヒーには生産地は書かれていませんが、標高が1350mと矢作さんの所と全く同じだし、製造が同じパレパタンになっているので、もしかしたら....

この上のコーヒーは安く、豆の形や色が悪いものを粉にして、ネパール使用で安く販売しているのかもしれない?

そして、選別されたものをプレミアムコーヒーとして、値段は上がるけれど日本に輸出していて、二分化しているのかもしれない?

また聞いてみますが、品質の劣るものでも粉にしてしまえば素人には味も分からないので、形の欠けたものをあえて粉にして販売している業者もある.... とおっしゃっていたので、希少価値を目指す矢作さんとは相反するので、別のものかもしれません。


Yeti で使っているマチャプチュレ オーガニックを濾さないで飲んでみました。

豆を細かくは挽いてありますが、インスタントではないので樹脂があり、濾さないと口に残ってしまうので、入れ方がポイントになってきます。


Yeti ではこの直火式のモカ エキスプレスを使っています。


一番下には水を入れます。


真ん中に挽いたコーヒー豆を入れます。


そして、蓋をして火に掛ければ、下の水が沸騰し、真ん中の豆を湯が通り、濾されたコーヒーがこの上に溜まります。

ペーパードリップではないので、コーヒーの油分も混じったまろやかでコクのあるコーヒーになります。


下から次の小さな芽が発芽しています....



矢作さんとの会話の中で、コーヒーの木は苗を植えるよりも、直接 豆を植える方が楽だと言われました。

現にお店でもコーヒーの木から落ちた豆が発芽し、苗になっていました。

コーヒー栽培にはコーヒーの苗が成長し木となって、最低でも3年後にしか豆の収穫は出来ません。

先ずは苗にしないといけないし、それから適正な場所に移して木を育てないといけないので、10月からアスタムとの二重生活の中で早速 話をして、場所を借りて、豆を撒きます。

お金を全くかけないでスタート出来ます。

最初から大きくは出来ないので、少しずつ年月を掛けて、10年後にはアスタムの産業のひとつとなっていれば....

自分はコーヒーも色々な事をやるひとつだと考えているし、将来的に可能であれば農園として村人の副収入になればと考えています。


矢作さんは希少価値の豆を日本に輸出して、日本を主に考えているようですが、自分は日本ではなくネパールでの消費を考えています。
ただ、コンビを組んでやるような事があれば変わっていきますが....

ネパールを主に考えた場合、必要な事はネパール人にコーヒーを飲んでもらう事で、その為の工夫(例えば味、値段、創作)もしていかなければいけない。

何故ネパール人はコーヒーではなくお茶を飲むのか?

そのひとつに値段がお茶よりもかなり高い事と、甘党のネパール人には苦さを美味しいとは感じない事があるようです。


そして、これは会社その四になりますが、何処かに自家製の豆を使ったカフェを開きたい。

今の時点で可能なのは、Yeti の屋上に「Yeti Cafe」をオープンさせる事。

Yeti なら敷地もいらないし、家賃を払う必要もない。

会社その四は「Yeti Cafe」です。 ただ、レイクサイドなので違う場所、例えばローカルサイドのマヘンドラプルとかプリティビチョークだとか.... いずれ場所は考える事になります。

*コトーマ(盲点)を外す為には、色々と思いついた事を始めていって壁にぶつからないと、見えていない世界を見る事は出来ないので、今は現実 不可能な事でもどんどん思い描いていきます!




傘を差した兄妹。


約5ヶ月続いたモンスーンも、終わりに近づいています。

夜の長雨もなくなり、夕方に1~2時間 降る程度になりました。

天気予報も雨マークは少なくなり、日中は太陽が降り注いでいます。

乾季の到来まで、あと2週間ほどでしょうか....


今日は朝から、ベグナスにあるコーヒー農園に行ってきました。

ポカラから15km離れたベグナスから山道を走ること約30分、標高1100mの山の中にベグナス コーヒー農園がありました。

農園といっても、日本のような農園をイメージしないで下さい.... 

コーヒー農園を見たのは初めてですが、鬱蒼とした林の中に隠れるようにしてコーヒーの木々が生えていました。



A Model Sustanable Agriculture Farm(持続できる農園の手本)

この農園は「持続できる農園の形」として援助によって作られたようで、以前 アスタムにある「はなのいえ」のスタッフも視察に訪れたようです。

以前は野菜の栽培や養蜂などもやっていたようですが、今ではコーヒー栽培がメインで、少しの薬草栽培をしています。

今後はキウイ フルーツの栽培を始めるそうです。


コーヒー細断センター ロイヤル エベレスト 製粉所 ベグナス。

収穫時にはここでコーヒー豆の選別、乾燥、皮むきを、機械を持ち込んでやるそうです。



オーナーのスルヤ アディカリさん65歳にお話を伺いました。

30年前にスルヤさんがグルミ郡で働いていた時にコーヒーの木に出会い、地元のベグナスに持ち帰ったのが始まりだそうです。

当時は価値が余りなく、乾燥させる前のコーヒーチェリーが1kg15円程だったのが、今では1kg750円まで高騰。乾燥させグリーンビーンズの状態ではその何倍もの値段になるそうです。

収穫の時期は11月~3月までの5ヶ月間で、収穫が忙しい時期には村人10人ほど、それと海外から来るボランティアの人達で作業をするそうです。

ボランティアの人達は数日間の短期から、5ヶ月間の長期まで、この村に泊り込みで作業をするそうです。

今ではコーヒーの木も300本を超え、収穫量も1トンになるそうです。

コーヒー豆 収穫前の今は普通の村の生活で、牛とヤギが食べる草刈に出掛け、田植えの終わった田んぼの管理が日常。

ここでも空き家が増え、街に出て行く村人も多いとのこと。

そこに外国人が入り、農業ビジネスをしている外国人もポカラに何ヶ所かあるそうです。



スルヤさんの後に付き、林の中に入って行きました。

コーヒーの実は直射日光に弱い為、ネパールのコーヒー栽培のほとんどは鬱蒼とした林の中に、コーヒーの木が隠れて生っています。


濃い緑の葉がコーヒーの木。


枝にコーヒーの実が生っています。


まだ緑色ですが、これが赤くなる2ヵ月後には収穫の時期を迎えます。


この辺りに植えて4ヶ月ほどの苗が沢山あります。


今日のベグナスの森で聞いた音です。

最初はこの音が何なのか?分からなかった....

初めて聞いた虫の音色でした。




ここの村とアスタム村では随分と環境の違いを感じました。

先ずは林が鬱蒼としている場所がアスタムには少ない.... そんな印象で、果たしてアスタムがコーヒー栽培に適した場所なのか? それはアスタムで生活しながら、ラトナ コーヒーの日本人オーナーの話も聞きながら、地形を観察しながら.... 

あと、ポカラ近郊でも他にアディカリ村、ダンプス村、ニルマリポカリ村にもコーヒー農園があるので、見に行ってくる事は必要です。

このベグナス コーヒーのオーナーがコーヒーの苗を仕入れたグルミ郡は、ネパールで最初にコーヒー栽培が始まった場所なので、そこの視察も必要だし、テレビで紹介された池島さんのいるサンジャも盛んなので、そこに行って話も聞いてみたい。

先ずはポカラ近郊の農園を視察しながら、アスタムでの栽培が可能なのか?を判断して、それから.....

会社その三は「Astam Coffee Project」(アスタム コーヒー プロジェクト)になります。





何だこれは? 小学校の前にあったボード。

バングラディッシュ、インド、ネパールで雨水 地域の小さな農業システムに補強を加えた気候変化に対応できる強度のある建物?

何かの援助か?それとも無駄使い?



必ず丘の山頂には、どこの村にもヒンズー教のお寺があります。


そして、山奥にも小さな集落が必ずあります。


帰り道。向こうに見えるのがベグナス湖です。

そして、農作業をする村人。

私達がいつも住んでいる場所にあるフェワ湖は、雨の季節になると湖の色が茶色く濁ってしまいますが、ベグナス湖は美しいままでした。



ホンダ XC100でのドライブも随分と慣れました。

今週中には新しいバイク VR150 が納車なので、XC100、VR150、Yeti のPulsar180 と乗り比べが出来そうです。




帰ってから仕事が入り、1本。

まあ、色々と書きたい事はあるけれど....


うちの会社は3年が間もなく経ちますが、1人としてパイロットが他の会社に移った事はありません。

他の会社はパイロットの移動が結構ありますが、それは当然 不満があるから。

うちは自分とオーナー兼パイロットのクリシュナが気を使っているので、気難しい人や重いお客さんは自分達で飛ぶ事がほとんど。

経験上 お客さんを見れば察しがつくし、ポイントとなるお客さんは分かるので、そこを押さえて飛んでいます。

写真も気難しく渋っている人は子供だけの分は買うけど、自分達は買わないだろう.... とか分かるけれど、自分やクリシュナが子供と飛ぶ事は少ない。(自分が誰と飛ぶかは決めています)

本当は写真を買ってくれる子供と飛びたいけれど....

それを他のパイロットも分かっているので、誰も文句を言わないし、不満で他の会社に移る事もしない。

本音は気難しい人とは飛びたくないし、軽い人と飛びたいし、写真も買って欲しいけれど.... 自分達の行為を皆が知っているし、技術なんかよりも人格を求めて飛んでいるので!

でも、この仕事がない中 1本飛んで収入2500円が3回も続くと.....

自分は半分 日本人、半分ネパール人なので、99%ネパール人 パイロットしかいない環境は半分アウェーで飛んでいる感じも正直あります。


しかし、ここで生きているのだからこれが普通だし、44歳.... ここで飛び始めた頃と比べて、随分と穏やかになりました。




今日はバイクをオーダーしにナヤバザールまで行きました。

前回は品揃えが無かったので、今回も欲しいカラーが無ければ注文し、あれば前金を払って次回 買う事に....

欲しいVR150ブラックが入荷していたので、その中でも車高が高い方を買う事にしました。

自分は178cmあるので大丈夫ですが、背の低い人は足が届かないので、乗れないオフロード兼用バイク。

値段は366.600円。

仕事がない中での高価な買い物は正直 痛いですが、アスタムに住む為にはどうしても必要なので買う事に決めました。

数日内にはお金を下ろして買う事になるので、10月からのアスタムとの二重生活は少し早まるかも?しれません。


Yeti のビシャールもケシャブも175cmあるので、このバイクに乗ることが出来ます。

自分のバイクですが、家族同然であるYeti との共用も出来、彼等のオンロード用バイク パルサーを自分が借りて、遠出をする事も出来るので、値段は高いけれどオフロードバイクを買ったそれも理由のひとつです。

メンテナンスや部品交換もネパール人である彼等の方が騙されないだろうし、知っているので、何かあった時には一人でバイクを所有するよりも安心かな。



プリティビチョークにあるマーケット。

ここは初めて訪れましたが、以前は路上販売が可能でしたが今は出来ないので、少し奥に入った一角の広場がマーケットとなっています。

野菜や果物を10kg程 買いましたが、使ったお金は600円ほど....

レイクサイドよりもかなり安いので、今度からはバイクでここに来て買おうかな....

月2000円で一角を借りて皆 売っていますが、路上販売が出来なくなってからポカラでは2ヵ所この様な大きなマーケットが出来ました。

今は特に観光客がいない状況なので、より一層 ローカルビジネスに興味がある....

レイクサイドで皆 指をくわえて座っている姿を見ると、よりローカルサイドに光を感じます。


そこは全く英語の通じない、ツーリストのいない、楽しい空間でした。



自分の誕生日は9月8日ですが、同じ時期に2度やるのは面倒なので、毎年ビシャールの誕生日9月6日に合わせて、2人分の誕生日会をやっています。

44歳にもなって誕生日会は必要ない気もしますが....

年々 少し照れくさい感じになってます。



次女 ムナの息子 リスキン。

最近やっと自分にも慣れたようで、顔を見て泣かなくなりましたが、1歳でも子供によって性格がかなり違いますね!


これが私の仕事だと言う事を、少し忘れかけていた.....

何故だか? 今シーズン初の1日3本が今日やってきた。


実は既に、ベグナスへコーヒー農園 視察に出掛ける準備をして、アパートを朝8時過ぎに出掛けようとしていた。

仕事があるとは思わなかったので.....

ちょうどそのタイミングでお客さんが入り、予定を変更した。

もう30分ブッキングが遅ければ、今日はベグナスへ出掛けて不在だった。


昨日はパラグライディングのオーナーミーティングがあったそうだが、うちのオーナーが以前からミーティング後にはお客さんが入る.... と言っていた。

新たな会社が違法な料金で営業している.... ミーティング後は厳しくなり、それが出来なくなる.... と言わんばかりだった。

確かに古い会社よりも、新しい会社の方がお客さんが多かった。

営業停止など、厳しい罰則があるようだが.... 以前も同じように厳しくなり、時間と共に緩くなり ..... を繰り返している。


いつ以来だろうか? 3本飛んで、3本共に写真が売れたのは....

4月24日。ネパール地震の前日 以来だ。





















特にツーリストが増えた訳でもなく、運よくタイミングよく3本飛べた。

120人いるパイロットの中で、 今日3本飛んだのは私、たった1人。

こんな日もある。


もう8日目.... パラグライダーをやっていたのが、遠い昔のようにすら感じるこの頃。

地震後 今が最もツーリストが少ない気がする。

明日 仕事あるの? と聞く事すら、無意味な感じがする。

今までの写真代で貯めていたタンス預金もほとんどなくなり、貯金を切り崩しながらの生活が始まりそうだ。


この写真の1杯はオフィス隣にあるBeans cafe のものだが、You tube で色々と見ていると、コーヒーの味は豆もさることながら、その入れ方で決まりそうだ。

ネルドリップ、ペーパードリップ、プレス.... とあるようだが、ここのコーヒーは機械での水蒸気を利用した圧縮方式のようで、豆を挽いてから短時間でコーヒーが入る。

最後に細かい泡のようなものが上に出来、見た目も美味しそうだ。



挽いた豆を容器にいれ、上からしっかりと押して固める。


それを機械に取り付け、レバーを引けば水蒸気のようなもので圧縮され、その下からコーヒーが出てくる。

使っている豆は Himalaya Highland Beans で、各生産地から選りすぐられた豆だけを使っていて、この辺りで扱っている豆の中で最も高価なもの.... との事。


午後には最近 毎日行っている、マレパタンにあるラトナ コーヒーへ。

今日はコーヒーの実を天日干ししていました。


ネパールのコーヒーは基本、果肉を取り除かずに、自然のまま干しています。

完全に乾燥したら、その外側を取り除いて、更にその中にある皮を剥いて、グリーン ビーンズへ。

それを焙煎したものが、お馴染みの茶色いコーヒー豆になります。



戸棚には日本から取り寄せたコーヒー ミルやドリッパー、サーバー、スタンドなどが置いてあります。

もちろん市販品で、一番高いコーヒー ミルで8500円ほど。


これが8500円のミルで、上のつまみで挽く荒さを調整できます。

この店でもこのミルで挽いて、コーヒーを入れてくれます。

ここはペーパー ドリップですが、確かにペーパーだとコーヒーの油分が取り除かれ、すっきりとした味わいになります。

市販のドリップ コーヒーもペーパーなので、油分の取れたすっきりした味に。

布のネルやフレンチプレスなどは油分も抽出され、より円やかな味になります。



オーナーに会いたくて毎日 来ているのだが、うまく時間が噛み合わない.....

今日は自分が行く少し前に、店を後にしていた。

名詞の電話番号が古く、繫がらなかったので、今日はスタッフから新しい番号を聞いた。

今度は電話してから出向こう。





ヒマラヤン キウイ のステッカー。

ネパールでキウイを食べた事はないのだが、見た事はある。

それは、アスタムにある「はなのいえ」での栽培だった。

このステッカー のキウイは標高2473mのエベレスト方面のものだが、ネパールでキウイ....

ネパール人は食べるのだろうか?

しかし、はなのいえで実際に栽培していた。

果物屋でも、レストランでも、見た事はないのだが、何処に出荷しているのだろうか?

アスタムで調べてみよう。



この写真を見ても、バイクが如何に身近なものなのかが分かる。


明日も時間しかないので、バイクでベグナスにあるコーヒー農園を見学に行ってきます。

本当はラトナ コーヒーの生産地であるアディカリ村に行きたいけれど、あのバイクでは行けない....

ベグナス農園は古いバイクでも行ける場所なそうなので、雨が降っていなければ朝から出掛けてきます。


フレーバー チャンネル。

こんなものを見つけて、今日は見ていた....

長いので、時間がないととても見ていられないけれど。
会社その一 < Astam paragliding fund project >(アスタム パラグライディング基金 プロジェクト)


 理念:パラグライダーを通して、アスタムの発展に寄与する。

 理想:アスタム発展への寄付を目的としたパラグライディング。
    
ヒマラヤが見える景色の良い日に、アスタムを訪れて発展の為に寄付をしてくださるお客さん、1日2組限定のフライト。
    
寄付の全てはアスタムの発展の為に利用され、寄付の金額=フライト料金(5000RSが目安)となる。    
利益を目的としたビジネスではなく、アスタム発展の寄付を頂く為のフライト。 その他:アスタム村の人々とのフライト。 会社その二 < Astam paragliding company >(アスタム パラグライディング会社) 条件:国際空港建設によるサランコットからのフライトが禁止された場合、ここをビジネスの場所として提供する。 理想:アスタムの共同オーナーによる、アスタム パラグライディング会社を造り、一社のみの独占 経営でパラグライダーの価値、品質の低下を防ぐ。 先ずやる事:地主の承諾を得て、稲刈りが終わりランディングスペースが確保できる11月に、1人で実際に何度か飛んでみて、場所的に適しているのかどうか?を判断する。 その後、適しているのであれば、実際にタンデムでテストフライトを重ね、3年後 アスタムに移住した後に寄付を目的としたプロジェクトを始めたい。 *これはスタートする為の素案で、どんどん変化しながら繫がりながら、色々な局面に直面しながら、形のあるものにしていく為の第一歩です。

今シーズン ワーストの1週間 仕事なし....

というか、全くツーリストがいないので、暫く収入は途絶えそうです。

そんな時は、このビデオのような捕らえ方、考え方が必要になってくる。

観光客がいなければ生活していけない自分の現状が悪いのであって、お客さんがいない事を愚痴っても仕方がない。

新しい事をしていかなければ、生きていけない状況はチャンスだ!!



今朝はベグナス、ルパ湖まで出掛けた。

ベグナスにあるコーヒー農園を見たかったが、ここから歩いて1時間 掛かると言われたので、またの機会に来る事にした。

途中の坂での坂道発進の練習。帰りは雨が降り、雨の中での走行も経験できた。

帰りは通勤で込む街も経験できたし、これで早朝のバイク練習は終わりにします。

明日からは、普通に日中でもバイクに乗れる。


往復40kmのドライブ。



コーヒー豆が出来るまで


このコーヒーの木で3ヶ月ほど。

コーヒー豆の収穫には3年必要で、4~5年で多くの実を付けるようになります。


手間と経験が必要だけれど、これで焙煎出来るんだ....


お客さんの目の前でドリップしたなら、より美味しさを感じられそうだ。




唐辛子のお漬物。

先ずは天日で乾燥させて、それからターメリックとオイル、塩などで漬けます。

お漬物といってもちょっと違い、漬けるというよりも混ぜ合わせて寝かせる感じです。



多分ネパールでよく見る唐辛子はこのスピノーザ。

緑のうちに食べますが、保存用に乾燥させるのは赤くなってからのもの。

辛いです!


辛いことで知られる唐辛子 ハバネロ。

ネパールでも採れて、1つ5円と高価なもの。

痺れる辛さです!!


日本の唐辛子と言えばタカノツメ

上に向かって生えているんだ....



自分はネパールに住むようになり、唐辛子がなくては生きていけない身体になりました。

以前も好きでしたが、とにかく汗が長時間止まらない体質だったので、それが嫌で余り食べませんでした。

しかし、年齢と共に運動量が減り、それに伴って発汗体質も収まり、辛いものを食べても以前 程に汗をかかなくなりました。

青唐辛子に赤唐辛子、毎食2~3本は食べています。


ハバネロは胃腸によく、便秘にもならない唐辛子。

希少性もあり高価ですが、栽培も可能だと思うし、唐辛子はネパール料理には欠かせないものだから、ハバネロ栽培はどうか? も考えています。


特に産業のないネパールは、国を挙げてコーヒー産業に力を入れ始めている.... と聞く。

これは主なコーヒー生産国のコーヒー豆だが、ここにネパール産のコーヒー豆が掲載される日が来るのだろうか?



今朝はアスタムの入り口であるミランチョークまでバイクで行ったが、時間にして20分強だった。

ここから山道に入り、アスタム村までバイクで多分20分位だろうから、レイクサイドからアスタムまでバイクなら45分程で行けそうだ。

先ずは週に2~3日アスタムにホームステイをしながら、レイクサイドとの2重生活を考えているのだが....

仕事がほぼない状況のなかで収入も少なく、往復のガソリン代200円とホームステイ1泊500円の1日700円。月に10日間 滞在ならば7000円 余計に掛かってしまう事は痛い。

しかし、将来アスタムに住むのならば、交通費だけで年間7万円 余計に掛かる計算になるし、村に住みながらに仕事をしていく事とはそういうことだと割り切るしかない。

アスタムにホームステイした日には、1日700円の将来に繋がる別の価値をそこで見出せばいい。



暇なので、今日もラトナ コーヒーのお店に行った。そこにあった竹細工のソファーとテーブル。

最近 竹で出来ている物に目が行く....


あいにく日本人のオーナーは不在だったが、この2階にNGOでボランティアに来ている日本人夫婦が住んでいる事を知った。

1年間ポカラに住む予定だそうだが、明日からストライキ状態のタライに向かうという....

昨日は警察との衝突で、タライのビールガンジで5人が亡くなっている。

ここのオーナーの日本人も、カトマンズからポカラの道中でストライキがあり、4時間 通行止めにあった様だ。



ゴミ収集車がやって来た...

ネパールではゴミの分別は燃えるものと燃えないもの位で、生ゴミも一緒に燃えるゴミとして出している。

うちのアパートでは、ペットボトルだけは何故か分けている。


今日もお昼はYeti で食べた。

今日はナスとゴーヤ、ヘチマのカレーと、キュウリとトマトのサラダ。豆のスープは定番で、ご飯にかけて食べます。
あと、ヨーグルトを入れた水「モイ」は夏によく飲みます。




時間もある事だし、この際に自由に多くの会社を立ち上げよう!と考えている。

別にそれが本当の会社である必要はなく、とにかく出来そうな事を最低10個はイメージしてみたい。つまり、仮の10会社。

最初にイメージした事がその通りにいく必要は全くなく、そこから繋がって別の方向に行っても構わない。

しかし、その初めがない事には繫がりようも、行きようもないので、見切り発車でコロコロと変わりながら、何かを造り始めたい。

会社は紙とペンひとつで立ち上げる事は出来る。

それを会社と呼ぶのかは別にして、いろんな事を始めてしまうことが大切だ。

別に今、それにお金を掛ける必要も時期でもないし.... 時期が来て、決断してから。


今はアスタムとの2重生活で、アスタムを知る事にお金を使うくらいだ。






ここのところ素晴らしい天気が日中 続いているが、夕方から夜に掛けの雨は凄い....

昨夜は8時間ほど、断続的に多くの雨が降り続いた。

どこかで土砂崩れが起こる危険性もある。


8月も終わった。

地震後は毎月6万ほどの収入しかないが、レイクサイドのツーリストは更に減った印象があるので、暫くはほとんど仕事はないだろう.....


この7月、8月とここ3年 最も多くの中国人がやって来た時期だったので、中国人の動向に注目していたのだが、全くネパールに来なかったね!

欧米人は例年とさほど変わらなくて、ちょくちょく見かける。

中国人が来る以前は、7月、8月はベスト オフシーズンで、多少の欧米人が訪れるだけだった。

なので、パラグライダーの会社も営業していたのは3つだけだった。

今はそれと同じ状況なので、3つあれば充分な状況だ。そこに40も会社が営業していたら、仕事がある訳がない。(ちなみに今日は全体で30~40人程のお客さん。うちのお客さんは1人でパイロットは6人いる。これでは仕事が回ってこない...)


中国人は団体行動をする国民性だから、欧米人のように地震後も変わりなく単体で、その国を訪れるような事はしない.... それが分かりました。

もっと好奇心旺盛な国民性か... と思っていたので、はっきり言って少しがっかりした。


レイクサイドの皆は10月からの本来のツーリストシーズンに期待しているが、欧米からだけのツーリストだけでは、そこまでの期待は出来ない。

さすがのネパール人もこの季節にツーリストが少なければ、悲観的になり得るかもしれない....

なのに皆が同じ事やっているから、ホテル、レストラン、ガイド、パラグライダー.... どうするんだろうね???

答えはシンプルで、皆がやっていない事をやれば生き残れる!それだけだ。



Yeti での昼食はもちろんローカル ダルバート(家族同然なので0円)。

今日はヘチマとジャガイモのカレーと、タケノコのお漬物、目玉焼きだった。


仕事がないので富士山にはたまにしか出向かないが、昨日は久しぶりに行って蒲焼丼(380円)を食べた。



今日は朝バイクの練習をして、お昼にYeti でお昼を食べて、午後はマレパタンにあるラトナ コーヒーに行って来た。

今日辺りにオーナーの日本人が日本から戻って来る予定だったし、コーヒーが切れたので買いに行って、オーナーが来ていれば色々とお話が出来れば..... 


お店で働いている女性にコーヒーのサンプルを見せてもらった。

これは初期の段階で、天日で乾燥させた身の付いたコーヒー豆。


右が身を取り除いたコーヒー豆で、その次が左で皮を取り除いたコーヒー豆。


それを専用の機械で焙煎すると、見た事のある香ばしいコーヒー豆になります。

これをコーヒーミルで粉にして、フィルターで濾してお湯を注げばコーヒーになります。


コーヒーミルと焙煎機。


ラトナ コーヒー「マチャプチュレ プレミアム」


スタッフの女性がその場でコーヒーミルで豆を挽き、コーヒーを入れてくれます。


オーナーの日本人Yahagiさんと監督責任者クリシュナ。


スタッフの女性と話していると、日本人オーナーがやって来ました。

昨日ポカラに到着したようで、スタッフとも3ヶ月ぶりの再会のようです。

色々と話したい事があったので、質問攻めにはならないようにしながら、聞きたい事を幾つか....

自分がアスタムに、何か産業となるものを作りたい事も。


同じことをただ単にやっても駄目なので、違った目的の中でのコーヒー産業。話をしていく中で可能であるのならば、やるかも知れない....

先ずはアスタムをしっかり知ることが必要なので、アスタムに出向きながら。



最近は朝のバイク練習でよくYeti に出向きます。

Yeti にはロンドンに住んでいる次女ムナの息子リスキン15ヶ月がいて、やんちゃな盛り。

この年齢の人を見ていると、気付かされる事が沢山あります。

それは私達が失ったもの.... そこが見えてきます。



バイクはあと1回、2回 早朝に練習すればいいので、あとは交通量の多い中で慣れるだけ。

1時間半ほど乗ったが、ギアのチェンジももう大丈夫で、今日は1度もエンストしなかった。

ガソリンの量がいまいち分からず、ガス欠で途中 止まってしまったが、スタンドが近くにあったので押してそこまで。

ガソリン量のケージがないバイクなので、タンクを開けて中を見るか、バイクを揺すって音がするのか?でガソリンが入っているのか?量はどれ程か?が分かる。

出る前にチェックしたが、よく分からなかった....

しかし、これで分かったので今のうちにガス欠 経験して良かった!
今朝のバイクは昨日と違い調子が悪かった…

少し離れた所まで出掛けたが、5回 途中でエンジンが止まってしまった。

そして、エンジンがなかなか掛からない…

古いバイクなのでセルではなく、キックスタートでエンジンが掛かる。

ハッキリ言えば新しいバイクの方が断然 楽で、古いバイクは色々と毎回 調整しないといけないので、素人同然の自分には分からない事も多い。

クラッチも引きずっているし、ギアも変わりにくいし、アクセルも経たっているので、その感覚も経験が必要になる。


自転車は詳しいのだが、自分の自転車も5年近く乗っていて、かなり経たっているので、上手く乗るには経験とテクニックが必要なのだが、他の人に貸すとかなりの確立で壊して戻ってくる…


いくらキックしてもエンジンが掛からないと泣けてくるが、知っていたのはチョークを引くくらい。しかし、なかなか掛からない…

そこで、押し掛けの方法を今朝はビシャールから習った。

一番危険なのは走行中 突如エンストしてしまう事で、交通量が多いと後ろから突っ込まれてしまう。

今日は3ギアから4ギアに入れて乗っていた時に突如エンストしてしまう事が多かった。

アクセルのストロークがかなり狭く、おもいっきりふかしても回転数が足らない感じで、スピードを上げ4ギアに入れるとパワーが無くなってしまう。

そこで上手くシフトダウンしてふかしていけばいいのだが、それが上手く出来なかった。

1ギア、2ギアはエンストする事はないが、3ギアから4ギアでエンストしたので、アクセルのストロークが狭く、フルスロットでも回転数がそこまで上がらないのかも知れない。


エンストしたらクラッチを切ったまま、路肩に避難する。

その時点でニュートラルに簡単に入れられるバイクではない。

そんなこんなで、古いバイクだからこそ教わる事は多い。

これで練習したら、新しいバイクは簡単に感じるだろう。


ガソリン 1L 106円。


Ps. 明日はまたストライキだそうだ…
また何にも出来ない日々が続くの?

この国は全てに於いて「多分そうだろう」で会話が進む。

バスの時刻表もなければ、テレビの番組表もない。

いつ、何時間 停電するのか?も誰も分からない。

全てが適当なので、適当に生きる事が出来なければストレスが溜まる事にもなる。

それが耐えられるのか?耐えられないのか?で、ネパールで生きられるのか?が決まる。

まだ、その域に自分は達していないと言うのか… ただ、日本と全く違う事は事実。

明日もまたストライキか… ?

これで今月もまた、収入が7万に届かなかったね… ハア(苦笑)。

ホンダXR100 (1997年式)

2日目の今日から、公道に出て乗ってみました。

とは言っても、どこの交差点にも信号は無く、狭い道幅に車、バイク、耕運機、リヤカー、牛、飛び出してくる子供.... ルールがあってない様なもの。日本よりも遥かに難易度が高いのがネパールでの運転です。

なので、最初のうちは早朝の交通量の少ない時間に乗ることにしています。

運転自体はなんら問題ありませんが、バイクが古いのでエンジンが掛かりづらいのと、バイクへの信頼感がそこまでないので、遠出はしません。

とにかく先ずは、バイクに慣れること。次にネパールの交通に慣れること。

事故って仕事が出来なくなったら本末転倒なので、そこはパラグライダー同様。

ただ、仕事であるパラグライダーと趣味、交通手段であるバイクとではどうしてもそこへの意識の大きさが変わってしまうのも事実。

パラグライダーよりもバイクの方が遥かに危険である事は、意識の上でも間違いないので、どこまでそれを自分で理解できるのか?

バイク事故で仕事を半年、1年近く、休んでいたパイロットも何人かいます。

プロのパイロットだから、そこを意識しながら運転します。



今日は何かの?日でした.....

ネパールはもう長いので、文化やフェスティバルは一通り知っていますが、今日のは手首にミサンガみたいなものを7回巻いて、幸運やパワーを授かる日であることは、毎年やっているので知っていました。

ただ、知らない人がやって来て、彼が巻いていったのですが.... 家の人でも親戚でもなく.... その関係性と意味がいまいち分からない。


これからがお祭りシーズン到来で、女性のお祭りティージ、ネパール最大のお祭りで収穫祭ダサイン、光のお祭りティハールと続き、1ヵ月後には雨の季節も終わり、ネパールが最も美しい季節を迎えます。


Yeti 長男ケシャブ

Yeti 次男ビシャール

見た目はミサンガです。


自分も不意に落ちなかった....

躾って何?

小さな子供が何かした事に怒ることが、どうしても理解できない。

なのに、「お前もしっかり怒って躾けろ!」と言われた。

でも出来ない.... と言うか、その行為の必要性が分からなかった。

やはり躾けという名の行為は怪しい。


ただ見守るだけ!遠くでそっと見守るだけでいい。

そして、自分がどう生きているのかを子供は見ている。

自分の生き方。子供が見ている自分の行為そのものが躾けだと感じる。



「生きたいように生きなさい。そして、その責任は自分で背負いなさい」

もし周りに、この言葉を言ってくれる人がいるのならば、その人こそ信頼できる人であり、大切にしなさい。

「いづれは世の為、人の為となる人間となりなさい」

何一つとして独立、単体で成り立っているものはない。その周りとの関係性を大切に、助け合って生きなさい。

これ以外に子供に掛ける言葉は、今の自分に見当たらない。


この感覚はネパールに来た事によって繋がった。

それは年齢的に繋がったのか?それともこの環境で繋がったのか?分からない。

しかし、日本にいたなら自分が仏教徒である事に気付かなかっただろうし、気付いたとしても、もっと年を取ってからだったかもしれない.....

きっと多くの人は年と共に枯れて、可能性を失っていくのだろうし、失った魅力のない中年は多い。












< 泥臭く >

今はまだ震災の影響が出ている最中で、ツーリストの数は例年の1/5くらいだろう。

ここで大切な事は、この状況下が続いても、これが当たり前の状況になっても、これで生きていける土台を造っていく事にある。

あと2〜3年もすれば、以前にも増してツーリストが増える事も考えられるが、また地震が起こればそれもない。

そこに皆が同じ事をやっている現状では、競争という名の足の引っ張り合いにもなってしまう。

自分の中ではツーリスト シーズンが始まる10月からも、観光客は例年の50%程だと見ているし、数年後に回復しても、パラグライダーの仕事は平均1日1本。月収で12〜15万程だと見ている。

それでも生活は何とか出来るだろうが、有り余る時間と虚しさだけが残るだろう。

だから、ハッキリと自分の中では変えなければいけないものが表れたのだし、環境の変化に順応して、よりよい方向へ歩んでいく為の時期が既に始まっている。

今までは身体を動かしてやってきたけれど、これからは頭と心を動かして、新たなものを造っていかなければならない。

私は間も無く44歳になる。

生きる場所は自分で選んだきたけれど、雇われ従っていただけの人生であった。

これからは自分で何かを造り出していかなければ未来はない!

今はこの人生に於いて、とても大切な時期に差し掛かっている…

そう感じている。


左は日本人の女性でニューヨーク在住のKyokoさん。真ん中スシール(サランコット パラ)。

この女性はスシールのお客さんとして飛んだのですが、とても日本人とは見えなかった.....

何故って? 英語の話し方が本物だったし、とにかく明るくて誰とでも話しかける、物怖じしない人だったから。

彼女はNGOでカトマンズに家を建てるボランティアに来ていましたが、バンブーハウスの話をすると、なんと彼女の知り合いが今度ポカラで行われるハビタット(家を100軒建てるボランティア)の日本代表で、11月にポカラに来るとの事....

Face Bookを教えてもらったので、その方と早速 連絡を取ってみます。




レイクサイドの北にあるジョレバーには沢山のバイク整備屋がある。

車ではなく、バイクが一番の移動手段であるこの国には、沢山のバイク修理屋さんがあります。

バイクの主流は150cc~大きくて350ccまで。大型バイクを見かけることはないし、バイク屋でも売っていません。

値段的な問題と、ネパール人が小柄なことがその理由でしょうか。


おやつの時間にやって来る、移動式お菓子屋さん。


Yeti の次男ビシャール。

このバイクは期間限定で働きに来る、もう一人の日本人パイロットRyoさんのバイクですが、Yeti で次に来るまで預かっています。

Ryoさんの了解は得ているので、このバイクで1ヶ月 練習して10月にはVRを買って乗ります。その為、ちゃんと乗れるように整備しに来ました。(整備費用は4500円)

この後 少し乗りましたが、20年前にギアシフトのカブに乗っていたのと、You Tube で乗り方の映像も見ていたので、割と簡単に乗れました。

バイクもホンダXR100ccと小さいので、練習には丁度よさそうです。


夕方から大雨が降り、オフィス横の道は川状態に....

しかしこれ、ほぼ毎日のことです。

インドとの国境近く、タライ平原に住むタルー族の子供達。

最近バンダ(ストライキ)が頻発し始めましたが、その原因はネパールにある5つの県を7つに分ける為に、タライの地域を2つに分けようとしている点にあるそうです。

タライ平原にはタルー族が多く住む地域とモゴル族が住む地域があり、そこを真っ二つに分けようとしている事に反対しているのがタルー族です。

ネパールにはカースト制度がありますが、タルー族はモゴル族よりもカーストが低い為に、今後この地域で支援のあり方などで格差が生まれることが想像できます。

それにタルー族が反発してバンダを起こしています。

区画で県を分けるのではなく、カーストによって県を分けてしまうことは危険です。

カトマンズやポカラなど、色々な民族、カーストが入り混じっている所はまだいいですが、タライのように地域によって民族が集まって分かれているいる場所で真っ二つに分けることは、即ちカーストによって県を分ける事になってしまいます。

そこへの反発がバンダとなっているようです。


今後もネパール全土でバンダが頻発することが考えられますので、観光客の皆さんは情報に注意が必要です。

タライでは12日間バンダが続いています。





今日は午後2時過ぎにお客さんが入り、自分の順番ではなかったが、他のパイロットが出掛けていなかったので仕事が出来ました。

時間的にはギリギリで、ランディング後に雨が降り出してきました。

もう少し早目にブッキングして欲しいのですが、お客さんは空への知識がないので仕方が無いところ....

なので、そこへの気遣いが私達の仕事にもなり、飛ぶ事 自体は仕事の一部分と感じています。


これで今月14本目.... 今シーズン30本目です。

2日に1本の超低空飛行が続いています。




カトマンズのタメル地区。

観光客が集まるこのエリアは、観光客相手のビジネス エリアです。


自分で作った野菜をマーケットで売る女性。

ローカル ビジネスは利益は小さいけれど、変動の少ないシンプルなビジネスです。


レイクサイドにあるDBモモ レストラン。

絶妙なバランスを兼ね備えたビジネスがこのレストランです。

レイクサイドにある数少ないローカル レストランであり、外国人が訪れるツーリスト レストランでもあります。

観光客が少ない時期でも対応できるのが、地元のネパール人を顧客に抱えるこのスタイル。

ほとんどの観光客相手のレストランは空 状態ですが、ここは違います。




感じている大切なこと。

それは、観光客 相手のビジネスと地元のネパール人を相手としたビジネス。その両方を両立していくこと!!

観光客相手のビジネスの方が利益は出ますが、全ては変わり続けている状況に於いて、ストライキや天災によって観光客の数は激減してしまいます。

その状況に於いて、利益は少ないまでも生活していけるだけの収入を得られるのは、地元ネパール人を相手にしたビジネスになります。

そして、ネパール人を相手にしたビジネスは即ち、彼等の生活を支える事にも繋がります。


自分の今の状況を考えるに、観光客 相手のビジネス、その方翼はひとつ完成しているので、次に必要なのはネパール人を相手としたビジネスになります。

観光客がいない中で、どの様に生きていくのか!?


それは村での生活でも同じで、観光客と地元の人。その両翼のビジネスが成り立ってこそ、そこで生きていける..... そう感じています。

その中で複雑なことはしたくない!

シンプルに生きていけるシンプルなこと!!


効率とか生産性とか、シンプルに生きていくには特に必要な事ではない。

そういう意味では、日本では出来ないことがここでは出来る。

あとは自分次第!! そこが一番の楽しみ。


次の一歩、明日からアスタムへの足となるバイクとの付き合いが始まります。


7年前がこの状況ならば、自分はここで生きていく為にパラグライダーを選択することはなかった。

あの頃はパラグライダー会社も5つしかなく、95%は外国人パイロットが占め、パラグライダーは生まれてこの方全く頭に無かった事であり、そこにとても魅力を感じた....

今もって尚、ここに新たな会社が出来ていること自体 不思議で仕方がないが、人がやっていることをこれ程に真似して何が楽しいのだろうか?

パラグライダーの価値をどんどん下げてしまう方向性になっている事だけは事実。

ビジネスマンが飛び付き、駄目になったらまた別のことをやればいい.... そんな空気を強く感じる。


そして、ここに大きなヒントが見えてくる!


利益を追求しないパラグライダーの在り方。

価値をどんどん上げていくパラグライダーの在り方。

限定でしか飛ばないパラグライダーの在り方。

そして、村興しの為のパラグライダーの在り方。


例えば、アスタム村の産業が幾つかあって、そこにパラグライダーも加わり、アスタムをより良くしていく為の一員としてのパラグライダーの在り方がある。

アスタムの発展の為に飛び、1日限定2組、期間限定6ヶ月、ヒマラヤの見えない日には飛ばない、回す事も殆どしない、アスタムからの景色を堪能する為だけに飛ぶ ぶっ飛びフライト。

村とお客さんとを結ぶ、別の形の産業の在り方。


今はその間逆です。

出来るだけ多くのお客さんと飛ぶことが重要視され、30分... とフライト時間を宣伝し(仕事をしていて強く感じるのは、10分飛んだとか30分飛んだとか、重要なのはそんな時間ではなくインパクト!空中で感じるインパクト!大体の目安はあっても、時間をうたい文句にするのは間違いであり、タンデムでソアリングを長くする事に意味を感じない)その時間を飛ぶ為にとにかく回す飛び方をし、どんなコンディションであろうと飛べるのならば飛び、ビジネスとして利益を追求したパラグライディング。

そして、今では40会社に膨張し、パイロットはパートタイムとなり、そのパイロットとしての希少価値もビジネスとしての価値も、強いてはパラグライダーの価値も下がってしまっている状況。



村の産業のひとつとして、村 全体を客観的に見回しての一員である在り方。

希少価値を高め、利益を第一としない在り方。


今の逆を行けば、パラグライダーの価値は高まっていく.... そして、そこには可能性がある。
そう感じています。


勿論 生きていく為には利益も必要ですが、村全体でのトータルでの利益。他の産業も合わせての、全体での利益があればいい。

だから、パラグライダーというよりも、他との融合。協力して村の産業としてやっていく事が必要。


アスタムに利益を第一に追求しないで、全体で村興しにもなるパラグライダー産業を持っていけたのなら...... そんな事もイメージしています。



ネパールには至る所にチョウタラの木があり、人々の憩いの場所になっています。

この時期は太陽を遮ってくれるので、この下で風に吹かれながら瞑想をする.... 

何かが見えてきました。



バッタ目線、バッタに疑似体験でなってみれば、この世がどの様なものなのか?が見えてきます。

この世はシンプル。ただただシンプルなものに過ぎません。



子供達と段々畑.... 菜の花が奇麗です。
久しぶりに充実した日々を過ごせました。

アスタム村 2泊3日は、アスタムでもアッパー アスタム(アスタムの丘)だけに絞って過ごしてきました。

今回の目的は10月から滞在するホームステイ先を探す事と、挨拶回りでした。


ここに本当に住むのか?や、ここで何が出来るのか?は、ホームステイをしながらじっくりと決めていきます。


雨の季節のアスタムへの山道は、果たしてどの様なものなのか?

基本 傾斜がそれほど無く、石ころが散りばめられている道なので、数ヶ所のぬかるみは有ったものの、問題なくバイクで行くことは出来そうです。


雲と大地。

午前中は天気が悪く、午後から太陽が出ては雲が発達し、雨が降っては太陽が刺す.... そんな目まぐるしい天候でした。


アスタム はなのいえに着いて早々、1頭のヤギが生まれました。

この写真は生まれて10分後ですが、既に立ち上がっています。


初めてお母さんのお乳を飲んで、眠りに着いている生後30分のヤギの赤ちゃん。


仕事(農作業)をしている はなのいえのスタッフ。

今はお客さんがいないので、朝9時から夕方5時まで、休憩をしながら農作業の仕事をしていました。


この日はカイワレの栽培をしていました。

雨から守るために、作業後はビニールを被せます。


真っ赤に実った唐辛子を天日干し。


こちらのきゅうりはとても大きくて、そのまま切って噛り付くかアチャール(ターメリックの浅漬け)にして食べます。


茄子は細長くて、日本のきゅうりの様な形。


シソが大量に生えていましたが、ジャムにするそうです。

自分はネパールでシソを、見たことも食べたこともありませんでした....


採れたてのアスパラ。

アスパラって生で食べられるの? 初めて生で食べましたが、あくも無くとても美味しかったです。


はなのいえの台所。


養蜂もしています。

近くで写真を撮ろうとしたら蜂が耳の中に入って来てしまい、慌ててスタッフの元へ....

本能的に穴の中に入っていく性質が有るようですが、蜜蜂なので刺される事よりもどんどん中に入っていくことを心配しました。

数分後に自分から出てくれました。

ハチミツやミツロウでロウソクを作ったりしています。


村の風景1


村の風景2


村の風景3


村の風景4


村の風景5


村を周っていて気付いたことは、空き家が多いこと....

そしておじいちゃん、おばあちゃん。または夫婦の2人暮らしの家が多いことです。

500人ほどいた村人も今では200人ほどに....

学校は中学までしかないし、仕事もほとんど無いので、若い人達はほとんど村を出て行きます。

古くなった家をそのままに、土地も売って街に出て行った人達も多いようです。


アスタム パラグライディング会社のテイクオフ場はここで決まり!?

ポカラに国際空港が出来て、サランコットからのパラグライディングが出来ない状況になった時、皆が挙ってその他の場所を探す筈。

自分はここをアスタム パラグライディングの場所として立ち上げる事も考えています。


今は雨の季節でヒマラヤは見えませんが、目の前にはヒマラヤが、下には広がる台地とセディ河が流れています。

標高差は500mほど。ヒマラヤが見える10月から3月までの期間限定ならば、素晴らしいタンデム エリアになりそうです。


アスタムにもコーヒーの木が....

コーヒー栽培も はなのいえ や エコビレッジ、ミスティックの協力などで、アスタムの産業のひとつになるかも知れません。


自分の中では3年の中で急ぐことなく、自分の進むべき道を決めていきてい。

まだアスタムに住むのか?は決めていないし、他にもホクシンやニルマリポカリなどポカラ近郊の魅力的な村はある。

今はアスタムに注目していて、アスタムには産業としては はなのいえ、エコビレッジ、ミスティクがあり、逆に言えばそこ以外に仕事がない状況。

アスタムの人でその仕事にあり付けているのは10~15人ほど。

どの村でもいいけど、1人でも仕事が出来る環境を作ることも目標の一つなので、何が出来るのか?は自分次第。

とにかく1歩づつ何かに向かって進んでいく事が大事なので、アスタムとの2重生活を体験する事はその第一歩。

自分があるから、そこに忠実にゆっくりと進んでいけばいい。




今回、色々と収穫はあったけれど、ひとつ自分を下げてしまっている事に気が付いた。

今日はアスタムからレイクサイドまで歩いて来たけど、距離にして20km 3時間半。

最近 自分のことを「ブロ マンチェ(年を取った人)」、特に年齢を聞かれたときにその様な言葉を言っていた....

でもさ、明らかに20代のその辺のネパール人より体力はあるし、体系だってあんなオッサン体系はしていない!

あのオッサン体系は、自分が客観的に見えていないんじゃないの?

まあ、髪の毛は少し薄くはなってきたけど、ネパールの43歳と比べたなら一目瞭然だよ。

自分を下げる言葉は自分を人間として下げてしまうので、自分のことをブロ マンチェとはもう言わない!


歩いて帰ってきて、そこに気付いたことが一番の収穫だったね。

流石にキツイ…

やることが無いから日中に寝ていると、起きた後に頭痛がやって来る。

毎日がほぼお休みなんて羨ましい… と思っているあなた。

4ヶ月も続けば、苦痛 以外の何ものでもありません。


仕事がたまにしかないので、感覚的に分かりづらいのですが…

昨年は半袖で飛んでいましたが、今年は必ず長袖で飛んでいるし、生活していても暑さを全く感じないので、今年の夏は冷夏… それだけ天気が悪い。

今が一番暑い時期ですが、朝は肌寒くて目が覚めます。


明後日からまたストライキなので、明日からアスタム村に2泊3日で行って来ます。

本当は1週間くらい滞在したいけど、月に15本くらいしか仕事がないので、1本でも休むと月計算で赤字、マイナスになってしまうので、仕事は休みたくはない。

ストライキはどうしようも出来ないので、アスタムに行くにはナイスなタイミングとなりました。

モンスーンにアスタムを訪れるのは初めてなので、また違った感覚を受けそうです。


何もしないでも平気でいられるネパール人に、日本人の私は歯が立たない…


何もしない事が幸せ!

こんな感覚 分かりますか?


何かをしなければいけない!

これって間違った強迫観念かもしれません。


黄昏のリヤカーマン…


タライの子供達。


今うちだけではなく、他の会社を見ても外国人パイロットはほとんど見かけない。

少なくともうちのテイクオフ場や上のテイクオフ場、うちのランディング場は10会社以上 利用しているが、今シーズンになって外国人パイロットに出会っていない。

レイクサイドでは2~3人見かけるが、いてもそれ位しかいない。

99%ネパール人パイロットの中に、1人外国人パイロットである自分がいる感じです.....


今日のお客さんは南アフリカの方でしたが、経験の少ないネパール人パイロットとは飛びたくない.... との事で、外国人パイロットと飛びたい!だったので、自分の順番ではなかったけれど私が飛びました。

昨日の中国人もそうでしたが、外国人パイロットが私以外にいない状況なので、納得して飛んでもらうしかない.... 

別にネパール人パイロットだからといって、問題がある訳ではない人がほとんどですが、お客さんの選択が限られていく環境は問題です。


この状況を見て、日本を思い出しました。

最初からこの状況なら感じないことも、血の循環がない環境になっていくと、その違和感を強く感じます。






ホンマでっかTVでお馴染みの環境科学のスペシャリスト、武田 邦彦さんのVTRです。


人は他との違い、取り柄を求めるが故に、悩み苦しむ.....

人が生きると言うことはとてもシンプルなことであり、そこに意味や理由などはない。

ましてや人と比べたり、とあることに拘ったり、執着したり.... 自分自身で自分の首を締め付けては悩み、苦しんでいる。


生きているだけ、それでいい。

そして、少しは他人の役に立つ。

その為に仕事をする。

それだけ!!


何でこんな簡単なことに、人は気が付かないのだろうか....... ?




サラリーマンの多くは奴隷だ.... 彼の言葉にはかなり棘がありますが、言っている事は必ずしも間違ってはいなく、それは20世紀と21世紀の違い。

これからの人々の生き方は20世紀型ではなく、自分で自由に創造しながら、20世紀 社会が決めた基準ではなく、自分が決めた基準の中で生きていく事が重要になってきます。

それが出来る時代であり、そうしなければ生きていけない時代が近づいてきている.....

間違いなく20世紀と21世紀では、人々の生き方は変わってきています!

全てが変わり続けているのだから、それは必然ですが、それは歴史を見ても分かること。

江戸時代と現在、人々の生き方は同じですか?



川辺の少女。


彼女が大人になる20年後.... ネパールはどの様に変わっているのでしょうか?

その時、私は63歳になっています。

63歳の私は、どの様に生きているのでしょうか?

答えはその時、そこに在ります。


小さな頃から現れていた感覚がある。

自分がこの身体から出て、他人の中に入って、別の人生を生きられない..... その感覚。

この感覚は今でも不意に現れては、自分を狼狽させる。


当たり前なのだけれど、これだけの人々がいる中で、自分は自分の中(心と身体)でしか生きられない真実は不思議でもある。

例え夫婦となり、子供が出来、家族となっても、その中で生きることは出来ない。

夫婦、子供と言えども、その生死を自分が代われるものではなく、その人生を自分が生きることも出来ない。

どんなに近しい人でさえも、他人であることに変わりはない。

その人に代わることも、その人として生きることも出来ないのだ。

更に時は絶えずして止まることなく、全てを変えていってしまうのだから.....


本当に不思議だと思う.... この世は。

だからクリアに、とことんシンプルに生きていきたい。

この世を生きていくのは、それが一番いい。




仕事だけれど、空で遊んでいる.... 様なもの。



ネパールはラフティングも盛んで、モンスーンが終わった10月、11月が水量もあり、ラフティングのベストシーズンです。

今は水量が多すぎて、流れも速く休業中ですが、多くのネパール人 ラフティング ガイドは日本に出稼ぎに行っています。

ネパール人で日本でワーキング ビザが下りるのは、インド ネパール料理店のコックかラフティング ガイドくらい.....

多くはツーリスト ビザか学生ビザで日本に来ていますが、難民ビザもあるそうです。



今日はアスタム村の知り合いであり、ミスティック ホテルのマネージャー プルナ(右)がレイクサイドに来たので、会ってきました。

10月からのレイクサイド + アスタム村の2重生活の事も話しました。近々お邪魔して2~3日 滞在します。


Astamkot  Mystique Hightland Resort Hotel. 景色は最高です!!

目の前の旧家はオーナーが以前に住んでいた家で、今でも泊まることが出来ます。

周りに花壇や畑を作成中.....

まだ3年足らずの新しいホテルです。

アスタムにはリゾート「はなのいえ」、アンナプルナ エコ ビレッジ、そしてこのミスティック ホテルがあり、近年1泊2日のトレッキング場所として認知され始めましたが、まだまだ観光客が多くはない静かな村..... ポカラでもこの村を知らない人が多くいます。

これから色々な可能性を秘めた村です。



クチョ(竹ほうき)を100円で購入。

ゴルカ村から2人の女性が来て、売り歩いていました。

村で作ったものを、街に出てきて売り歩く.... これはネパールのスタイルで、全部売ってから村に帰ります。

別に大金を稼ぐのではなく、自分達で作ったものを売って、自給自足+そのお金で生活していく。

とてもシンプルな生活スタイル。しかし、シンプル イズ ベスト !!

こんな商売、こんな生き方もあるんだ。


山岳民族。

ポカラは私達と同じ顔立ちのモンゴリアン系が多いですが、ネパール全土で言えば目鼻立ちがはっきりしたアーリアン系が多いです。

そして、私達と同じ顔は標高が高くなればなるほど多くなり、山岳地帯にはアーリアン系の民族は暮らしていません。



自炊は相変わらずやっています.....

今日はスープ スパゲッティとパン、ジャガイモとチーズ。久しぶりの洋風にしてみました。

アスタム コット。

将来はこのアスタム村に自分の家を建てて、自給自足+この村+αで出来る仕事を.... と夢を膨らませている。

その家のヒントに竹を使った家、バンブーハウスがある。


この下の写真は2010にポカラのレクナートで行われたエベレスト ビルド、元アメリカ大統領ジミー・カーター氏によるカーター ワークプロジェクトの模様です。

今年の11月にポカラで同じプロジェクトが行われますが、とても興味があるので参加したいですが、6日間も仕事を休むことは出来ないので.... 

今回は100軒 建てるのは1ヶ所 同じ場所なので、時間を見つけては手伝いに行きたいな。

 








これは竹を使って作ったベッド。

職人さんや、経験者、自分も参加しての家作り.... 考えただけでもワクワクします。

そして、竹という素材の可能性を考えてみる。

強くてしなやかな竹は、そのイメージが「心」にも通ずる。


自由に想像をいくらしてもいい。

今は、それが出来る時期でもある。


今日もストライキで午前中は雨模様....

しかし午後1時にストライキが解除され、お客さんを説得して曇り空の中、飛びに上がりました。

曇り、夕方から雨.... レーダーの雨雲予測も全く当てにならないポカラの天気。

観天望気で空を見上げていても、まさか夕方に晴天になるとは想像できませんでした.....


遅くからの太陽だったので、テイクオフは無風、ランディングはバックウインドでしたが、仕事が出来て良かった。

何せ、明日も仕事があるとは限らない状況なので....

今日 飛んだのはうちのお客さん4人 + その他の会社2人の計6人しかいませんでした。




バックウインド。いつもと反対側からのランディング。


夕方には雨雲レーダーに反して、ご覧の晴天になりました。

経験上モンスーンの季節、午前中が悪いときには午後、夕方に天気が良くなることが多い.... そう感じます。




ネパールは飲み水を、近くの井戸まで汲みに行く必要があります。

街では大概何処でも近くに井戸がありますが、村では1時間以上 歩いて水を汲みに出掛けるところも....

夕方に沢山の人が、井戸の周りで順番待ちをしています。

自分は井戸水を飲んでも大丈夫ですが、観光客の皆さんはミネラルウォーターを飲みましょう!

1ℓ 20円でミネラルウォーターは何処でも買えます。


今日はネパールの文化 ストライキで、1日 何も出来ずに終了.....

明日もストライキとの情報もありますが、定かではないようです。


今日ひとつ思いついた事は、バイクを買った後にアスタム村とレイクサイドの二重生活を実体験してみる事。


バイクは以前に住んでいたダムサイドの家の次男が、10月からオーストラリアに留学する予定なので、彼が今まで乗っていたVRバイクをその時に売ってもらう予定です。

新車なら36万するVRですが、お世話になった次男だし、3年乗って状態もいいVR.... 果たして幾らで売ってもらえるのか....?

貯金も出来ない状況なので、中古でも知り合いから状態の良いバイクを売ってもらえるのなら、それに越したことは無いです。


アスタムには知り合いもいるので、今年は民家のひと部屋を借りて、ご飯も頂いて、泊まった分だけ払えば彼等の副収入にもなるので、先ずはそのことを話して可能ならば二重生活を体験してみます。

毎日とはいかないけど、月に10日間ぐらいをアスタムで過ごして、通勤しながら、本当にここでいいのか? ここで出来ることとは何なのか?村人と触れ合い関係を築きながら、 問題点や実際に経験して見えてくる事を知りたい!

新たな生活スタイルを探していきます。


10月からアスタムとレイクサイドの二重生活を実際に体験していきます。


純粋な村の子供達。



知り合いから頂いたブッダの絵。

自らの手作りで、木の板に黒い布を張って、その上にブッダの切り抜きを張り、その周りのデザインを描いて、その上にラメの粉を貼り付けていったものです。

自分の部屋には既にブッダの絵があるし、なるべくシンプルで物を置かない部屋にしているので、この絵はアパートのロビーに飾ることになりました。


ブログは個人的なものだし、見てくれている人は知人かネパールに興味がある人なので、ありのままに書きます。


苦しみ、悩んでいるのが現状で、それは仕事にしろプライベートにしろ.....

ネパールは今現在も超保守的な国なので、そこにある文化や常識、カースト。深く携わるとなると、その壁にぶち当たります。

これは観光で訪れたり、長期滞在しているだけででは決して見えない部分です。


自分にとって結婚は苦しみの極地に今なっています。

それは自分ではどうしようも出来ないから.....

そこを諦めれば出来るだろうけど.....  結婚は目的ではないから。

諦めて見えてくるものもあるから、いっそ諦めて形に拘る事を止めてみたい。


自分の立場で見る世界。

子供がある人にとっては、自分の子供はかわいいだろうが、子供が無い人にとっては、子供は皆 誰も同等で大切なもの。その差が全く無い目線で生きられる。

ひとつ執着するものが無ければ、その分 世界は広がって見え、違った景色にもなる。


結婚し家庭をつくり、自分の子供達を育てながら生活していく事が日本以上に当たり前で、その為に周りが動くここの環境は、そこからはみ出してしまった者にとっては冷たい環境でもあります。

しかし、決まった生き方があって、それ以外は理解されない環境は諦めるしかない。

そして、別の生き方を示すしかない。


カーストは身分差別というよりは、そこに囚われた上で成り立っているここでの「常識」だから、ハイカーストはハイカースト同士 ピュア ブラマンとしか結婚できないのは「常識」だから、そこはもう諦めるしかない。

心の琴線に触れる人とは結婚が出来ず、結婚できる人は心の琴線には触れない.....

自分の好みと年齢が、その分かれ目になってしまっているのも事実です。


国を成熟した国、そうではない国..... と分けるのは間違っているけれど、発展した国は皆一様に男女間の関係や在り方、価値観や生き方の自由はあるのだし、それが限られている環境で、そこに拘ることに今の苦悶があるのだと思う。



仕事は今後 自分で何とでも出来るものだから問題はないし、震災も仕方が無いことだから悩むことでもない。

ただ、この状況の変化は予想以上でした。

何故にパラグライダー会社を40も50もこの一ヶ所に作ってしまうのか?

普通に考えれば成り立たない訳で、猫も杓子も会社を作り、パイロットになっていっているこの状況は異常以外の何ものでもない。

これだけ多くの若者がパイロットを目指しパラグライダーをやっている環境は、日本ならば羨ましい限りだろうが、ここでは破綻を意味するので.... 環境が変われば、その結果は全く別のものになってしまう。

当然1人のパイロットが飛べる本数は減る訳で、パイロットはこれからパートタイムの仕事に変わっていくので、どうしてももうひとつ、ふたつ、仕事をしなければ生きていけない。

呆れたけれど、これもネパールの国民性なので、諦めるしかない。

そして楽しみを、その新たなものの中で見つけていきます。




レモンと岩塩、そして岩塩を入れたレモンソーダ。

この岩塩もネパールの特産物。レモンをはじめマンゴー、メワ、パイナップル、バナナ、ジャックフルーツ、ナシ、グァバ..... も採れるネパール。



瞑想の時間が、日本の学校や会社にもあればいいのに....

瞑想は自分の心の深層を知ることが出来る唯一の行為であり、生きるヒントが沸き出でてくる時間にもなります。

「周りの事に一々 反応しない。自分の感情の動きにも一々 反応しない」


他人に反応しない。心の動きに反応しない。反応しない強くてしなやかな「心」を。


4日間 仕事がなく、久しぶりの仕事が2本ありました。

その2本共にお客さんはヨーロッパ人で、ボランティアをしにネパールに来られた方でした。

以前でもボランティアでネパールに来た人と仕事をする割合は1割くらいありましたが、震災後は外国人のお客さんの半分以上はボランティアで来られた方達です。

以前は英語を教える為のボランティアがほとんどでしたが、震災後は医療であったりバンブーハウスの建設であったり、衣食住に関するボランティアがほとんどです。

1本目のフランス人はバンブーハウス建設のボランティア。

2本目のドイツ人は応募があったボランティアサイトを見て来て、明日にダーリン(震源地近くの村)に友達と2人で向かうそうです。何をやるのか?は現地に着いてからの状況によるそうです。


バンブーハウス。


バンブーハウスも色々あり、この上の写真のバンブーハウスはセメントを壁に塗っているもの。

南ネパールにあるバンブーハウスは竹だけで作ってあったし、1本目のフランス人が建てたバンブーハウスもセメントは使わないものだったようです。

ビデオでは割と簡単に作れると言っていましたが、体験したフランス人は作るのは難しかった.... と言っていました。





バンブーで作ったレストランがレイクサイドにも幾つかあります。

Bamboo_Bar_Restaurant_Pokhara_Lakeside_4

Bamboo_Bar_Restaurant_Pokhara_Lakeside_7

竹には色々と可能性がありそうです。

  
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プロフィール
HN:
kazu
年齢:
53
性別:
男性
誕生日:
1971/09/08
職業:
パラグライダー
趣味:
たそがれ、物想い、静寂、心穏やか、不安、楽しむ
自己紹介:
Kazu
Japan spirits and pride
Professional tandem / Adventure pilot

世界最高峰のヒマラヤ、神の国ネパールで生きていく為に始めた空飛ぶ道具パラグライダーでコマーシャルタンデムをやっています。夢は神の山マチャプチュレへの冒険フライトに挑戦すること。
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