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その人が何処から来たかなど、どうでもいいではないか。 どんな地位にあるか、どんな功績があったのか、どんな血筋を引いているのか、など全くどうでもいいではないか。 ただ、その人の行いを見よ。 今ここに於いて、何をするのかを見よ。 行いが正しく、羞恥があり、身と心を慎んでいるのであれば、その人は生まれがどうあれ、今から高貴な人ではないか。

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コーヒーで枯れ葉に絵を書いたアート。


私達は過去に経験した事、聞いた事による固定観念で世の中を見て、それぞれの生活と言う名の「残された時間」を使って生きている。

過去があって今がある・・・  その認識では。


未来に在るべき姿があって、そこに繋がって今がある。

この認識が隠れて見えていなかったものに焦点を当ててくれる。



コーヒーにはワインと同じくして深い世界がある。

味覚。嗅覚。視覚。

ただ飲むだけの物では無いようだ。



コーヒー アート
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最近の格闘はハエです。

物凄い数のハエがやって来ては、作っている最中のコーヒーに入ってしまう・・・

村だから近くに牛や山羊、鶏がいるからだが、食べ物なら一時的に止まっては飛んでいくハエも液体だと中で羽が濡れて浮いている。

とにかく物凄い数。

一言。コーヒーを作れない状態。


苦肉の策で扇風機を部屋から持ってきて、扇風機でハエを飛ばしながら作っているのだが、それでもお客に持って行く途中で入っていて、クレームをつけられては作り直し。

ネパール人やインド人はハエの存在にそれほど気にしていないのだが、外国人はそんな中で生活していないから不潔に思うだろう。

ポカラも街に行けばこんなにもハエはいない。


日本も昔は村には動物がいたからハエがいて、ハエ取り紙が吊るしてあったのは当たり前だった。

しかし今はそのハエもほとんどいなく、実家に帰った時も2~3のハエを見掛ける程。家族は気になるらしく追い払っていたが、あんなの全くいないのと同じ。

ここでは数百のハエが飛び交っている。

コーヒーを作る横でハエ払い役の人が必要な程。

自殺行為でコーヒーの中に入っては浮いているハエ・・・

本当にイライラする。


とにかく蓋をする事。

コーヒーカップに物を置いては蓋をして、ミルクも同様に蓋をする。

そして常にハエが浮いていないのか? 確認する。


こんなコーヒーカップに蓋を必要とするカフェは見たことない。



昨日から2晩 韓国からのお客さんが宿泊してます。

1人になってから宿泊客は断ってきたのですが、1週間 前から観光客がグンと減り、日中 動き回ることが少なくなったので余力が出来、飛び入りの宿泊客が有り難い状況に・・・

そしてモンスーンの季節に突入。

昨日、今日とずっと雨が降り続いています。

予想では7月下旬 以降、夏休みを迎える学生が中国や日本からやって来るので、それまでの2週間は経営的には大変ですが、ゆっくりと仕事が出来そうです。

多分、先祖から今日に於いて、この家系で環境を変え海外を生き場にしたのは私が初めてなのでは?と思う。

しかし、この時代 自分の親戚でも海外で生活している人は何人かいる。

それは環境を変え、人生を変えた人達であり、その場に留まる事に違和感と気持ち悪さを感じた人ではないだろうか・・・

自分も日本と言う居場所を変え、ここでの恵まれた仕事も辞めた。

白坂さんとは自分がネパールでパイロットとして働いている時代からYou tubeを通して出会ったのだが、同じ感覚を持っている。そして、学ばせてもらっている方。


苫米地 博士もその一人だが、毎日 聞いているのは白坂さん。

時は「未来」から流れ「今」があり、過去は燃えたカス。

生きていると言うことは「時間」が残されていると言うこと。

その残された時間の中で、自分は何がしたいのか?

そこには「未来(残された時間)」に対する「今」しかない。

「変化」全てが変わり続けている中で、如何に自分も変わり続けていくことが出来るのか?


40歳を過ぎると人生を変える事が難しくなる・・・ が全くピンと来ないのは、ここが日本ではなく異国の地だからかもしれない。

日本にいたのならそうだったのかも知れない。

日本の常識はそこを離れれば非常識だから。






昨日は夕方から物凄い雨が降ったが、パイロット時代の習慣(職業病)で今でも天気予報と空を眺め想像する事は欠かせない。

それは生きることに直結する場面もやって来る。

昨日の大雨は想像できたし、それに伴う土砂崩れも。

この周辺でも3ヶ所 崩れていて、近くの学校は閉鎖になっている。

ポカラでも土砂崩れで亡くなった人もいる。

今日も昼まで雨だったが、突如 晴れわたるのもまたポカラの特徴。



パラグライダーをやっていて良かった事。それは気象条件を想像できる、そこへの意識 認識に尽きる。

もう自分にとっては過去のことだけれど、生きていく上で重要な事を学べた期間だった。
今日から7月。そして、今日から更新出来たビジネスビザでの仕事。


本来ビジネスビザの更新は5ヶ月前だったが、ビジネスビザ更新が困難だった為にツーリストビザに切り替え、ビジネスを続けていた。

今回はネパールで稼いだ(パイロット時)お金で納税 証明も有りビジネスビザを更新出来たが、1年後また同じ問題が出てくる。いずれにせよビジネスビザ更新には最終的に500万円の日本からの投資が必要だから。150万円で1年間のビザ更新なので、それを3回以上 繰り返さないといけない。

1年後も今回と同じ手が使えるのか?は分からない。



1年のビザ代は払っているけれど、経理上 それを365日で割って1日の支払いに加算している。

昨日までは1年目のビザ代が高かったので、1日の固定経費は3666円だった。毎日3666円 最低経費として掛かっていたが、今日からは2950円。毎日で割ると1日700円ほど経費が下がるので少し楽に・・・

しかし、4年後のビジネスに向けて500万円 貯める事が目標なので、そこから逆算すると2年目から大変革が必要になる。

このままでは無理。

変わらないと。


PEACE of MIND の看板2枚が風で吹き飛んで1ヶ月以上・・・

会社名でもある PEACE of MIND は入り口の所の看板1枚は残っているので問題ないのだが、通りを歩いて最初に目に入る看板を会社名のPEACE of MIND ではなく、INNOVATION (革新)に変えようと考えている。

普通  ~CAFEとか ~RESTAURANT と分かりやすい名前を付けるが、自分の意思 認識を看板に書きたいのでPEACE of MIND も CAFE & HOTEL & RESTAURANT を書かなかった。

どうして書かないのか? と言われるが、そんなの見れば何をやっているのか分かるし、分かるように店をデザインしている。


「INNOVATION」はこの国に最も足りないもの。

そして自分が追求していくもの。





今朝は久ぶりに雨の朝だった。
その雨も10時過ぎにはあがり、一気に晴天となった。

今はモンスーンの入り口だが、9月中旬まで雨の季節が続く。

しかし、晴天の時間帯がほぼ毎日 雨の季節でもやって来て、パイロット時代・・・ 今日は休みだ!と思っても、必ず晴れて仕事に行ったものだった・・・

今は休もうと思えば店を閉めるだけのことで、何時でも休めるが、そんな状況に経営状態が未だない。今月はビザの件もあり9日間も閉めてしまったが・・・



この5月、6月。1年で最も観光客が来なくて厳しい時期だと考えていた。それでスタッフも雇わなかったのだが、やたらと人が多い。

地震後 全く来なくなったインド人が戻ってきて、地震前はこの時期 灼熱のインドからネパールに避暑にやって来る季節だった。

バングラディッシュ人もイスラムのお休み時期にあたり、ネパール人も相変わらず多い。

1人でやっているので尚更 多く感じているのかもしれないが、どう考えても1人では無理で宿泊客は断り、休めないのでお客さんが入ってこない事を望む時間、シャッターを閉める事もある。

休んでも3日間でフラフラになる。


震災から2年が経った。震災前より反動で観光客が増える事も想像でき、オフシーズンというものが今後 数年はないのかも知れない。


ビジネスビザは投資ビザで、オーナー(インベスター 投資家)は監督役で働いてはいけない・・・ と昨日 政府の関係者から言われて知った。

1年で今後の状況が見えてきたので、2年目は自営業 労働者の立場から外れ、自分が動き回ることのない体制作り。

雇用される立場から自営業者になった。

これからはビジネス オーナー。

そしていずれは投資家。


ビジネスはそのスタート。

その1年目が今。

ビジネス オーナー目指して。
今日 顧問弁護士と一緒に政府の関係者2人がビジネス ビザ を更新するためのチェックにやって来た。

これで金曜日にビジネス ビザが更新出来そうだが・・・

彼らの飛行機代とここでの飲食代は全て自分が払い、そしてビジネス投資家の自分が自ら働くのは違法とのことで2万5千円 更に請求され、1年のビザで17万5千円払った。

これで10ヶ月 コツコツと貯めてきたお金は底を付いた。

ビジネス ビザ代を払うためにビジネスをしている様なもの・・・

ビジネス ビザでビジネスをしていたらお金は貯まらない。

だから余程 お金に余裕がある人を除けば、ネパール人と結婚するか? 違法でビザをとることになる。



昨日 紹介された女性が叔母と一緒に来た。

昨日 会って 今日 結婚を決める・・・は出来ない。余程の何かがない限り。

一緒に1ヶ月 働いて、どんな女性なのか見てみないと。昨日 今日で結婚はネパールでは常識でも、自分には出来ない。

それに自分は45歳で法律上で結婚できるのは20歳差の25歳から。

彼女は25歳と言うが、見た感じだと20歳ぐらいで年齢を誤魔化しているかもしれない。


そんなこんなで昨日も店を閉め、今月は大赤字。ビザの件もあり、この時期の予想に反して沢山の人が来て、1人では対応出来ず、精神的にも肉体的にも限界に近い状態。

1年目は何も分からない。だから村人に過去この時期のお客さんの状況を聞いて1人でやれると判断したのだが、村人の言うことは当てにはならない。

そこにビザの作業の為 ほぼ毎日 ここを離れなければならず、今月は沢山の観光客にも関われず最低な売り上げになってしまった。


これで2年目にするべきこと。必要な事がハッキリと分かった。

その為にシーズン?が始まるまでの2ヶ月半 やるべきことが沢山ある。


ネパールに旅行に来る観光客がまず気がつく事は無い。

しかし、ここに住んでいるとハッキリと気が付く。

「カースト制度」

これが最も顕著に現れるのが「結婚」。そして長年 積もった「認識」。



ここのオーナーはSunarカーストで、下にある不可触民に当たるのだが、彼が紹介する女性もまた 不可触民に当たる人達。

当然 自分と同じカーストを望み、ハイカーストを毛嫌いする事も多い。


言葉では「問題ない」と言う不可触民との結婚も、他カーストの人は心底からは望まない。



自分には「不可触民」かどうかは関係無い・・・ 事だと思っているが、カースト = 部族、民族の違いでもあるから、その風貌。見た目の印象から好めないのが事実。

これは人としてではなく、「好き」になれるのか? その部分。

異性として「好き」になる必要がなく、人として「好き」であることで「結婚」出来るのならば楽なのだけれど・・・


ネパール女性を好きになれるのだろうか?

好きになる必要はないのかもしれない。

それでも「結婚」出来るのであれば。

それが必要なことなのか?

分からないでいる。

それでも「する」のか「しない」のか?

決断しなければ、人生は変わっていかない。


カースト/エスニックグループ
エスニック系列
I. Tagadhari〔タガダリ〕(“聖紐を身に着ける者”あるいは“2度生まれる者”) 
Upadhya Brahmin〔ウパッディア・ブラーミン〕(バフン)
P
Thakuri(王族カースト)
P
Chhetri〔チェトリ〕(クシャトリア)
P
Rajouadhya ブラーミン(Deva Bhaju〔デオ・バジュ〕)
N
インド・ブラーミン
その他
Sanyasi 〔サンニャシー〕(苦行者)
P
下位Jaisiブラーミン
P
高位シュレスタグループ(例えばJoshi)
N
II. Matwali〔マトワリ〕(飲酒カースト)
II. 1. Na-masine Matawali(奴隷化不可能なマトワリ)
聖紐を身に着けないシュレスタ
N
Bajracharya/Shayka/Uray - Tuladhar その他
N
Maharjan
N
様々な ネワ−ルのサービスカースト
N
山岳部族(例えば、マガル、グルン)
その他
II.2 Masine Matwali (奴隷化可能なマトワリ)
チベット人;一部の山岳部族(タマン等);タルー
その他
III. Pani Nachalne choichito halnu Naparne (不浄であるが触れることはできるカースト)
Khadgi (屠畜業、牛乳販売業)
N
Kapali(死体処理、楽師)
N
Rajaka 〔ラジャカ〕(洗濯屋)
N
Charmakar(太鼓作り)
N
モスレム(腕輪販売業)
その他
西洋人(ムレッチャ)
その他
IV. Pani nachalne choi chito halnu parne (不可触カースト) 
低位のParbatiya〔パルバテ〕カースト(カミ、サルキ、ダマイ 他)P
DyahlaN
CyamkhalahN

出典:Hofer 1979、p45、p137
注:P = Parbaitya 〔パルバテ〕または丘陵グループ、 N = ネワ−ル



3.ダリットとは誰か?


ネパールでは、ダリットもダリットではない人々もダリットの定義と識別について論争してきた。ダリットは過去も現在も様々な名前をつけられてきた。過去には、ネパール語で”paninachalne” “acchoot” “avarna” “doom” “pariganit” “tallo-jati” (注*5)、英語で “不可触民”“抑圧されたカースト”“虐げられた人々”“搾取された社会集団”“低カースト”などの名前で呼ばれた。“ダリット”はサンスクリット語の’dal’から来ていて、“裂く、割れる、開く”などの意味がある。ネパール語辞書では、“ダリット”は“切られたり、裂かれたり、壊された物あるいは人、あるいはきれぎれに引き裂かれたり、散らばったり、あるいは潰されたり破壊された物あるいは人”と説明されている。


今日、ダリットという言葉は、旧来の抑圧/剥奪やそうした抑圧/剥奪の犠牲者だけを思い起こさせるのではなく、彼らの厳しい生活も想起させる。これはさらに、自己アイデンティティ確認の苦闘、カーストに基づく不可触制や職業による抑圧の歴史的事実の表現、そして平等主義社会創造の決意を象徴している。


ネパール政府は、“無視され抑圧されたダリット集団の向上発展委員会”(Uppechhit, Utpidit ra Dalit Barga Utthan Bikas Samiti) が地方開発省のもと形成された1996年から、ダリットという言葉を制度的に使い始めた。この委員会は社会の底辺におかれた集団を国内発展の本流に入れることを任務として設置された。この目的のため、委員会は異なるカーストを“ダリット”という名のもとにまとめた。この“ダリット”という範疇に次の23のカースト集団が含まれた:Lohar〔ローハ−ル〕, Sunar〔スナ−ル〕, Kami〔カミ〕, Damai〔ダマイ〕, Kasai〔カサイ〕, Sarki〔サルキ〕, Badi, Gaine〔ガイネ〕, Kusule〔クスレ〕, Kuche, Chyame〔チャメ〕, Chamar〔チャマール〕, Dhobi〔ドビ〕, Paswan, Dusadh, Tatma〔タトマー〕, Bantar, Khatwe, Musahar, Santhal, Sattar,そしてHalkhor。一方、議会に上程された最近の議案 (2001年3月19日)は、28のカースト集団をダリットとして識別している。それらは、Lohar, Sunar, Kami, Damai, Sarki, Gaine, Kuche, Chyame, Pode, Chamar, Paswan, Dusadh, Tatma, Dom, Bantar, Khatwe, Musahar, Halkhor, Badi, Badimar, Kasai, Kusule, Kadara, Chunara, Parki, Ghoi, Dhaier,そしてJhangarである。



 異なるカースト間の結婚


高位カーストやダリットではない人々との婚姻関係は社会的に認められていない。高位カーストの青年がダリット女性と結婚すれば、青年の家族の誰かがその結婚を破談させようとしたり、夫婦を社会的に排斥しようとする。同じように、ダリットではない女性がダリット青年と結婚すれば、彼女は二度と自分の家族に受け入れてもらえない。いずれの場合も、女性の被る被害の方が男性より大きい。



うちのカフェの入り口 歩道 沿いの写真だが、それをアプリケーションで簡単に0秒でスケッチ風に変えられてしまう・・・

スケッチ絵の偽物だがクオリティーは凄い。

これで誰でも絵描き擬にはなれる。

こんな感じのデッサンをする職人はもう必要なくなった?

こうやって仕事となっていたものが、どんどんコンピュータに取って代わられる時代。

・・・風。・・・の様なもの。

それでは生きていけない時代。
携帯を無くし、新たな携帯を買って設定していたら長らく使っていなかったmessengerの機能に出会し、設定したら1通のメッセージが残っていた。

2016年9月26日付

それは以前にお世話になったパラグライダー パイロット 竹田さんが亡くなったお知らせだった。

竹田さんとは同じ年で同じ石川県のスクール。一緒にネパールでトレーニングをした仲だった。

そのスクールのブログを見ることは殆ど無いのだが、以前に見たときに竹田さんの名前がスタッフから消えていたので就職でもしてスクールを離れたのだと勝手に思っていた。

そして今日。竹田さんが昨年9月に亡くなっていたことを知った。

9ヶ月前に・・・


同じ年だから45歳でこの世を去った事になる。

最後に会ったのは今から4年半前。

自分がプロのタンデムパイロットになる以前の3シーズン ネパールで一緒に飛んでいた。


あの頃ネパール で飛んでいた仲間は自分を入れて4人いたが、自分はパラグライダーから退き、亮さんは石垣島で家庭を持ち生活。そして竹田さんは亡くなり、丸山さんも・・・ 


中途半端には生きない。

悔いの無い人生。

あの頃の2人がもういない。


自分だけがここネパールで生きている。

命あるだけ。時間のあるだけ生きていく。

自分にはまだ時間が残されているのだから。




今月18日で9日目の閉店。

銀行に呼ばれ、戻って開店 準備 中に弁護士から電話・・・

送った銀行口座の履歴が読み取れない?

スキャンして確認して送ったのに何で?

だから原本を飛行機便で送るか確認したのに、スキャンでいいと言われた。

綺麗にスキャンしたのを送ったのに。

結局 空港に行って原本を送った。

そして、その道中に携帯電話を落として無くした。

探しても見つからず、電話してもスイッチが切られ、ここは拾われて返ってこない。

結局 新しい携帯を買いに行ったが、パスポートがビザ作成のため手元に無いのでシムカードが作れず、オーナー息子のをとりあえずパスポートが戻って来るまで借りることに。


ひとつの事を何度もやらないと進んで行かない。

その事を以前にも痛感したが、スタッフがいない中、それは店を開けられない事に直結している。

ずっとここに居られればこの時期 自分 一人でも何とかやっていけるが、これでは無理。

その道中に携帯も無くす始末・・・

今日だけで3万円以上の出費。

今月の赤字は開店当初を上回りそう。


経営者としての大きな間違いは、オフシーズン 支払いが大変でスタッフ分をカットしたこと。

感覚が経営者ではなく労働者。

将来を見据えての投資が出来ず、この数ヵ月だけを如何に乗りきるのか? しか考えられなかった。

自分で全てやろうとして、結果 スタッフ分を払った方が乗りきる事が出来ていた。

この物事が進んで行かないネパールで、全てを一人でやろうとした自分。

10月から始まるシーズンに向けてスタッフを探し、育てなくてはいけない。


カトマンズで初めて訪れたキルティプルの町。

カトマンズ盆地が見渡せる小高い丘の上にあるネワール文化の町。



カトマンズから戻り、今日はポカラでビジネスビザの準備・・・

銀行の対応といい、会社のハンコの件といい、今回のビザの件といい、どうにか出来てしまう、どこにでも出来てしまうネパール社会は良い意味でゆうずが効く適当さが、窮屈を感じさせない。

日本だったら会社のハンコ。大きさやデザインが全く一緒じゃないと無効だが、こちらは大体 似ていれば OKだった。

最近はパスポートは電子化されていて、以前は出来た新しいパスポートを作り直して再入国・・・ と言う裏技は出来なくなったけれど、まだまだアナログ。

何故 日本じゃなくてここに居るのか? 

その答えはハッキリしていて、自由が大きいのと窮屈感の少なさが、日本を出てネパールに住んでいる理由。


安定は無いけれど、不安で夜も眠れない日々だけれど。


「生」とは「時間」があると言うこと。

お金は又 何時でも稼ぐ事は出来ても、失った時間は二度と取り戻す事が出来ない。

その為には切り捨てる事。捨て去る事。

そして「ひとつ」に絞る事。

99は全く要らない。1だけ。

それが「自由」を手に入れる方法。

それは大多数の人とは違うから、周りは見も気にもしない。

「結果」は必ず出す。







今回カトマンズに来たのは、苦しくて悩ましいビザの件で弁護士と話し合う為。

ビジネスビザは投資ビザで自国から融資する意味でお金を計500万円(今回は150万) 入れなくてはいけない。

毎回 話を聞く度に変わるルール。そして今日 初めてネパールで稼いだお金で150万あればビジネスビザの申請手続きが出来る事を聞かされた。

何でもパラグライダー時代から長年ネパールで働いていて、納税証明もあるのでそれが可能だと言う。

違法ではないが正規のルールから反れた形でビジネスビザを作る事となり、根回し料+手数料+ビザ1年間代で15~20万円 払う事になる。

1年目が45万円で今回が15~20万円。

役人が3人 ビザ発行前に調査に弁護士と共にうちに来るのだが、その移動費+宿代+食費は全てこちらが払うのがネパールのルール。

日本人 感覚では信じられない事だが、これがネパール役人の感覚であり、国そのものを表している。


何故そこまでしてネパールに住み続けるのか?!


決めた事だから。


どんなことがあってもビザを取り続けて、覚悟を持ってこの地に住み続ける。
ポカラを離れてカトマンズに来て良かった。

今日ロータスで一風変わったコーヒーがあったので飲んでみた。その名も「ベトナム コーヒー」。

それは練乳が入ったコーヒーだった。

その味はまさに昨日 飲んだNescafe そのものだった。

練乳はここでも手に入る。これでスイート コーヒーメニューに確信が持てた。



そしてもう一つがコーヒーを使ったコーヒー ペインティング。



これはカトマンズにあった訳ではないが、日常の普段には無い時間がここに出来、その中でネットの中で出会った。

うちの壁ペイントも最近描いてもらった「Barista Kazu」の字も知り合いのアーティスト軍団に頼んでいる。

彼等が描いた絵をうちで展示販売する話もある。

以前からアートギャラリー兼 販売の構想があったし、十分なスペースもある。

今はハンドメイドの籠だけだが、そこにこのようなコーヒー ペインティングの絵を展示 販売出来れば更なる他との差別化にも繋がる。

コーヒーハウスで鑑賞、購買出来るコーヒー ペインティング。

他のカフェには存在しない!

早速 ポカラに帰ったらアーティスト軍団に話を持ちかけてみる。


最近になって見かけるNescafeの新商品。

インスタントコーヒーの定番 Nescafe インド版とはどんな味なのだろうか?!

と言う事でカトマンズへの道中で買って飲んでみた。


左からカプチーノ風味、ヘーゼルナッツ風味、ラテ風味。

これらを飲んで何故インド人がうちのアイスコーヒーを飲んで美味しくない!と言うのかがわかる。

3種類 共に共通しているのがこの容器180mlの22%が糖分だと言うこと。

飲んで感じるのが練乳とココアにコーヒーの香り。

日本で飲む「コーヒー牛乳」の倍の甘さ。

コーヒーと言うよりはコーヒー味の香ばしくて甘い飲み物。

でも・・・ 美味しい。この量なら自分も飲める。

そして何よりもアイスコーヒーの存在をインド、ネパール人に広めてくれる存在をなのが一番嬉しい!

これがここでのコーヒーの味。

日本もコーヒーが今ほど一般的な飲み物でなかった時代、あの甘いコーヒー牛乳が一世をふうびした。甘いコーヒーガムもそうだった。

そして今では無糖、微糖が一般に普及している。


アイスラテよりもチョコレートの入ったアイスモカ。それよりもアイスクリームをブレンドしたフラッペの方がインド人が美味しいと感じるのも分かる。


アイスコーヒーそのものを2種類に分ける考えが浮かんだ。

インド、ネパール人向けの甘いアイスコーヒーと本来のアイスコーヒー。

アイスコーヒーはダブル エスプレッソを使うのだが、甘い方にはシングル エスプレッソを使って50円 浮く料金を練乳等の糖分に当てる。香りや風味だけならシングルで充分。結果 同じ料金で違った物が提供出来る。


アイス ラテ / スイート アイス ラテ
アイス カプチーノ / スイート アイス カプチーノ
アイス モカ / スイート アイス モカ


基本 甘いコーヒーが好きな人は本当のコーヒーの味と言うよりはコーヒーの香り、香ばしさが仄かに口に残る方が美味しいと感じる。

もちろん 欧米人や本当のコーヒーが好きな人は従来の作り方でいい。

最近ネパールに登場したインスタント アイスコーヒーの存在は文化を変えていくアイテムに役立つ。

いずれは微糖、無糖も好まれる時代は必ずやって来る。

それは時代の変化、発展に伴って。










6月10日。

土曜日と言うこともあるが物凄い人の数だったはず・・・

フラフラになりながら店を半分 閉めながら。でもインド人は隙間から入ってくる。

結局 午後4時に雨が降ってきて、体力的に限界だったので店も早々に閉めた。

昨日も4時に閉めてたな・・・

明日から最低でも3,4日店を閉めるし、今月は赤字だろうが、確信 出来る事もある。

コーヒーだけしかやらないのはマイナスではない。逆にそこを極めることは他との圧倒的な違いになる。

ボードの一番上に写真と載せたモカ フラッペ。

うちでは一番高い商品だが、そのボードを目線の高さに置いたら今日 一気に10杯 以上 売れた。

フラッペは最も手間が掛かるから大変だけれど、高い商品でも売れる。


自分のお客さんの質 = 自分のビジネスの質

だから敢えて一番高い商品をアピールするべきであり、そこに合うお客さんとビジネスするべき。

安い物をアピールして気を引こうなんて、その時点で考え方が違う。


別に朝早くから夕方遅くまで店を開かなくても、特徴があるビジネスは短時間で他よりも売り上げを上げられる。

Doppio に Black eye に Lungo 

???

でいいから、1%の人でいいから、周りに合わせない事だ!!




Black eye はドリップコーヒーにダブルエスプレッソを加えたもの。

カフェインが強烈でお酒で言うところのウオッカ。

普段 コーヒーを飲まない人はフラフラになる。



変化ふたつ。


ひとつは写真付きのメニューボードにしたこと。

自分が個人的に売りたいもの。

フラッペ

アフォガード

かき氷

クリーム ソーダ

そして、アイス ラテ アイスクリーム載せ


一番 高い モカ フラッペ 310円を一番 上にしたのは、敷居を上げるため。

基本 普通のネパール人はうちには入ってこない。



ふたつめは自分の名前 そのものを飾った事。

「バリスタ カズ」

バリスタとはコーヒー シェフ。コーヒーを淹れる職人だが、「バリスタ」と言う言葉を知らない人は多い。

あえて専門用語を使っていく事で専門性を表す。

お客にならない人はならなくていい。

これで中途半端な仕事は出来ない。


ポカラやカトマンズ以外のネパールでコーヒーを頼めば砂糖たっぷりのミルク コーヒーが出てくる。

ブラック コーヒーと言う概念がない。

そして砂糖が入らないコーヒーと言う概念もない。


他の国のお客さんは砂糖入れ、砂糖なし、ブラック、ミルクは6:4でブラックと砂糖なしを飲む人が多いのだが、インド人とネパール人は1:9でミルクと砂糖が入らないと飲まない人が圧倒的に多い。

だからミルクが無くなった時点で閉店・・・ になる。

本当に好きな人はブラックを飲む。砂糖なしで。だからこれはコーヒーが好まれていない、味が知られていない、文化にない証。

先ずはブラックよりも先に砂糖の度合いを何とかしないと!

あんなに砂糖を入れたなら、コーヒーの味などしない。

そして健康にも良くない。


インドのお菓子は砂糖よりも甘いのだが、あの体型を見ても砂糖の取り方は国家レベルの問題になってもいい。

おやつに砂糖をボリボリ食べる程の習慣なら仕方がないのだが、そんなインド人 、ネパール人はいない。

経営する立場からすれば、砂糖は入れて2袋まで。1カップに砂糖を4袋も5袋も入れられては砂糖代がかさみ、コーヒーの値段を上げなくてはいけなくなる。

そしてテイブルに散らばった砂糖の後片付け・・・

砂糖問題はここ特有で、他国の人とは明らかに異なるものです。




知らなかった・・・

そして気付かされる。

この世の0.000000000000000000000001%の人しか、事しか、出会っていない、知らないことに。

それが未来にはある。

過去はこの値に過ぎない。

学校を卒業したらこうだからね!


インディア・・・・

私の大好きな国だが、日本人からすると何て恥さらしな人々が多いのだろう!とインド人シーズンの今 実感する。

自分は日本で育ったので感覚は一生 日本人。

インドでは普通のことでも、日本人には恥に感じられることは多い。


何であんなに食い散らかすのだろう・・・

インド人が去った後のテイブル、床は赤ちゃんの食べ跡と全く同じで日本人には真似出来ない。


何で食べた後に値段について文句を言うのだろう・・・

度ケチと言うか、エフカシー(自己達成能力への評価)が低いと言うか、女々しいと言うか。


何でまるで映画スターのように自分の顔写真を何処でもいつでも撮るのだろうか・・・ 彼等のFacebookは自分の顔の写真ばかり。

これはネパール人にも言えることだが、日本人を含め欧米人もそんな事はしない。


正直 笑ってしまえる程に違うから、いつも笑って終われる。

あと体力がまるでないから、道中にあるうちの椅子はインド人で占拠されてしまう。

体育も部活動もないから、運動は全くしないし、体型も全く気にしない。


本当に自分は全てが真逆のインド人が大好きで、恥知らずだとは思うけれど、対局にいる彼らを眺めているだけでもここに居る価値がある。

ネパールを選んだのも日本とは全く違うからだし・・・

ネパールに住むのもインドに住むのも変わらない。

あと4年と3ヶ月ここでビジネスの勉強をして、さて何処に行こうかな?!



ビジネスをする上で、店には色々と何でもあることが重要だと思っていた。

しかし、その考えは今はない。

「ESPRESO」を中心とした「認識」を変えていくひとつの世界へ。

ひとつの文化がネパールに広まり、コーヒーと言う道具、嗜好品を超えて新たな認識が人々に生まれていくように。

そこにはネパール人の定番の物は必要ない。






うちに来た鈴木さん・・・  60代後半だと言うが全く体力がなく、歩いて3分の日本寺さえ行けずに3晩 停まって昨日 レイクサイドに移られた。

??? てっきり歩いて回って調査されると思っていたが、ずっと資料を作成されているようだった。

食もかなり細く、本当に60代? と思うほど。

うちの父親も60後半だが、全く違って動き回れる。いや・・・ 止まっていられない人。


鈴木さんもそうだが、よく年配の方でネパールに支援に来られる人に出会う。

この国に住んで分かることがあるが、自分がやりたいことは彼等とは違う。

やっぱり認識を変えないと、見ている景色を変えないと、物事は変わっていかない。

その為にここでビジネスをしている。

支援ではなく「変革」を示す。

全ては変わり続けているのだから、変わっていかないと未来はない。

自分も。
  
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プロフィール
HN:
kazu
年齢:
52
性別:
男性
誕生日:
1971/09/08
職業:
パラグライダー
趣味:
たそがれ、物想い、静寂、心穏やか、不安、楽しむ
自己紹介:
Kazu
Japan spirits and pride
Professional tandem / Adventure pilot

世界最高峰のヒマラヤ、神の国ネパールで生きていく為に始めた空飛ぶ道具パラグライダーでコマーシャルタンデムをやっています。夢は神の山マチャプチュレへの冒険フライトに挑戦すること。
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