忍者ブログ

その人が何処から来たかなど、どうでもいいではないか。 どんな地位にあるか、どんな功績があったのか、どんな血筋を引いているのか、など全くどうでもいいではないか。 ただ、その人の行いを見よ。 今ここに於いて、何をするのかを見よ。 行いが正しく、羞恥があり、身と心を慎んでいるのであれば、その人は生まれがどうあれ、今から高貴な人ではないか。

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2014/05/21 (Wed)
仏陀の言葉とは…
仏教の教祖、生みの親である仏陀は、2500年前にネパールのルンビニ村に、シャカ王国の皇子として生まれ、なに不自由なく王宮の中で生活していました。

しかし王宮の外に出て、人々の生活を真近で見る事によって、この世の現実を知る事となります。

人は生まれもって、皆が平等ではないのか?

人は誰もが老いて、病に伏せ、死んでいく定めなのか?

この世の生き物は、互いに命を奪い合わなければ生きていけないのか?


この世の不条理、苦しみ。生きる事の真理を探るべく、覚りの旅に出かけます。

その旅はインドのガンジス川流域に及びます。

当初はほとんど飲まず、食わず、山に篭る苦行で死ぬ間際まで衰弱しましたが、何も覚りに至る事は出来ませんでした。

苦行では覚りに至る事は出来ないと判断し、山を下り、ブッダガヤの菩提樹の下で静かに瞑想に入ります。

そこで「生きる事とは?」その縮図、その意味、その因果関係、その答えを導き出す「覚り」に到達したのです。その時36歳。


世界で初めに覚りに至った人、「仏陀」の誕生です。


当初はその教えを、世間に広めようとはしませんでした。

それは余りに綿密で、世の中の欲に駆られた人々に伝えても、理解できるはずもない… そう思ったからです。

しかし梵天(ぼんてん)様に「もしあなたが死んでしまったら、せっかく覚りに至ったその内容を、誰にも知らされる事もなく、地に伏せてしまう…」「どうか分かりやすく、私達に教えて頂きたい…」と願われ、7日間の沈黙の上、ようやく広める決心をしました。

一度ルンビニ村へ帰り、出家し、置き去りにして来た妻と息子に事情を説明し、別れを告げ、その後は「覚り」の布教に半生を費やし、サルナート村で生涯を終えます。
80年の生涯でした。


その後 仏陀の教えは、インドの北と南に伝わっていきます。

南に伝わった仏教は、初期仏教の形で伝わりましたが、次第に勢力は弱まり、衰退して行きます…

仏陀の教えは、普通の人々には少し厳しい面もあり、ヒンドゥーの世界には広まらなかったのではないか…

今では日本人僧侶が先頭に立って、インドでの仏教の布教に力を注ぎ、仏教人口も増えつつあります。


北に伝わって行った仏教(北伝仏教)は、形を変え、大乗仏教としてチベット周辺へ伝わり、その後は中国で儒教の影響も加わり、仏教は神様信仰、願い乞う形へと変わっていきます。

日本の仏教はお葬式仏教と言われますが、先祖崇拝を重んじる形で伝わって来ています。

これは儒教の影響ですが、仏陀は「出家」した身であり、家を出て縁を切っている立場であり、初期仏教は先祖崇拝とは180度違ったものでした。

日本には仏教の宗派が幾つもありますが、仏陀が広めた初期仏教とはかなり形を変えて来ている…

仏陀の言葉とされている般若心経もまた、後世の人々によって着色され、書かれたものです。

色々な仏像がありますが、永らくの間 仏像は作られませんでした。

それは仏陀が、自分が神として拝まれる事を嫌ったからであり、拝んでも人格は向上しない!と教えていたからです。

数百年の時を経て、今のパキスタン近辺 ガンダーラ地方で、荒れ果てた世の中の苦しみの間で、今一度 仏陀に救いを求める想いが広まり、その中で仏陀を形にした仏像が初めて作られました。

ちなみにラダックはガンダーラ地方のすぐ隣りです。

仏像に向かって拝む行為もまた、その当時の世の不条理の間から生まれた行為です。


自分が読んでいる「仏陀の教え 1日1話」を書いているスマナサーラさんは、初期仏教の伝道に人力されている僧侶であり、仏陀の教えが分かりやすく書かれています。

これを一年間、何度も読んでいますが、分かりやすく「仏陀が言いたかった事とは?」を現すとするならば…


この世は常に移ろい行き、変化し続けている。

変化し続けているからこそ、私達は存在しえるのだ。そして消えゆく定めなのだ。

そんな存在の私達が、何かに拘り、苦しみ、悩み、生きていく事は、バカバカしいとは思わないだろうか…

過去に囚われる事なく、未来を憂う事なく、「今」だけを幸せに生きる。

そして生きとし生きる物が、幸せでありますように… と慈悲の心で願い続けよう。

その想いが唯一変わらないもの、その人の人柄「人格」となり、その人を守る事になるだろう。

「無常」とは、全ては移ろいゆく事を示し、「無我」とは、エゴを取り去った全ての幸せを願う慈悲の心を示し、「拘りを捨てる」とは、自分の中に出来た概念を消し去る事を示す。

そして常に在るのは、「今」の「ここ」にいる自分。
その「今、ここ」の自分自身に正しく「気付く」事が真理となる。


仏陀は神ではない。

仏陀は生きる事を解いた人格者。

私達と同じ人間であるからこそ、そこから学ぶ事が出来る。


本来の仏教とは宗教と言うより、幸せに生きる上でのヒントを解いた教えです。
PR
  
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
[12/17 アジアン]
[03/10 アジアン]
[03/14 Kazu]
[03/13 田渕憲志]
[01/10 ユME]
[07/02 みき]
[07/01 Kazu]
[08/05 Kazu]
[08/03 kazu]
[07/30 Kazu]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
kazu
年齢:
53
性別:
男性
誕生日:
1971/09/08
職業:
パラグライダー
趣味:
たそがれ、物想い、静寂、心穏やか、不安、楽しむ
自己紹介:
Kazu
Japan spirits and pride
Professional tandem / Adventure pilot

世界最高峰のヒマラヤ、神の国ネパールで生きていく為に始めた空飛ぶ道具パラグライダーでコマーシャルタンデムをやっています。夢は神の山マチャプチュレへの冒険フライトに挑戦すること。
バーコード
ブログ内検索
P R
忍者アナライズ
Copyright ©  -- 「 心 」 Life is BEAUTIFUL「 旅 」 --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by 妙の宴 / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]