その人が何処から来たかなど、どうでもいいではないか。 どんな地位にあるか、どんな功績があったのか、どんな血筋を引いているのか、など全くどうでもいいではないか。 ただ、その人の行いを見よ。 今ここに於いて、何をするのかを見よ。 行いが正しく、羞恥があり、身と心を慎んでいるのであれば、その人は生まれがどうあれ、今から高貴な人ではないか。
2024/11/15 (Fri)
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2014/05/21 (Wed)
仏陀の言葉とは…
仏教の教祖、生みの親である仏陀は、2500年前にネパールのルンビニ村に、シャカ王国の皇子として生まれ、なに不自由なく王宮の中で生活していました。
しかし王宮の外に出て、人々の生活を真近で見る事によって、この世の現実を知る事となります。
人は生まれもって、皆が平等ではないのか?
人は誰もが老いて、病に伏せ、死んでいく定めなのか?
この世の生き物は、互いに命を奪い合わなければ生きていけないのか?
この世の不条理、苦しみ。生きる事の真理を探るべく、覚りの旅に出かけます。
その旅はインドのガンジス川流域に及びます。
当初はほとんど飲まず、食わず、山に篭る苦行で死ぬ間際まで衰弱しましたが、何も覚りに至る事は出来ませんでした。
苦行では覚りに至る事は出来ないと判断し、山を下り、ブッダガヤの菩提樹の下で静かに瞑想に入ります。
そこで「生きる事とは?」その縮図、その意味、その因果関係、その答えを導き出す「覚り」に到達したのです。その時36歳。
世界で初めに覚りに至った人、「仏陀」の誕生です。
当初はその教えを、世間に広めようとはしませんでした。
それは余りに綿密で、世の中の欲に駆られた人々に伝えても、理解できるはずもない… そう思ったからです。
しかし梵天(ぼんてん)様に「もしあなたが死んでしまったら、せっかく覚りに至ったその内容を、誰にも知らされる事もなく、地に伏せてしまう…」「どうか分かりやすく、私達に教えて頂きたい…」と願われ、7日間の沈黙の上、ようやく広める決心をしました。
一度ルンビニ村へ帰り、出家し、置き去りにして来た妻と息子に事情を説明し、別れを告げ、その後は「覚り」の布教に半生を費やし、サルナート村で生涯を終えます。
80年の生涯でした。
その後 仏陀の教えは、インドの北と南に伝わっていきます。
南に伝わった仏教は、初期仏教の形で伝わりましたが、次第に勢力は弱まり、衰退して行きます…
仏陀の教えは、普通の人々には少し厳しい面もあり、ヒンドゥーの世界には広まらなかったのではないか…
今では日本人僧侶が先頭に立って、インドでの仏教の布教に力を注ぎ、仏教人口も増えつつあります。
北に伝わって行った仏教(北伝仏教)は、形を変え、大乗仏教としてチベット周辺へ伝わり、その後は中国で儒教の影響も加わり、仏教は神様信仰、願い乞う形へと変わっていきます。
日本の仏教はお葬式仏教と言われますが、先祖崇拝を重んじる形で伝わって来ています。
これは儒教の影響ですが、仏陀は「出家」した身であり、家を出て縁を切っている立場であり、初期仏教は先祖崇拝とは180度違ったものでした。
日本には仏教の宗派が幾つもありますが、仏陀が広めた初期仏教とはかなり形を変えて来ている…
仏陀の言葉とされている般若心経もまた、後世の人々によって着色され、書かれたものです。
色々な仏像がありますが、永らくの間 仏像は作られませんでした。
それは仏陀が、自分が神として拝まれる事を嫌ったからであり、拝んでも人格は向上しない!と教えていたからです。
数百年の時を経て、今のパキスタン近辺 ガンダーラ地方で、荒れ果てた世の中の苦しみの間で、今一度 仏陀に救いを求める想いが広まり、その中で仏陀を形にした仏像が初めて作られました。
ちなみにラダックはガンダーラ地方のすぐ隣りです。
仏像に向かって拝む行為もまた、その当時の世の不条理の間から生まれた行為です。
自分が読んでいる「仏陀の教え 1日1話」を書いているスマナサーラさんは、初期仏教の伝道に人力されている僧侶であり、仏陀の教えが分かりやすく書かれています。
これを一年間、何度も読んでいますが、分かりやすく「仏陀が言いたかった事とは?」を現すとするならば…
この世は常に移ろい行き、変化し続けている。
変化し続けているからこそ、私達は存在しえるのだ。そして消えゆく定めなのだ。
そんな存在の私達が、何かに拘り、苦しみ、悩み、生きていく事は、バカバカしいとは思わないだろうか…
過去に囚われる事なく、未来を憂う事なく、「今」だけを幸せに生きる。
そして生きとし生きる物が、幸せでありますように… と慈悲の心で願い続けよう。
その想いが唯一変わらないもの、その人の人柄「人格」となり、その人を守る事になるだろう。
「無常」とは、全ては移ろいゆく事を示し、「無我」とは、エゴを取り去った全ての幸せを願う慈悲の心を示し、「拘りを捨てる」とは、自分の中に出来た概念を消し去る事を示す。
そして常に在るのは、「今」の「ここ」にいる自分。
その「今、ここ」の自分自身に正しく「気付く」事が真理となる。
仏陀は神ではない。
仏陀は生きる事を解いた人格者。
私達と同じ人間であるからこそ、そこから学ぶ事が出来る。
本来の仏教とは宗教と言うより、幸せに生きる上でのヒントを解いた教えです。
しかし王宮の外に出て、人々の生活を真近で見る事によって、この世の現実を知る事となります。
人は生まれもって、皆が平等ではないのか?
人は誰もが老いて、病に伏せ、死んでいく定めなのか?
この世の生き物は、互いに命を奪い合わなければ生きていけないのか?
この世の不条理、苦しみ。生きる事の真理を探るべく、覚りの旅に出かけます。
その旅はインドのガンジス川流域に及びます。
当初はほとんど飲まず、食わず、山に篭る苦行で死ぬ間際まで衰弱しましたが、何も覚りに至る事は出来ませんでした。
苦行では覚りに至る事は出来ないと判断し、山を下り、ブッダガヤの菩提樹の下で静かに瞑想に入ります。
そこで「生きる事とは?」その縮図、その意味、その因果関係、その答えを導き出す「覚り」に到達したのです。その時36歳。
世界で初めに覚りに至った人、「仏陀」の誕生です。
当初はその教えを、世間に広めようとはしませんでした。
それは余りに綿密で、世の中の欲に駆られた人々に伝えても、理解できるはずもない… そう思ったからです。
しかし梵天(ぼんてん)様に「もしあなたが死んでしまったら、せっかく覚りに至ったその内容を、誰にも知らされる事もなく、地に伏せてしまう…」「どうか分かりやすく、私達に教えて頂きたい…」と願われ、7日間の沈黙の上、ようやく広める決心をしました。
一度ルンビニ村へ帰り、出家し、置き去りにして来た妻と息子に事情を説明し、別れを告げ、その後は「覚り」の布教に半生を費やし、サルナート村で生涯を終えます。
80年の生涯でした。
その後 仏陀の教えは、インドの北と南に伝わっていきます。
南に伝わった仏教は、初期仏教の形で伝わりましたが、次第に勢力は弱まり、衰退して行きます…
仏陀の教えは、普通の人々には少し厳しい面もあり、ヒンドゥーの世界には広まらなかったのではないか…
今では日本人僧侶が先頭に立って、インドでの仏教の布教に力を注ぎ、仏教人口も増えつつあります。
北に伝わって行った仏教(北伝仏教)は、形を変え、大乗仏教としてチベット周辺へ伝わり、その後は中国で儒教の影響も加わり、仏教は神様信仰、願い乞う形へと変わっていきます。
日本の仏教はお葬式仏教と言われますが、先祖崇拝を重んじる形で伝わって来ています。
これは儒教の影響ですが、仏陀は「出家」した身であり、家を出て縁を切っている立場であり、初期仏教は先祖崇拝とは180度違ったものでした。
日本には仏教の宗派が幾つもありますが、仏陀が広めた初期仏教とはかなり形を変えて来ている…
仏陀の言葉とされている般若心経もまた、後世の人々によって着色され、書かれたものです。
色々な仏像がありますが、永らくの間 仏像は作られませんでした。
それは仏陀が、自分が神として拝まれる事を嫌ったからであり、拝んでも人格は向上しない!と教えていたからです。
数百年の時を経て、今のパキスタン近辺 ガンダーラ地方で、荒れ果てた世の中の苦しみの間で、今一度 仏陀に救いを求める想いが広まり、その中で仏陀を形にした仏像が初めて作られました。
ちなみにラダックはガンダーラ地方のすぐ隣りです。
仏像に向かって拝む行為もまた、その当時の世の不条理の間から生まれた行為です。
自分が読んでいる「仏陀の教え 1日1話」を書いているスマナサーラさんは、初期仏教の伝道に人力されている僧侶であり、仏陀の教えが分かりやすく書かれています。
これを一年間、何度も読んでいますが、分かりやすく「仏陀が言いたかった事とは?」を現すとするならば…
この世は常に移ろい行き、変化し続けている。
変化し続けているからこそ、私達は存在しえるのだ。そして消えゆく定めなのだ。
そんな存在の私達が、何かに拘り、苦しみ、悩み、生きていく事は、バカバカしいとは思わないだろうか…
過去に囚われる事なく、未来を憂う事なく、「今」だけを幸せに生きる。
そして生きとし生きる物が、幸せでありますように… と慈悲の心で願い続けよう。
その想いが唯一変わらないもの、その人の人柄「人格」となり、その人を守る事になるだろう。
「無常」とは、全ては移ろいゆく事を示し、「無我」とは、エゴを取り去った全ての幸せを願う慈悲の心を示し、「拘りを捨てる」とは、自分の中に出来た概念を消し去る事を示す。
そして常に在るのは、「今」の「ここ」にいる自分。
その「今、ここ」の自分自身に正しく「気付く」事が真理となる。
仏陀は神ではない。
仏陀は生きる事を解いた人格者。
私達と同じ人間であるからこそ、そこから学ぶ事が出来る。
本来の仏教とは宗教と言うより、幸せに生きる上でのヒントを解いた教えです。
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プロフィール
HN:
kazu
年齢:
53
性別:
男性
誕生日:
1971/09/08
職業:
パラグライダー
趣味:
たそがれ、物想い、静寂、心穏やか、不安、楽しむ
自己紹介:
Kazu
Japan spirits and pride
Professional tandem / Adventure pilot
世界最高峰のヒマラヤ、神の国ネパールで生きていく為に始めた空飛ぶ道具パラグライダーでコマーシャルタンデムをやっています。夢は神の山マチャプチュレへの冒険フライトに挑戦すること。
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