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その人が何処から来たかなど、どうでもいいではないか。 どんな地位にあるか、どんな功績があったのか、どんな血筋を引いているのか、など全くどうでもいいではないか。 ただ、その人の行いを見よ。 今ここに於いて、何をするのかを見よ。 行いが正しく、羞恥があり、身と心を慎んでいるのであれば、その人は生まれがどうあれ、今から高貴な人ではないか。

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2014/05/24 (Sat)
生きることとは
子供の頃はよく頭を巡り、不安に駆られた想いがあり、今でもそれを感じる時がある。

「一生この自分という意識は、この身体の中でしか存在せず、他の誰にも移り変われないものであり、それは誰もが同じ定めである。

誰かを選ぶ事も出来なければ、移り変わる事も出来ない。

その上 無意識の中で人は、何かをしなければいけない… との思いの中、目的なく走り続けている。

一生、私は私でしかあり得ない… 生命としての虚しさや不安、定め。

組み込まれた遺伝子、本能によって、自分、私という形の中で、焦りながら何かを探し、走り回っている…

それが生命としての本質である。 」


無意識の中にある、この苦しみの答えが、仏陀の教えの中にはある。

「生きることとは…」を解いた仏陀。


「無常」と「無我」は必ず誰もが死ぬ時に遭遇する。

自分の痛みや体の感覚、不自由である事などを感じた時、これまで生きてきたのに、全ては自分から離れていくと感じる最期、人は必ず「無常」と「無我」に遭遇します。

そして「何を得た」とか「何を成し遂げた」とか、「どういう評価があるか」など、自分の幸せと全く関係ない事に気付きます。


主観 = 自我 = 私、自分が中心の世界であり、その中で生きている以上、その存在の苦しみが生まれて来る。

しかし客観的に物事を見る事が出来れば、それは幻想に過ぎない事か分かる。

そしてこの世の中の全ては因果関係で繋がっていて、例え出会う事のない人々であっても、「今」という中で繋がり続けている。

それは動物、虫達、草や花や木や、全ての生命に於いて同じく、繋がり続けている。

自分の幸せを願うのであれば、「生きとし生きるものが、皆 幸せである事を願う」

この慈悲の心… これこそが、子供の頃から考え続けた疑問への答えとなっている。

そして他の生命に対して、どの様に役に立てるのか? それが仕事となる。


生きとし生きるもの全ては、繋がり続けている… これが「私」や「自分」= 「自我」を離れた、「無我」の姿でもあり、人格者として幸せに生きる答えにもなる。


サスポールの洞窟


洞窟に描かれた仏陀の壁画
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プロフィール
HN:
kazu
年齢:
53
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男性
誕生日:
1971/09/08
職業:
パラグライダー
趣味:
たそがれ、物想い、静寂、心穏やか、不安、楽しむ
自己紹介:
Kazu
Japan spirits and pride
Professional tandem / Adventure pilot

世界最高峰のヒマラヤ、神の国ネパールで生きていく為に始めた空飛ぶ道具パラグライダーでコマーシャルタンデムをやっています。夢は神の山マチャプチュレへの冒険フライトに挑戦すること。
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