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その人が何処から来たかなど、どうでもいいではないか。 どんな地位にあるか、どんな功績があったのか、どんな血筋を引いているのか、など全くどうでもいいではないか。 ただ、その人の行いを見よ。 今ここに於いて、何をするのかを見よ。 行いが正しく、羞恥があり、身と心を慎んでいるのであれば、その人は生まれがどうあれ、今から高貴な人ではないか。

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無事にカトマンズに到着しました。

荷物もレーからカトマンズまでダイレクトに届き、飛行機が遅れる事もなく、帰りは何事もなくネパールに帰って来ました。

今日は雲ひとつない空の中、窓際の席からインドの大地をずっと眺めていました。

川が蛇行し続ける景色や、茶褐色の大地に一部オアシスの様に広がる緑。

そしてインド上空から、アンナプルナ山系やマナスルを確認する事も出来ました。

あんなに遠く(1000km彼方)からアンナプルナを見たのは初めてでしたが、あれがアンナプルナである事は、ヒムチュリーやマチャプチュレ、ダウラギリの形でハッキリと分かりました。

そしてあの下が我が街 ポカラ…

ポカラは雲海の下に隠れていました。


遥か彼方にアンナプルナが見えました!(分かる人には分かるが… I phone の写真では限界 )


ネパール上空になると、インドのヒンドゥスタン平原とは打って変わり、山岳地帯に… その盆地にカトマンズが見え、ネパールに帰って来た実感が湧きました。

空港から宿に向かう道中、その景色や人々を見て、ホッとする…

間違いなく、ネパールは今 自分の生きる場所であり、人生の舞台です!

ありがとうネパール!

また宜しくね!


Ps. カトマンズに着き、ひとつ気になっていた事がありました。

それは2月に倒れた丸山さんの事です。

インドに行く前は、まだカトマンズの病院に入院している… との返事でした。

4日間ほどビザの件でカトマンズにいるので、病院が分かれば一度 お見舞いに行こうと思い、大使館の人に状況を聞いてみました。

丸山さんは1週間前に、お医者さんと看護婦さんが付き沿う状態で、日本へ搬送された… との事です。

今は大阪の病院に入っていて、お母さんからの連絡では、ネパールでは会話出来なかったのが、今は少し話しが出来る状態になったそうです。

倒れてから既に3ヶ月半…

日本に戻る事が出来、こちらも少しホッとしました。

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ラダック最終日は朝の瞑想の後は、楽しくおしゃべりをして終わりました。

予定では、昼、夜、と更に瞑想をするはずでしたが、昼は別のお寺に行き、ラマと2時間の仏教&世間話し。

その後はたまたまその日から来ていた、日本のマダムとずっと話しをしていました。


サンティ ストッパの僅か50m下にある小さなお寺。


そこにはこれまで見た事がない、美しい顔をした、癒し系 仏陀がいました…


ちなみに、こちらが瞑想道場の仏陀。
癒し系とは反対で、睨みつけています…


サンティ ストッパの宿坊に泊めてもらう予定でしたが、このストッパの主であり、インド在住 日本人 僧侶の知り合いである、日本のマダムが来るという事で、ついでに? ツーリストは泊まる事の出来ない別室に、食事付きで泊めてもらう事になりました。


寝室


食堂


主である、日本の僧侶が描いたもの多々。








日本のマダムは夫の転勤で、インド デリー在住。家賃はインドで30万… 以前はインドネシアに… 9月には夫に辞令がでて、インドから東京に戻るそうです。

インドのボリウッド映画で見た、ラダックの湖の美しさに惹かれて、是非インドにいる間に訪れたい! で1週間の1人旅です。

その映画の影響で、ラダックはインド人観光客が増えている… と言っていましたが、ストッパで瞑想していても、インド人観光客の波は絶えませんでした。

映画の影響もあるでしょうが、12億のパワーは凄いデス‼

最後の方は、賑やかな中でも瞑想が出来る様になりました。

インド人 万歳‼

ポカラでボリウッド映画の撮影があれば、シャル カーンやカトリーナ カイフが来れば、ポカラもラダックの様になる? かも知れません。


世界の5人に1人がインド人で、1人が中国人… その間に挟まれた国。

観光立国として、凄く恵まれた場所にネパールはあります。


自分がいない間も仕事は忙しい様で、6人のパイロットは休み無く働いている。
休みが欲しいので、早く戻って来て… とのメールが届いていました。

仕事がある幸せを感じています。

感謝の気持ちで、ラダックを後にします。


サンティ ストッパのライトアップ

ラダックの旅も、明日が最終日となりました。

明日の最終日は、サンティ ストッパに泊めてもらい、1日 ストッパで過ごす予定でいます。

そして明後日の朝にラダックを発ち、飛行機でデリーへ。
同日 夕方にはネパールのカトマンズへ到着予定です。

カトマンズでは問題のビザの件で、3〜4日滞在して、政府のインタビューを受け、順調に事が運べば、6月3日にポカラに帰れる予定です。

そして6月4日から日本へ戻るまでの間は、今シーズン最後の仕事納めをして、ビザが貰え次第、日本へ一時帰国します。


もうこの地 ラダックを離れれば、ラダックは過ぎ去りし日々になるので、過去になり、自分にとっては重要ではなくなります。

下ラダックの旅を更新して、あとは時々 触れるだけになります。

しかし自分にとって重要な旅になった事だけは確かです。

知識のような「得たもの」、形ではなく、智慧として「成ったもの」、無形は消える事はない。


大切なひと時を、ここラダックで過ごす事が出来ました。

ありがとうございました!


ネパールのカトマンズに着いたら、また報告致します。


KAZU (Buddist)
2014 5/28 ラダック レー にて。

インターネットで上ラダックの旅の模様を送ろうとしたが、3度も途中でフリーズし、1時間も費やしたが、結局 諦めた。

I phone がフリーズするのは初めてであり、3度も続けてもう少しで終わる… その直前でのフリーズ。

原因は標高が高く、気圧が低いから、写真が増えるとI phone が動かなくなる? だと思う。


しかしこの件がきっかけで、「覚り」に至った。


朝2時間のメディテーションを終え、心穏やかに向かったインターネットで、3度のフリーズで人の心とは別ものに変わってしまう…

1度、2度目はまだ自分の心を納める事は出来た。きっとI phone画面に貼ったフイルムが古くなり、汚れているのが原因だろう… そう考え、フイルムを剥がして3度目やり直した。

しかしそれでもフリーズし、自分の中に苛立ちが現れ始めた…

客観的に自分は見えてはいる。しかし一度 現れた苛立ちは、納めようとしても心はなかなか平常には戻らない。


しかしこの件で、全てのからくりが見えて来た。


仏教では少欲知足を説きます。

仏道は小欲の人のものであり、多欲の人のものではない。

仏道は足りることを知る人のものであり、不満な人のものではない。


また仏教は「捨てる道」を教えます。

「得る道」は、依存を増幅する道であり、「捨てる道」は自由を獲得する道であると。


何かを得る道ではなく、ものから離れていく道。

足りないから満たそうとするのではなく、ものがいらないということで、心を満たす道がある。


もしインターネットがなければ、この件の苛立ちは生まれなかった。

もし車がなければ、スピード違反や駐車違反での苛立ちが生まれる事もない。

テレビがなければ、途中で終わってしまう野球中継への苛立ちや、見逃してしまった番組への苛立ちも生まれない。

もし電気がなければ、停電への苛立ちも生まれなければ、政府への不満も生まれない。


ものがあるから、そこから苛立ちが生まれる。

苛立ち、怒りは、それがはけ口となり、関係のない事にまで、その炎は飛び火していく。

一度 怒りが生まれると、慈悲の心は完全になくなり、周りを見渡す余裕すらなくなってしまう。


何故 仏教はものへの依存を嫌うかと言うと、ものに頼って生きる事で、そのものの多さに比例して、苛立ちや怒りが生じるからだ。

そして慈悲の心が消えたなら、人はより自我が生まれ、世界は狭くなり、それはより苦しみの世界で生きていく事になる。


町を行き交う人々を見ていて思う事は、人が多ければ多い程、人には自我が芽生える… と言うこと。

これは本能的な自己防衛だろうが、村では気軽に挨拶出来ても、町では出来なくなる。

都会になればなるほど、殺伐とした雰囲気があるのは世界共通。

これは人間の自我、これが本能的に自己防衛する為に生まれるからだろう。


仏陀の解いた「無我」は、人里離れたような場所では、理解し易く、難しい事ではない。

それは町と村での対人関係を見れば、容易に分かる。

人々が助け合う村と、個人 個人がバラバラな町。

無我 = 慈悲 は村にあって、町にはない。


ならば多くの人々が暮らす都会では、何が大切なのか?


それは「気付く」と言うこと。

自分の心のからくりに気付く!

その為には、人は客観的でなくてはならない。

自分中心の自我の世界。その狭い世界にいては、それに「気付く」ことは出来ない。


インターネットや電気機器がどういう物か? 気付いている!ということ。

車に乗る事がどういう事なのか?

テレビというものが、どういう物なのか?

電気があるということが、どういう事なのか?

気付いている!という事。


そしてラダックの旅 最後で、自分の中の核になる「覚り」に出逢えた。


人は生きている以上、どんなに心を納めようとしても、しなくても、何かに対する憤り、苛立ち、怒り、が芽生えてしまう。それほどまでに心の動きは早い。

仏陀が「怒りは大敵」である事を覚ったのも、彼が人間だからであり、その感情に苦しんだから。

2012シーズン。ネパールで働き始めて何度となく現れた怒り。

その怒りに苦しみ、自分が嫌になったあの経験が、今シーズンの「覚り」、仏陀への教えへと繋がった。


そして今 思うに、怒りを納めようとしても、それは難しい事であり、大切なのは「今、ここ」の感情(自分自身)に「気付く」こと。そしてその原因を知ること。

自分を観るということ。

そこに集約される。


「すべては変わり続け、過ぎ去り、移ろいゆく」


これからの人生の核となる、ひとつの「覚り」が生まれた。

2日間の上ラダックの旅から帰って来ました。

自転車を選択したのは失敗でした…

とにかく穴(ケツ)が痛い!そして風が強い、息が直ぐに切れてしまう…

自転車のハンドルのセッティングが高く、しかも5〜6kgの荷物を背負って行ったので、バランスが後方に来て、体重をお尻(恥骨)一点で支える事になり、自転車に乗っていても、全然楽しくない… 穴が痛くて痛くて、苦痛でしかなかった。

ハンドルが高いと腕の力も使えないし、立ちこぎも足だけの力になり、お尻を浮かして乗りたくても、長く続けられない。

何より重心が腕にかからないのでお尻だけにかかり、穴が痛い!何度も言いますが、穴(恥骨)が痛くて痛くて、ヘミスへ行く戦意は無くなりました。

50km… 楽勝じゃん!3時間もあればいいか… は全く違いました。

3500〜3700mの標高や風の強さ、そして穴の激痛… とんでもなくキツかった! 歩くより自転車の方が大変でした。


今回借りた自転車(Trek4300)。


初日は14km先のシェイ ゴンパ、34km先のマト ゴンパ。2日目は戻って22km先のティクセ ゴンパ、そしてダライ・ラマが来た時に滞在するチョグラムサーに寄って帰って来ました。


初日に訪れたシェイ ゴンパは、500年前に今の州都レーに譲渡されるまで、ラダックの州都だった場所で、かつての王宮が在り、500年間 放置されたら、形あるものがどうなるのか…? がそのまま目に見える形となって分かる場所です。



500年… 今42歳の自分。同じ42年を12回繰り返すと500年… そう考えると、500年は決して長い歳月ではない。


500年前まではこの地に家々があり、沢山の人々が暮らす州都だったシェイ…


今は田畑となっているが、人々の営み、牛や馬が草を食べる風景は500年前と何ら変わらない。



シェイ ゴンパには巨大 シャキ トゥパ大仏がいました。


両脇を飾るのは、仏陀に仕えた弟子か…



シェイ ゴンパ



シェイ ゴンパからの眺め。



その後はマト ゴンパを目指しましたが、10kmダラダラと上り坂が続き、自転車で10km走るのに2時間もかかってしまいました。

しかもマト ゴンパのラマ(僧侶)は誰も居なく、結局 境内に入る事が出来ませんでした…


マト ゴンパ


マト ゴンパには30人以上いるラマがいるそうですが、全てのラマがレーに行っているとの事。

近日に迫った大切な式典の為、ラダックのラマ達は今レーに大集結しています。


レーのお寺では毎日、ラダックから大集結したラマ達のプジャ(お祈り)が行われています。


マト ゴンパのお寺の扉は、閉ざされたままでした… 残念。


マト ゴンパからの風景


マト ゴンパ、美しい風景…
2日目はティクセ ゴンパを訪ねました。

このティクセで計17番目のゴンパになりますが、これが今回の旅 最後のゴンパとなりました。


このティクセ ゴンパは、小高い丘にそびえる様にゴンパと僧房が建っていて、その様はまるで山岳都市のようです!


今まで見てきた中で、最も美しいゴンパ… でした。


角度によってその姿を変え、どの角度から眺めても美しい!














ラマ(僧侶)の数も80人近く、ラダック最大のヘミス ゴンパと同じだそうです。


朝は6時から勤行に参加させてもらい、勤行は1時間で終了… その後は境内で1時間の瞑想を行ないました。

ティクセでは朝の勤行は毎日だそうですが、全てのゴンパで毎朝 勤行が行われている訳ではなく、ラマの数が多い大きなゴンパは毎日ですが、ラマが2〜3人しかいない小さなゴンパでは行われていないのは、人数が減ると規律が緩くなる… 行わなくても、誰にも指摘されない… ??

主要な大きなゴンパの方が、規律が厳しく、ラマの姿勢にも違いを感じます。



ティクセ ゴンパ境内


境内には沢山の仏陀が…










別の境内には1階から2階にかけて、高さ12mの巨大 チャンバ大仏。


34年前に30人のインド職人によって、3年間かけて作られました。


今まで見た中で、最も美しいチャンバ大仏です。

チャンバ大仏は別名フューチャー ブッダ、未来の仏陀です。


最後が最も美しいゴンパで、朝の勤行にも参加出来、沢山の仏陀、美しい未来の仏陀にも逢えて、このティクセでゴンパ巡りを終えられた事は幸せでした!


ゲストハウスへ戻る途中に、小さな仏陀を発見…


どうしてこんな所にポツンと仏陀が?

裏に回り、その理由が分かりました!


仏陀の目線にはティクセ ゴンパが…

ゴンパを優しく見守る仏陀がここに居ました。



レーへの帰りの道中に立ち寄った、100を超えるチョルテン(仏塔)の数々がある広野。






チョグラムサーには新たな仏塔、お寺が建設中の広大な敷地があり、多くのインド人が働いていました…





きっと10年後には完成するであろう新たな仏塔も、500年後、2500年後には遺産となって、多くの人々が訪れる場所になるだろう…


500年前の仏塔が、今ここに在る様に。

2500年前の仏陀の教えが、今も受け継がれている様に。


全ては移ろいでゆきます。
ラダックでの残りの日々は、朝夕はメディテーション。
2時間歩いて4時間の瞑想。

その他は自由時間に充てています。


今日を入れて残り3日間ですが、モンク(僧侶)とも顔なじみとなり、最後の日はサンティ ストッパの宿坊に泊めて頂く事になりました。


ラダック最後の日は瞑想の時間も長くして、1日思い残す事なくサンティ ストッパで過ごし、この地を後にしたいと思います。


歩く以外、特別な事は何もしなかったラダックでの滞在でしたが、移ろいゆく心の在り様と、移ろいゆく形あるもの、移ろいゆく時の流れ…


仏陀 最期の言葉

「さあ、修行者たちよ。おまえたちに告げよう。もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなくこの瞬間、次の瞬間、今何をすべきか気付くと共に、その修行を完成させなさい」


変化しないものは、この世に存在しない…

そして在るのは過去でも未来でもなく、今この瞬間があるだけ…



「すべては移ろいゆく」

この言葉の中に、「生きることとは…」その意味がある。

それを感じた今回のラダックの旅でした。



Ps 上ラダックの旅については、写真が多いから?なのか、気圧が低いからなのか?I phone で送れないので、また後でトライします。
この旅で17のゴンパを訪ねてきました。

そこで多くのモンク(修行僧)に会う事が出来ました。

沢山の子供達から老人まで。

リゾン ゴンパの近くには、女性限定のお寺もあり、数は少ないですが、女性モンクにも出会う機会がありました。

モンクとて人間であり、人それぞれ雰囲気は違いますが、仏教の修行の目的は人格形成なので、その中で生活している彼等は、町ゆく人々とやはりどこか違いを感じます。


昨日までレーでは、大事なお祈りがあり、ラダック中からモンクが大集結していました。

私もその寺に行って来ましたが、沢山のモンクを見る中で感じた事は、皆が個性的である事です。

同じ髪型、同じ服装であるのに、その個性がハッキリと見て取れる。

それは人は皆 体系や顔立ち、心の有様が違うからです。

人にはそれが現れている。
それが各々の違い、個性となって見て取れるのだと思います。

髪型や服装が個性では無い事は、客観的に見れれば分かる事であり、モンクはそれを証明しています。

町ゆく人々よりも、同じ髪型、同じ服装をしたモンクの方が、より個性的に見えてくる…


失礼な言い方かもしれませんが、本物はかっこいい!

それが多くのモンクを目の前にして感じた、率直な感想でした。

「何もしない」という究極が瞑想 (メディテーション)になる。

何もしない… という事は、普段あり得ない!

何もしない… と言っても、テレビを見ていたり、お菓子を食べていたり、あれこれと考えていたり、寝ていたり… 必ず何かをしている。


「何もしない」という時間は、普段 生活していてあり得ないからこそ、あえて何もしない時間を作る… それが瞑想 (メディテーション)になる。

「何もしない」時、人はどういう状態になるのか?

目の前に現れてくるのはただひとつ、その時の「自分自身」、その「心」の在り様だけが現れる。

だから瞑想 (メディテーション)と言っても、毎回違い、同じ心は現れない。
それが「今」である。

焦って、悩んで、苛立って、落ち着きを保てない人は「何もしない」行為、瞑想 (メディテーション)はやっても出来ない。


仏陀の瞑想とは何か?

それは「生きることとは何か」を発見する事であり、「今、ここ」の自分自身に気が付く事であり、自分の心を観る事。

それが出来るのは、「何もしない」事で自分自身と向き合う時間…

感じる事は、これをする事で、焦り、苛立ち、悩む人間ではなく、心を納め、落ち着いた人間になれる。

それが瞑想 (メディテーション)になる。

明日、明後日は自転車で上ラダックへ行って来ます。

シェイからティクセにかけて、広野に数キロに及びチョルテン(仏塔)が続いている… そこでグライダーを使って何かしよう!と考えていましたが、気持ちがそこに向かわないので、今回は余計な事をするのは止めます。

何処かに登って飛ぶ気にもならなかったし、結局 今回は一度ラマユルでグライダーを広げただけでした。

吹き下ろしのメチャクチャな風で、グラハン(グライダーを使って、地上で遊ぶ)も危険を感じて、直ぐにやめました…

最初に地図を入手し、何処を飛ぶのか?計画を立て、飛ぶ目的で来ないと飛べない場所ですね。

スケールが大きいので、山を登るのも日にちがかかるし、季節は春なので、天候、風共にコロコロ変わり、飛ぶのならば7、8月の夏だと思います。

グライダーは重り?として、歩く苦労に役立って?くれました。

今回は目的と気持ちにグライダーが伴いませんでしたが、背負って歩いただけでも価値があったと考えています。

ただ仕事としてグライダーと携わっているので、長い間 グライダーに触れないのは感覚としてよくない…

今回 出来なかった分は、その他の時間でしっかりとやります。


明日からはグライダーも持っていかないので、予定より多くのゴンパを周りたいと考えています。

またレーに戻ったら報告します。



山は雪景色… 20日前にレーに到着した時よりも、今の方が断然 寒い!天気がイマイチで、日射が弱い日々が続いています。
子供の頃はよく頭を巡り、不安に駆られた想いがあり、今でもそれを感じる時がある。

「一生この自分という意識は、この身体の中でしか存在せず、他の誰にも移り変われないものであり、それは誰もが同じ定めである。

誰かを選ぶ事も出来なければ、移り変わる事も出来ない。

その上 無意識の中で人は、何かをしなければいけない… との思いの中、目的なく走り続けている。

一生、私は私でしかあり得ない… 生命としての虚しさや不安、定め。

組み込まれた遺伝子、本能によって、自分、私という形の中で、焦りながら何かを探し、走り回っている…

それが生命としての本質である。 」


無意識の中にある、この苦しみの答えが、仏陀の教えの中にはある。

「生きることとは…」を解いた仏陀。


「無常」と「無我」は必ず誰もが死ぬ時に遭遇する。

自分の痛みや体の感覚、不自由である事などを感じた時、これまで生きてきたのに、全ては自分から離れていくと感じる最期、人は必ず「無常」と「無我」に遭遇します。

そして「何を得た」とか「何を成し遂げた」とか、「どういう評価があるか」など、自分の幸せと全く関係ない事に気付きます。


主観 = 自我 = 私、自分が中心の世界であり、その中で生きている以上、その存在の苦しみが生まれて来る。

しかし客観的に物事を見る事が出来れば、それは幻想に過ぎない事か分かる。

そしてこの世の中の全ては因果関係で繋がっていて、例え出会う事のない人々であっても、「今」という中で繋がり続けている。

それは動物、虫達、草や花や木や、全ての生命に於いて同じく、繋がり続けている。

自分の幸せを願うのであれば、「生きとし生きるものが、皆 幸せである事を願う」

この慈悲の心… これこそが、子供の頃から考え続けた疑問への答えとなっている。

そして他の生命に対して、どの様に役に立てるのか? それが仕事となる。


生きとし生きるもの全ては、繋がり続けている… これが「私」や「自分」= 「自我」を離れた、「無我」の姿でもあり、人格者として幸せに生きる答えにもなる。


サスポールの洞窟


洞窟に描かれた仏陀の壁画
ジュレー! と挨拶を交わすのも、あと1週間です。

あと1週間… 自分がどうしたいのか?

メディテーション! 瞑想です。

瞑想する事で、心穏やかに、焦る事なく、落ち着いた人間、落ち着いた日々を送る事が出来る。


ラマユルまでの下ラダックは、ほぼ全てのゴンパを訪ねましたが、まだ上ラダックが残っています。

上ラダックにも沢山のゴンパがありますが、その中から3〜4ゴンパを訪れる予定です。

1番遠いヘミス ゴンパで41kmしかないので、時間や行動に自由のないバスでの移動ではなく、自転車を借りて旅する事にしました。

上ラダックの旅は自転車で、1泊2日で周る予定でいます。

そして残りの5日間はレーに滞在して、仏陀を前に瞑想できる理想的な場所、サンティ ストゥーパの瞑想道場とお寺にて、早朝と夕方に1日計4時間 瞑想を行います。

5日間の瞑想で、自分に更にどんな変化が起こるのか?

中道の精神で、無理する事なく、ラダック最後の1週間を過ごしたいと思っています。


サンティ ストゥーパ


瞑想道場


瞑想道場の仏陀


お寺


お寺の仏陀


サンティ ストゥーパの仏陀


涅槃寂静
今日5月21日、15日間に渡るラマユルの旅からラダックの州都レーに戻って来ました。

予定なんて立てるものではないですね!

7日間の予定でしたが、倍の15日間の旅となりました。

初日、2日目で膝を痛めてしまい、様子を見ながらの歩きでしたが、膝も良くなり、ラマユルまでの170kmを歩き通す事が出来ました。

目的であったゴンパも10の村を訪れ、14ゴンパを訪ねる事が出来ました。

毎日 日記は書き溜めてあるので、またネパールに帰ってから更新する事になると思います。

明日はレーに滞在して、明後日からの残り7日間をどうするのか? 決めます。



今回の写真を6枚と、旅の中で書いた「仏陀の言葉とは… 」を紹介します。



チベット仏教の旗「タルチョ」


今回 歩いたパキスタンに繋がるハイウエイ


インダス川


リゾン ゴンパ


ティミズガム ゴンパのチャンバ大仏


ラマユルの山での瞑想
仏教の教祖、生みの親である仏陀は、2500年前にネパールのルンビニ村に、シャカ王国の皇子として生まれ、なに不自由なく王宮の中で生活していました。

しかし王宮の外に出て、人々の生活を真近で見る事によって、この世の現実を知る事となります。

人は生まれもって、皆が平等ではないのか?

人は誰もが老いて、病に伏せ、死んでいく定めなのか?

この世の生き物は、互いに命を奪い合わなければ生きていけないのか?


この世の不条理、苦しみ。生きる事の真理を探るべく、覚りの旅に出かけます。

その旅はインドのガンジス川流域に及びます。

当初はほとんど飲まず、食わず、山に篭る苦行で死ぬ間際まで衰弱しましたが、何も覚りに至る事は出来ませんでした。

苦行では覚りに至る事は出来ないと判断し、山を下り、ブッダガヤの菩提樹の下で静かに瞑想に入ります。

そこで「生きる事とは?」その縮図、その意味、その因果関係、その答えを導き出す「覚り」に到達したのです。その時36歳。


世界で初めに覚りに至った人、「仏陀」の誕生です。


当初はその教えを、世間に広めようとはしませんでした。

それは余りに綿密で、世の中の欲に駆られた人々に伝えても、理解できるはずもない… そう思ったからです。

しかし梵天(ぼんてん)様に「もしあなたが死んでしまったら、せっかく覚りに至ったその内容を、誰にも知らされる事もなく、地に伏せてしまう…」「どうか分かりやすく、私達に教えて頂きたい…」と願われ、7日間の沈黙の上、ようやく広める決心をしました。

一度ルンビニ村へ帰り、出家し、置き去りにして来た妻と息子に事情を説明し、別れを告げ、その後は「覚り」の布教に半生を費やし、サルナート村で生涯を終えます。
80年の生涯でした。


その後 仏陀の教えは、インドの北と南に伝わっていきます。

南に伝わった仏教は、初期仏教の形で伝わりましたが、次第に勢力は弱まり、衰退して行きます…

仏陀の教えは、普通の人々には少し厳しい面もあり、ヒンドゥーの世界には広まらなかったのではないか…

今では日本人僧侶が先頭に立って、インドでの仏教の布教に力を注ぎ、仏教人口も増えつつあります。


北に伝わって行った仏教(北伝仏教)は、形を変え、大乗仏教としてチベット周辺へ伝わり、その後は中国で儒教の影響も加わり、仏教は神様信仰、願い乞う形へと変わっていきます。

日本の仏教はお葬式仏教と言われますが、先祖崇拝を重んじる形で伝わって来ています。

これは儒教の影響ですが、仏陀は「出家」した身であり、家を出て縁を切っている立場であり、初期仏教は先祖崇拝とは180度違ったものでした。

日本には仏教の宗派が幾つもありますが、仏陀が広めた初期仏教とはかなり形を変えて来ている…

仏陀の言葉とされている般若心経もまた、後世の人々によって着色され、書かれたものです。

色々な仏像がありますが、永らくの間 仏像は作られませんでした。

それは仏陀が、自分が神として拝まれる事を嫌ったからであり、拝んでも人格は向上しない!と教えていたからです。

数百年の時を経て、今のパキスタン近辺 ガンダーラ地方で、荒れ果てた世の中の苦しみの間で、今一度 仏陀に救いを求める想いが広まり、その中で仏陀を形にした仏像が初めて作られました。

ちなみにラダックはガンダーラ地方のすぐ隣りです。

仏像に向かって拝む行為もまた、その当時の世の不条理の間から生まれた行為です。


自分が読んでいる「仏陀の教え 1日1話」を書いているスマナサーラさんは、初期仏教の伝道に人力されている僧侶であり、仏陀の教えが分かりやすく書かれています。

これを一年間、何度も読んでいますが、分かりやすく「仏陀が言いたかった事とは?」を現すとするならば…


この世は常に移ろい行き、変化し続けている。

変化し続けているからこそ、私達は存在しえるのだ。そして消えゆく定めなのだ。

そんな存在の私達が、何かに拘り、苦しみ、悩み、生きていく事は、バカバカしいとは思わないだろうか…

過去に囚われる事なく、未来を憂う事なく、「今」だけを幸せに生きる。

そして生きとし生きる物が、幸せでありますように… と慈悲の心で願い続けよう。

その想いが唯一変わらないもの、その人の人柄「人格」となり、その人を守る事になるだろう。

「無常」とは、全ては移ろいゆく事を示し、「無我」とは、エゴを取り去った全ての幸せを願う慈悲の心を示し、「拘りを捨てる」とは、自分の中に出来た概念を消し去る事を示す。

そして常に在るのは、「今」の「ここ」にいる自分。
その「今、ここ」の自分自身に正しく「気付く」事が真理となる。


仏陀は神ではない。

仏陀は生きる事を解いた人格者。

私達と同じ人間であるからこそ、そこから学ぶ事が出来る。


本来の仏教とは宗教と言うより、幸せに生きる上でのヒントを解いた教えです。
ジュレー!やっとでラダックの州都レーにやって来ました。


長かった!64時間 ラダック行きを待ちに待ちました…


空港 到着後、歩いてレーの町までやって来ました。







到着時の気温が7℃あり、想像以上に暖かいレーです。
歩いている時はTシャツ一枚で十分でした。

標高は手元の時計で3689mありますが、今のところ何の問題もありません。
ただ階段を早足で登ると、すぐに息が切れます。

とにかくデリーでは全く動かなかったので、体調がおかしくなりそうでしたが、その分 これから行動 開始です。

昨夜は全く眠れていないので、今日は地図を買って、食事をして、あとはゆっくり寝ます。

デリーで2日間余分に費やしたので、レーでの日程が明日、明後日しかなく、下調べ出来ない部分も出てきますが、考え方を変えて、出来る事だけをやっていきます。


ちなみに「ジュレー」とは、ラダックでのあいさつの言葉で、ネパールやインドのナマステと同じです。

やっとで着いた…









インド初日。

今回の旅はトラブルから始まってしまった…

カトマンズ空港、飛行機の遅れで2時間遅れでの離陸。

トランジットが18時間もあるから、2時間位の遅れは有難いくらいだった。

カトマンズで荷物を預け、ラダックの空港で受け取れる… 同じ航空会社だし…

一応カトマンズの空港で確認し、custom check… 云々言われたが、自分の勘違いがここにあったのが後々 問題になる。

インド、デリーの空港でarrival visa を受け取り、念のため荷物カウンターへ行ったが、自分の荷物は無く、もう既に次の便の荷物が流れ始めていた…

arrival visa を取るのに1時間程かかった。時間も沢山あり、急ぎもしなかった。

荷物はラダックの便へ運ばれた! 何の疑いもなく、そう思い込んでいた。


エアコンの効いた快適な空港で、翌朝まで休もう…

しかし夜になり寝ていると無数の蚊に刺され、全く熟睡は出来なかった。

ネパール、インドにいれば、蚊は仕方がない!


そして翌朝5時過ぎにラダック行の飛行機の搭乗が始まり、自分も並び順番を待った。

自分の番になり、チケットをコンピュータにかざすとエラーになり、横で待つ様に言われた。

「あなたは今日 ラダックへは行けません」???

「荷物の処理がされていません」???


思えば初めての経験だ。

同じ航空会社で、国際線から国内線に乗り換えるのは…
もちろん同じ航空会社で、国際線から国内線経由で荷物を預けるのも初めての経験だった。

同じ航空会社でも、国際線から国内線へ乗り換えるには、自分で国内線カウンターへ荷物を持っていかなくてはいけない事を知らなかった。

荷物はラダックまで行くが、custom check… 云々を、思い込みで聞き流してしまっていた。

結局チケットはキャンセルされ、ラダックへは行けなくなった。

ラダックへ行く為には、再度チケットを購入しなければならない…

今回の予算+予備のお金、その予備は1万円だけだ。

その予備のお金は、インド初日のチケット購入で消えた…

しかしラダックへは行ける!

チケットは6400インド ルビー。
日本円で丁度1万円になる。

チケットの値段によってはラダックへ行けない、最悪の事も考えただけに、一安心した。


自分の無知が原因だが、旅とは、世の中とはこういうものだ。

全てが変わり続けている中にあって、何が起こるのか知る由もない!

トラブルは生きている証でもある。


ラダックへは2日後の、5月4日に向かう事になりました。

インドは今回 別にいいかな… と思い、快適な(夜を除いて)空港で過ごしましたが、流石に2日間空港では、逆に体調を崩す事になるので、今朝の段階で地下鉄に乗ってニューデリーまで来ました。

空港の外は40℃です!

お金の予算もあるので、テレビもネットも無く、トカゲと蟻がウロウロしている、汚いローカルなホテルに泊まっていますが、何の問題も感じません。

逆にツーリスト ホテルへはどうしても足が向かわない… そんな感覚に自分はいます。


写真を撮る気にもならないし、ネットでの日記の更新も、最小限でいいかな…


無我の境地になれば、全ての感覚は変わっていきます。


ニューデリーでの2日間、グルグルまわる扇風機にかき回される気温40℃の中、トカゲと蟻達に囲まれてゆっくり静養します。

ラダックへ無事 着きますように!

ラダック到着後は2日間 体調を見て、15日の満月フライト出来る場所もレーの町で探して、5月7日 下ラダックの旅から本格的にスタートする予定でいます。

変わり続ける日々に、自分も絶えず変化し続けて、5月30日まで歩んで行きます。
エアーコンディショナーによって、快適に保たれた空港内で時間を過ごした。

長袖一枚を上に着て、丁度いい感じだ。

ちなみに外は40℃近くあるが、テレビの天気予報では43.8℃の数字が…

タール砂漠近くのジャイプールだ。


空港内はキレイで、ここがインドだとは感じられない。

首都にある国際空港は、世界何処も同じだろう。ネパールのトリブバン空港を除いては…

ネパールのトリブバン空港で時間を過ごす事は不可能だ。

食堂も無いし、横になれる椅子もない。

初めて訪れた人は、少しビックリするかもしれない…



当初の計画では、インドのカオス(混沌とした世界)を旅するつもりでいた。

日本の真逆の国がインドであり、そこには自分にある概念、価値観を壊す要素が至る所に待ち受けている…

仏陀が旅したガンジス支流、そしてガンジス上流をカオスの中で旅をし、自分の中に覚りを創る…

そんなつもりだった。

しかし昨年の年末年始インドの旅で、短時間だったがインド、ガンジスに触れ、そのカオスに身を置く中で、自分にとって見るもの全てが「普通」に感じられた。

これはネパールに住んでいるから他ならない。
仕事でインド人のお客さんに接する、ネパール自体 インド人が身の回りで生活している環境が日常にある。

今の自分はインドよりも、日本の様な国の方が不安を感じるのかもしれない…


ラダックへ行く事を決めたのは、ほんの3ヶ月前だ。

ラダックはインドであっても、チベット世界。インドのカオスとは全く違う。

仏陀が訪れた場所でもなく、仏教が北上する中で大乗仏教として「チベット仏教(以前はラマ教と言われた)」に変わっていった場所だ。

私の住むネパールで仏教と言えば、チベット仏教を意味する。

仏教 = チベット仏教 の環境で生きている。


インドは魅力ある国だ!そのカオスは40年間 日本で生きてきた自分にとって、強く惹きつけるものがある。

しかし「今」の自分の目的に当てはまったのが「ラダック」であり、1ヶ月間そこで感じた事を、来シーズン以降の「光」に「変」えていきたい!
バスで約8時間… カトマンズ到着です。

想像以上に自分の身体が疲れている事が、このバスの旅で分かったので、ラダックに着いたら数日は完全休養に充てます。

一昨年のダージリン、シッキムを訪れた時も、ダージリンで3日程 完全休養してから動き出したので、今回もまずは休んでから動き出します。

2月の病院通い、そして3月、4月の連続フライトで、今すぐ何かに挑戦できる身体ではないようです。

明日の18時間トランジット…

そして一気に標高3600mの世界…


まずは休養から!この旅はスタートします。
今日で仕事も終わり、明日からはいよいよラダック「覚りの旅」が始まります。

明日30日はバスでネパールの首都カトマンズへ向かいます。

そして明後日 5月1日に飛行機でインドの首都デリーへ飛び、18時間のトランジット(空港待機)…

その翌日 5月2日の朝5時にデリーを飛び立ち、朝7時にラダック到着予定です。


18時間のトランジットは、荷物をカトマンズからラダックまで預けられるのなら、せっかくのインドなので、空港の外に出て、少し歩きたいですが、荷物を一旦引き取る事になれば、17kgを背負って外へは行きたくないな…

何せ今デリーは日中40℃の世界!


40℃のデリーから気温0℃のラダックへ向かうので、とにかく体調管理に気を付けます。


ラダックの空港からレーの町までは4km程なので、朝早いし、歩いて向かいますが、標高3600mあるので、今の体力では大変だと思います。

でも高度に身体を慣らしていく為にも、動いた方がいいので、ゆっくりゆっくりと歩いてレーの町まで行きます。


レーの町ではインターネットが普及していると聞いているので、レーの町を拠点に、この日記に旅の模様を書いていきます。

レーを離れるとインターネットはないので、2週目 下ラダック、3週目 上ラダック、4週目 ヌブラ渓谷、カルドン・ラの旅は、レーに戻ったその都度 報告する事になると思います。


それと心配だったビザの件は、今日 自分から副会長のソビットに会い、話しをして、やっと全てが理解出来ました。

ラダックから帰って来た6月2日にカトマンズでインタビューを受け、10日後の6月12日にビザがもらえる様です。

やはりこの国は他人任せでは事が進まない! 自分で動かないとダメですね。

彼の協力を得られるので、まず大丈夫だとは思うのですが… そこはネパール、100%確実だとは思っていません。

ラダックが終わったら、ビザの件に蹴りを付け、安心して日本へ帰れるように… 大丈夫でしょう。


明日のカトマンズ、そしてデリー、ラダック、その最初の1週目は身体を休め、体調管理をし、そして計画を練る。

今回の旅はスロースタートが大事で、この1週目がポイントになると考えています。


SATORI = RADAKH 2014 = が明日から動き出します。


KAZU (Pro Tandem / Another World)
ラダックを前に大きな不安材料が…

ネパールの様な国の、最大の問題点はここにある。

事が全く進んで行かない!

外国人がここにいる為には、当然ビザが必要になる。

未だにワーキングビザが貰えていない… いや、貰う事は出来る。
他の会社のパイロット達は、1年更新の5年ビザを既に受け取っている。

全て書類は揃い、あとはカトマンズへまた行って、またインタビューを受けるだけだが… (何度 行って、何度 インタビューを受ければいいのか!)

しかしもの事が遅遅と進まない。

そんなこんなで、年間150日のツーリストビザの期限が7月3日に来てしまう。

それまでに貰えなければ、来年の1月までネパールには入れない。

貰えるのに、貰えない…

インタビューをただ待っていては、いつになるのか?分からない。

政府はそんな事 お構いなしだから、気が向いた時にしかインタビューをしない。

うちのビザ担当のスタッフはただ待っているだけだから、いつまで経っても政府からの連絡が来ない。

とにかくプッシュ、プッシュしないとここの役人は動かない!

うちのビザ担当スタッフは当てにならないから、お客さんの管理、運営全般を仕切っているウペンドラに動いてもらう様に、こちらからプッシュ、プッシュしていくしかない。

スタッフへはラダックからもメールで、必ずネパールへ戻ったらインタビューが受けられる様に、その段取りを必ずする様に、プッシュし続けます。

タイムリミットは7月3日!

日本へはビザの件が片付かないと帰れない…

6月11日にブッキングした、日本へのエアーチケットもキャンセルした。

ラダックから帰ったら、とにかくビザを何とかしないとネパールにはいられない… 仕事が出来なくなる。

ビザは確実に貰えるのに、事が遅遅と進まず貰えていないこの現実は、既に1年以上続いている。

6月24日にはお母さんの法要があるので、日本へそれまでに帰りたいし、その予定でしたが、未だにビザ問題でどうなるのか?分かりません…

最悪ネパールにはビザの期限 7月3日までいる事になるかもしれない。

物事が遅遅と進まない… これがこの国の1番の問題であり、疲れるところです。
今日は久しぶりのお休みでした。

散髪して、ラダックの荷物をまとめて、準備はほぼ出来ました。

昼過ぎにジャーマン ベーカリーで休憩していると、Skypの受信が…

Skypで日本のおばあちゃんと話しをする事が出来ました。

今日は日曜日。親戚の人達とお花見ドライブに行った様で、Skypの映像を通して久しぶりに、皆の元気な顔を見る事が出来ました。

今シーズンの最後がラダックの旅で、その後は日本に少しの間ですが帰ります。

ラダックは今シーズンの集大成。

今シーズンの目的「覚り」の集大成になります。



左からパラグライダー一式、テント、サンダル、寝袋、靴、マット、バッグ(Mt Dax ユーラシア80ℓ)。

今回もグライダーはIbex17、ハーネスはYeti、テントはプロモンテ、寝袋はNorth face −20℃対応、バッグはDaxを使用します。


持っていくものは、昨年のアンナプルナ1周とほぼ同じです。


標高も気温もデータでは、アンナプルナとほぼ同じです。

ラダックはアンナプルナよりも更に北にあるので、より寒いですが、5月のラダックは4月のアンナプルナと気温は近いようです。

今回予想される最低気温は、カルドン・ラ 5600mのマイナス20℃。
そこに耐えられる服装で、しかも最小限。

全て着込んでマイナス20℃対応で、Tシャツもパンツも靴下も2枚だけ。

ラダックは乾燥地帯なので、洗濯しても直ぐに乾きます。

ガスはキャンプで使いますが、今回は山に登って、キャンプをして、翌朝に飛ぶ… はほとんど無く、緊急時のキャンプのみ。
ガスは余るので、カルドン・ラでの暖房としても使えそうです。


如何に最小限で、少しでも軽く出来るのか!

歩く上での、飛ぶ上での、大きなポイントになります。

パッキング完了。

アンナプルナ1周とほぼ同じ中身に、ほぼ同じ重量。

現地ではこれに水2リットル、キャンプが予想される日には食料も積むので、20Kg近くの重さになります。

歩くトレーニングが出来ていないので不安もありますが、緩やかな登りや平坦なら歩けます!

あとは標高3700mへの順応と、歩く中で体力を付けて進んで行きます。

問題は一気に、富士山山頂に近い高度に到着すること。

ポカラでの疲れもあるので、1週間は体調を見て、静養して、計画を立てて、それからがスタートです。




バス、飛行機で移動の時はレインカバーをして、タルチョで縛ってバッグをカバーします。

ラッダクの5月は雨が降らないので、レインカバーは必要ありません。
  
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プロフィール
HN:
kazu
年齢:
53
性別:
男性
誕生日:
1971/09/08
職業:
パラグライダー
趣味:
たそがれ、物想い、静寂、心穏やか、不安、楽しむ
自己紹介:
Kazu
Japan spirits and pride
Professional tandem / Adventure pilot

世界最高峰のヒマラヤ、神の国ネパールで生きていく為に始めた空飛ぶ道具パラグライダーでコマーシャルタンデムをやっています。夢は神の山マチャプチュレへの冒険フライトに挑戦すること。
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