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その人が何処から来たかなど、どうでもいいではないか。 どんな地位にあるか、どんな功績があったのか、どんな血筋を引いているのか、など全くどうでもいいではないか。 ただ、その人の行いを見よ。 今ここに於いて、何をするのかを見よ。 行いが正しく、羞恥があり、身と心を慎んでいるのであれば、その人は生まれがどうあれ、今から高貴な人ではないか。

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愛しても愛されない…愛されても愛せない。

全てがチグハグで、噛み合わない… だから至らない。


紹介された女性からは結婚を望まれ、断り続けた今でも1人の女性から会って欲しいとの連絡が絶えない… しかし生理的に気持ちが向き合わない…


こちらが結婚を意識した女性も数人いたが、その女性からは友達でいたい… 結婚へは向き合わなかった…


理屈でもなく、差別でもなく、自分ではどうする事も出来ない本能的な感情が互いにある。


拘りは苦しみを生む…

しかし生きる上で最も幸せを感じる、生きていて良かったと感じさせてくれる最上のものが、たまたまそこが自分のそれだったのならば、それを捨ててまで結婚する事は出来ない。

拘りを捨てなさい!99の拘りは捨てられても、1つの最上のものが捨てられない…

それが結婚出来ない原因。


それは自分だけではなく、相手も同じであり、断っている立場上からも分かる。

例えば黒人から結婚を望まれても、生理的に気持ちが向き合わない。それは差別ではなく、自分ではどうする事も出来ない本能的な感情…

友達になる事は何の問題もなく出来ても、結婚は明らかに違うから。



私達は顔形が違う。

単一民族。皆が同じ顔立ちの日本にいては気付きづらい感覚だが、他民族の環境では顔形で民族が異なり、同じ民族同士での結婚が多いのも顔形による。本能的な感情。生理的なもの。

だから自分の顔形を受け入れられない本能的なものに、自分が入り込む事は出来ない…

友達と結婚は違うから。


掘りの深い三角形の顔立ちの人々は、自分の様な平面の丸い顔立ちを結婚相手として、生理的に本能的に受け入れないのかもしれない…


求愛されても生理的に受け入れない自分がいて、求愛しても生理的に受け入れられない自分がいる。

そしてそこにカーストがあり、意識の中に奥深い歴史がある。

どうしたらいいのか?分からない…


どうして自分は同じ顔立ちの、文化も近いモンゴリアン部族を愛せないのか?

今はどうする事も出来ない巡り合わせなのか?

完全に行き詰まってしまい、ノイローゼ気味になり、ポカラから逃げた…


パタンで鬱はひどくなった…


全ては変わり続けていく… それがせめてもの救いだ。

しばらく考えなたくない…

休みたい。
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昨日、今日とカトマンズへも足を運んだ。

もういいだろう…

これ以上いても何もない。


人の渦、車の波…
結局 人が集まると、何処も同じ、皆 同じになってしまう。

もういいよ…


よく喋る外国人で宿も騒がしくなったし、明日にはパタンを出て、とりあえずツーリストのいない場所へ行こう。

休みもあと4日間だし、明日、明後日と騒がしいクリスマスだし、ダムサイド、レイクサイドには戻らずに、クリスマスとは無縁のローカル プリティビ チョークに泊まって、残り3日間はポカラの街を歩きたい。


パタンでの夕食はインド料理がメインだった…
歯を磨く。顔を洗う。料理をする。食べる。洗濯をする…………

そういったとてつもなく単純な事を、何という事もなく穏やかに行う。


掃除にしても、しっかり完璧に掃除をしてみる。服をたたむなら、ぴっちりきちんとたたむ。

しっかり生きるとは、そのときそのとき、やるべき事をきちんとやる事であって、それで虚しさや悔しさは生まれてこない。


人生には大切な時間も、取るに足らない時間も、どちらもあり得ない。

ある時だけが価値があり、ある時だけが人生の最高の瞬間という話も成り立たない。

過去の1秒も今の1秒も同格であり、未来の1秒は過去の1秒に囚われた妄想に過ぎない。

私という人間は、ここにいるこの自分である必要はなかったはずだ。

今通り過ぎた彼でも、あそこにいる彼女でも、誰でもよかったはずだ。

現に何の違いもありゃしないじゃないか…


何かに拘る意味の無さを、特定の存在の意味の無さを、痛切に感じる。
群れを拒む体質

自分は何故に群れる事を拒むのか?

それは単純に居心地が悪いからなのか?


確かに団体、複数でいると、非常に居心地は悪い…

1人でいる寂しさよりも、居心地の悪さが耐えられない。

そして1人の寂しさは、他の人のそれよりもずっと感じない。

たまに…


何処かに行くのに人を誘う事などしないし、同じ様に行動する事には拒絶反応が起こってしまう。

それはネパールに来て、より強くなった。またそれが悪いとされる環境にはいない。仕事上はむしろ必要な体質でもある。


「一匹狼」

この世を生きている以上、1人では何も出来ない!他との繋がりが必要だ!現にその世界で生きているのだから、その真逆の群れを拒む体質は自分の長所になり得る。


確かに群れをなす体質の方が、この世の中を上手く生きていけるのかもしれない…

しかし

君は群れをなせばいい、我は1人で行く!


正午過ぎまで屋上で、コーヒーを飲んで、ご飯を食べて、後はただひたすら周りを眺めては過ごす。

それは自分に限った事ではなく、周りを見渡せば同じ様に、何をするでもなくじっと周りを眺めて過ごす人々を目にする。

この左のおばさんに至っては、この姿勢を崩さずに1時間近く、同じ一点を見つめていた…



昨日 食べて美味しかったので、今朝も同じ水牛のカレーを食べた。

サイコロ状にカットされた柔らかい水牛が沢山入った、肉がメインのカレーだ。
時の流れに気付いて生きていく事が忙しい日本では難しく、時間のあるネパールでは意識する事ができる…

そこがここで生きていく理由にもなっている。


気が付いたら、今年も終わっていた…

気が付いたら、もうこんな年齢になっていた…

年を取ると時間は、あっと言う間に過ぎていくぞ…

年々 時が経つのが早くなる…


実際はそんな事はないはずなのに、そう感じてしまう人生は何かが違う。

時間に追われ、気が付いたら過ぎ去ってしまっていた人生ではなく、時の流れを感じながら生きていける人生…


何かが足りなくてもいいから、それがいい。
パタン初日の今日は先ずは散髪して、パタン近郊を歩いて、座って、眺めて、ぶらぶら周った。

地図も何も無いが、パタンがどんな感じの街なのか?が、なんとなく見えてきた。


今日は土曜日で休日だったので、閉まっている店も多かったが、メイン通りの店は開いていて、ショッピングを楽しむネパール人の姿が多かった。

今日は北川 景子には出会わなかった…

陽が落ちた中を帰ったが、彼女達は彫が深い分、薄暗い中では綺麗に見えた。


それはさて置き、明日からどうなろうか?


早くも行き詰まり感はあるが、明日という概念がない世界に一時だが入るチャンスにいる。

南米アマゾンには数字が4までしか無く、今その時しか考えない、今しか感じない、明日という概念のない民族がいるという。

1人で何処でもない何処かに自由にいる状況は、まさにそれが出来る環境でもある。

何かを失っている以上、その反対の何かを得ている事にも繋がっている。

生きる事が大した事ではなく、ただただ単純で自分で管理できるものであるとしたならば、自分にとって結婚は例外に当たるのかもしれない…


向こうはカトマンズ市街。

こちらはパタン市街。

ゲストハウスは老舗30年で居心地はよい。

テレビもないシンプルな部屋だが、ヒーター式の給湯器があり、電気が来ている時はお湯が出る。

ダルバール スクエアに近く、屋根が見える。

この水牛のカレーは抜群に美味かった!

( * ブログの容量がオーバーして、整理しなあとこれ以上 写真が載せられない状態なので、しばらくは文書だけの日記となります。)
カトマンズと言えばタメルに泊まるのがツーリストの大半で、私も今まではタメルばかりでした。

今回は初めてパタンに滞在する為に、カトマンズにやって来ました!


夜のパタン バルバール スクエア。


パタンはカトマンズの南5kmほどにある古都で、何度か訪れています。

6月末に日本からネパールに戻って来た時、久しぶりにパタンに来て感じたのですが、パタンは最もネパールらしい最大の街で、街自体はカトマンズほど大きくありませんが、人の数、街の雰囲気、混み具合はカトマンズ以上!

そして遺産の宝庫。

ツーリストの数もタメルよりは少なく、ホテルも少なめ。

道交う人々の多くはネワール カースト。

顔立ちはアーリアとモンゴリアンの中間で、日本人の顔をきりっと掘り深く、少し浅黒くした感じです。


夜 少し歩きましたが、北川 景子に20回は会いました… それほどに美人の多い街です。(夜だから?)


今回はここパタンを中心に滞在して、ネパールではタブーであろう声掛けに挑戦します。

村の様に簡単に気軽に、話しかけられない環境である事は確か…

果たしてどれだけの女性と会話できるでしょうか?!

(何やってんだ… と思われるでしょうが)




帰宅ラッシュも合間って、尋常なく混みあっています…

経験なくして運動できません!


「今」 霧の中を歩き続けている.....

それでも太陽は顔を出すだろう.....

いつか。

いつか。
突然ですが、明日からカトマンズへ行く事にしました。

上手くいかない…

こうもどうしてなんだろう…


とにかく真逆な環境に行きたくて、大都会カトマンズへ明日から行きます。

大都会を彷徨って、何かを見つけられたのなら…


ポカラを離れます。



カフェでため息を吐いては飲み込んで…

ヒマラヤはこんなにも美しいのに…


日本のI phone はSIMロックされていて、今まではネパールのモバイルとI phone を併用していましたが、これを装置するだけでSIMフリーに。

これでI phone 1台で全て可能です。

ネパールのSIMカードで電話すれば、日本へも低料金でかけられます。

もちろんLine を使えばただですが、ネットが弱いし来たり来なかったり…


モバイルの煩わしさから解放されたから、まあいいか…

女こころと秋の空ならぬ

男こころと冬の空だ!
今日は1日ポカラで、次の旅について考えた。

明日からは最後の場所、カリカスタン〜ベグナス湖を旅する予定です。

自分の休みはあと10日間。

カリカスタン〜ベグナスは5日間の予定で、旅の目的は別なところにあり、この間にしっかりと考えなければいけない事がある。

村人と触れながら、今 繋がり始めた繋がりを確かめ、ポカラに帰ってからの残りの日々で、ひとつの答えを出す事になります。

その為の貴重な時間をカリカスタン〜ベグナスで過ごす事で、答えに繋げていきます。


そして最終日 27日には、未来に繋がっていくひとつの答えを報告します。


ポカラから20〜25kmにあるカリカスタン〜ベグナス湖。
ニルマル ポカリでの2日間は本当に楽しかった…


彼女のカースト「ラムチャニ」の特別なプジャが5年ぶりにあり、全く見ず知らずの人々が沢山 集まり、100%ネパールその中で過ごした2日間は、この旅で体感したかった事であり、それは大きな繋がりにもなりました。


ニルマル ポカリ初日。
ホームステイ宅から見えた雲海。



反対側に絶景を見に行きました。


ポカラの街は雲海の下に…
向こうには青空、そして雪化粧のヒマラヤ…

アンナプルナ

ダウラギリ

マナスル


(ここは以前にテイクオフした場所)


その後はホームステイ宅を後にし、歩いて20分程の所にある彼女の御宅へ行き、そのままプジャの行われるマンディール(お寺)へ…


歩いて5分程の所にある小さなマンディール。

今から生贄になるボカ(雄ヤギ)達が30頭ほどいました。

これはラムチャニ カーストの各家庭から1頭づつ差し出され、後で食べるので大家族は大きなヤギ、小家族は小さなヤギを連れて来ます。

額には赤いお祈りのプジャをされます。


午後からは1頭づつ順番に、首をナタで切り落とされていきました。(1人は後ろ足を掴み、1人は首にかけたロープを掴み動けない様にして、ナタを振るう役の人が出来るだけ苦しまない様に、1発で首を切り落としていきます)






あとは各家庭に持ち帰り、頂きます。


30頭 首を切り落とされていくのを見ていると、途中からヤギが動物から物に見えてきます。

この風習はネパールでも変わりつつあり、ヤギの代わりにココナッツを割ってプジャをするケースも増えています。

きっと動物愛護団体などがこれを見れば反論すると思います。

自分も抵抗はありましたし、「一切の生命に対して、他の生命の尊厳を踏みにじる人は、自分の尊厳を守れない」その仏教の精神には反する行為でもありますが…

しかし方法は違えど、これは世界中 日常茶飯事に行われている行為であり、それが私達の目に触れないだけで、動物の屠殺によって、その肉を食べ私達は生きている。

それがここではプジャという行為で行われているだけだと…

他の生命を尊い、肉や魚を食べないベジタリアンだけが違和感を持ち、抗議するべきで、私達にその資格はありません。


その後は各家庭で解体していきます。


先ずは熱湯に付け、その後 毛をカミソリで丁寧に削いでいく。

殺菌消毒の為、何かを混ぜたものを塗っていく。(お肉屋で見かける肌の色と同じ)

頭は丸焼きに… これも食べます。


細かくぶつ切りに解体していき、あとはいつもの味付けで、いつもの様に煮込むだけ。


内臓も頭も骨も肉も、全てがひとつに。
こんな感じに出来上がりました。


自分はスプーンで頂きますが、ネパール人でもスプーンを使う人が増えています。(20%はスプーン)



その後はポカラの街を見に散歩… 雲海は無くなり、ヒマラヤは雲の中。そしてポカラの大地。


ネパールの意味は永遠の平和と愛…(造語)


間も無くオープンするホテル。
この尾根上にはホテルは無く、初のホテルです。



お昼ごはんを食べるマニーシャ達。

そして一夜明けた昨日は、ゆっくりと時間を過ごし、ヤギのダルバートも食べ、午後2時過ぎにマニーシャ含め、総勢8人で歩いてポカラへ…






下に下りたあとは、彼女達はバスで家に向かい、自分は歩いて家に向かいました。



自分は計4時間 歩きましたが、やはり歩くのは気持ちがいい!

あと歩かないと歩けなくなり、体力も無くなっていくので、定期的な旅は体力作りにもなっています。

それが1人で旅をするひとつの理由です。

人に合わせたなら歩かないから.....





朝5時に父親が起き、動物たちの小屋のドアを開けた。

6時には朝早くとは思えないほどの賑やかな声々に、可笑しくて感動してしまった。

小さな母親だが、命いっぱい生きている感じが見ていて楽しくて、ファンになってしまった。

父親の朝ポカラに出て行く、あの出で立ちに哀愁と無骨さを感じた。

村人の男 誰もがヤギを見事にさばいていく風景を見て、たかがパラグライダーで飛んでいることがちっぽけに思え、何ぼのもんだ!と感じた。

妹の素直さ、弟の笑顔。

そして会話が永遠に止まらない賑やかさ.....


人生で初めてだった......  可笑しくて感動してしまったのは。

はっきりと繋がっていくものを、ニルマル ポカリで感じることが出来た。
昨夜からの雨がなんと今日も降り続き、午後には止んだものの、その後も小雨交じりの天気となり、夕方になってようやく雨が終了しました。


午前10時 雨の中を通学する児童。

行き交うローカルバスによって道は掘れ、雨でぬかるんだ状況。

雨が止むまで、村人とお話…



ホームステイ宅に飾ってあった写真。

ホームステイの時はいつも1000円渡して後にします。(村での1000円は日本での1万円位の感覚かな…)


おかげで道中の村々には寄れず、真っ直ぐにニルマル ポカリに来ました。


小雨の中をニルマル ポカリへ向かって1時間程…


この乾季に雨が降る事は稀で、全く天気を気にしないで、雨具は一切持たずに旅に出たのですが…

とにかく今日中にニルマル ポカリに来れてよかった。


夕方には太陽も…



繋がった村、ニルマル ポカリ。

ここがニルマル ポカリだとは知りませんでした…

と言うのも、何度もここには飛びに来ていて、ニルマル ポカリは次の村だと今日の今まで思っていました。

そしてテイクオフしていた場所の直ぐ下に学校がある事は知っていましたが、その学校が日本人と繋がりがある「FUKUOKA 」と言う日本人が建てた学校で、それがここにあり、以前に歩いて来ては、ここからは今度も飛んでいた… ここがニルマル ポカリだった。


「運命を繋げる旅」

今回の目的である繋がりを、この村に強く感じました。


雨は去って行き、明日は天気は回復するでしょうが、濡れた大地と冷気で、下界は昼過ぎまで雲海に閉ざされると思います。

その上の世界がここからは見えるのか?それとも雲海の下に入ってしまうのか?

標高1150mのニルマル ポカリは微妙かも知れません。


旅 初日に出会ったマニーシャとも9日ぶりに再開し、明日はプジャがあるとの事で、彼女の家族に一緒に付いて行き、ネパールの文化に触れたいと思います。


ホームステイ宅。

ここはお婆さんにお母さんに娘さんの3人。
旦那さんはポカラにいて、毎週末には帰って来るそうです。

雨で気温は寒くなり、食後は囲炉裏で暖を取りました。

部屋に飾ってあった写真。



今日もある御宅にホームステイしていますが、この旅 全てがネパール文化と向き合う時間であり、その中で運命を繋げる何かを見つけたい!

旅を続ける中で、繋がるものがクロスして見えてきている…

明日はプジャです。
旅が再スタートしました! とわ言っても、何処も来た事のある場所ばかりなので、新鮮さはありませんが、こんなにも人々と立ち止まって、会話をしながらゆっくりと歩いて周るのは初めてです。


今日はポカラから歩いて2時間のところを、ゆっくりと3時間かけて、何度も来ているクリスティまでやって来ました。


クリスティ村

ホームステイ宅も直ぐに決まり、荷物を置いて、あとはクリスティの一部の村をゆっくりと会話をしながら3時間ほど…


クリスティはみかんの産地で、沢山のみかんがなっていました。

ローカルバスは1時間に1本あり、バスでポカラまで30分程… 交通の便は悪くはない。

クリスティ裏側の家々。

20歳のお母さん。結婚は17歳の時で、旦那さんは海外へ出稼ぎに行っています。
これは村では普通です。

日本寺、サランコット、晴れていれば向こうにヒマラヤが見える3重景色。

この道沿いの…

この御宅にホームステイしました。

ここは旦那さんの部屋ですが、出稼ぎに行っていて空いているので、ここに泊めてもらいました。

お婆さんとお母さん。

2人のお子さん。

食後は電気が来ていれば、テレビを見て、9時には就寝…

ポカラの街には雲が溜まり、霧の中…


今日は1日中 曇っていましたが、なんと夜には雨が降ってきました。

明日も天気は悪そうですね…


村に溶け込む為にも、全く力を入れないで滞在しているので、村人とも自然に接する事が出来ています。


明日はマニーシャの村 ニルマル ポカリに行きますが、ここから歩いて1時間ほど、しかも夕方の5時までに着けばいいので、そこまでの村々をゆっくりと周りながら、今回の目的地でもあるニルマル ポカリに向かいます。

1週間振りにマニーシャに会います。
今日は昼過ぎまで日射がなく、昨日 洗濯した服や靴が乾かずに、やばい明日 出発 出来ないかもしれない… と思ったが、午後から3時間ほど晴れて、何とか乾いてよかった。


明日からは、今住むダムサイドから歩いて2〜3時間ほどの尾根上にある村 クリスティ〜ニルマリ ポカリ近辺を旅します。

ここも住みたい村の候補地で、ポカラからバイクなら45分〜1時間ほどの場所。

景色はポカラの街、ヒマラヤ、全てが俯瞰で見渡せる最高の場所でもあります。

ホームステイをしながら、1週間かけてこの辺りの村々を繋がりを求めて、歩いて周ります。



地図下にあるマティカン、クリスティ、ニルマリ ポカリ一帯の尾根上の村々を周ります。


今住む家からも見える丘の尾根上で、ニルマリ ポカリ以外は以前に何度も飛びに行った場所ばかりです。(標高差は300〜400mほど)


マティカン村の丘。


夕方グランドでトレーニングをする、軍隊志願の学生達。


繋がりを求めて、また歩いて来ます。


(*明日からはインターネットは無いので、1週間後?にポカラに戻ってからの日記更新になります。)
繋がりと流れで、当初は予定になかった村ニルマリ ポカリを訪れる事となったので、一時ポカラに戻って来ました。

1週間振りの街ですが、村とは全く違う様でいて、実は全く違わない長閑なネパール…

9時には寝て、5時には起きる村の生活リズムが街では2時間ほどズレて、人の数が違う… 以外はネパールはネパールです!

人が増えると、欲深さが人々の顔に表れてくるのは、世界共通でしょうか。


明日は1日ポカラで次の旅の準備をして、明後日からは今度は反対側、ヒマラヤから離れる方向で丘の上にある村、クリスティ〜ニルマリ ポカリを訪れます。

ここも1週間くらいを予定していますが、繋がりと流れでどうなるかは分かりません。

繋がりと流れ… これは人生そのものの様に感じます。

何かが起こるかもしれません。

期待しています。



ラチョーク最後の朝は少し雲り空だったが、その後 晴れ渡り、これぞネパール!これぞポカラ‼ の景色が広がった。


ポカラに戻る道中、サッカー大会が開催されていたので、少し覗いた。

お腹の出たおじさんサッカー大会だったが、マイクでの実況付きの賑やかな感じだった。


バスを2度乗り継ぎ、家には午後2時半前には着いたが、ご覧の快晴となった。


その後は大洗濯とお風呂で、1週間の汚れを落とした。
明日には一度ポカラに戻るので、今日がラチョーク最終日となる。

ラチョーク最終日の今日は、1時間ほど歩いた所にある村ガチョークを周って来た。


道中(牛で田んぼを耕す村人とマチャプチュレ)

家畜の餌となる草を刈り取り、家路に着く村人。


今日は飛んでは来なかったが、昨日は6機ほどパラグライダーがここ上空にも飛んで来ていた。

今日周ったガチョークは何度かパラグライダーで飛んで来ては、力尽き下ろした場所であり、周りを眺めては少し懐かしんだ。

そしてここはツーリストがたまにやって来る村で、大きなホームステイ出来る家がある。

この村からは神の山マチャプチュレが近くに見えるが、その手前にあるコーチョン(クマイダンダ)3200mはトレッキング場所としても有名で、ここはパラトレッキングとしてもパイロットには知られている。

ポカラからガチョーク1200mで1泊、ヒレカルカ2200mで1泊、クマイダンダ3200mで1泊し、翌日にはクマイダンダからのフライトに挑戦する… 2泊3日か3泊4日。歩ける人なら2000mを1日で上り、1泊2日でも可能だ。

約3年前には自分とポーターでパラグライダーと食糧を担いで1日で上り、翌日には飛んでマルディヒマール5555mに挑戦したが叶わず、XCに切り替えてクスマまで飛んで行った思い出がある。

クマイダンダからの眺め

このクマイダンダ3200mには山小屋があるが、鍵がかけられていて自由には入れないし、この場所は許可が必要な為に、今では必ずガイド兼ポーターを付けないと上がれない。

景色は絶景で、数年前から名所となっている。(ヘリコプターをチャーターすれば、ポカラから数十分でここまで行けますが…)


今日は写真を撮ろうとした時には、マチャプチュレは雲に隠れてしまったが、ここガチョークからのマチャプチュレの眺めは壮大だ!

マチャプチュレは距離ではなく、角度や場所によってその大きさが全く違って見える不思議な形の山だが、山に登らずに大地から眺めるマチャプチュレの最高の場所がガチョークだろう。


ガチョークはラチョークの様に家が密集してなく、住んでいるカーストもこの辺りから上に上がるに従ってグルン、モゴルが大半となる。

広大な大地には田んぼが広がり、幹線道路沿いに家々が点在する… そんな感じだ。






ここからも職場であるサランコットははっきりと見え、仕事をしているグライダーもはっきりと見えた。


それにしても27日間は短過ぎる…

ポカラの周りを繋がりを求めて周るには3ヶ月は必要だが、自分の立場もあるので、3ヶ月も休めない… お金ではなく。


アスタム3日間、ラチョーク3日間、そして明日ポカラに戻り、旅を始めて1週間…

あと16日間しかない。

今後はクリスティ、ニルマリ ポカリ、カリカスタンを周る予定だが、もっともっと繋がりが欲しい!

限られた時間の中で、出来るだけゆっくりと、しかし多くの人々と出会いたい。

繋がれ!!


岡の上の民家。

棚田。

夕暮れ。
今日はラチョークを4時間かけてほぼ周り、村の雰囲気は大体分かり、どの様な人々が住んでいるのか?も感じる事が出来た。


ラチョークの自然と民間。

人々に会っては立ち止まり、話しをして、気になった人は後を付いて行き、家に入れてもらい会話をしながらお茶を頂く…

アスタムもそうだったが、ここラチョークもほとんどと言っていい程に英語は通じないので、ネパール語だけでの会話…

村にいたなら確実にネパール語は上達するが、確実に英語は話せなくなっていく…

正直 これを繰り返して周って行くと疲れるが、繋がりを見つけるには歩いて、会話をして周る… これしかない。

もちろん2〜3日滞在しただけで、その村がどの様な村なのか? 分かるものではないが…


ラチョークから見える山はアンナプルナⅡ 79937m(右)とアンナプルナⅣ7525m(左)。

それとアンナプルナ サウス7219m。(ちなみに左端にへばり付いてある村がグルン族の住むリバン村)

ラチョークを上がって行くと田んぼが広がり、マチャプチュレも顔を出してきます。


この村はバウン、チェトリが多いが、ローカーストと言われるサルキー、カミ、ダマイ。そしてタカリ、グルン、モゴルのモンゴリアン。今日は会わなかったが、ネワールもいるという事で、民族が入り混じった村の様だ。

今日は4人の女性と出会い、家に赴いては会話をしたが、20歳になると結婚をしていく村において、会話をする女性は限られる。

18歳、17歳、17歳、18歳… (学年を聞けば年齢は分かる)

必ずと言っていい程、そこにいる家族から結婚の話しが出始め、娘達は気まずい雰囲気になってしまうのだが…

日本へ付いて行け… 職業は…収入は…

自分は日本に住んでいない事、職業はパラシュート パイロットだという事ははっきりと伝えるが、収入は多いとは言うが、はっきりと幾らとは伝えない。

もし村の女性と結婚するのならば、間違いなく10代の女性となってしまう。

街の女性ならば20代になるが、その街では繋がりが難しく、村では繋がっても10代…


自分の年齢の事や、相手の年齢の事。

結婚する為にはそこを越えなくてはいけないのだが、そんなところに捕らわれている事自体 馬鹿馬鹿しく思えてきた。


明日は1時間ほど歩いた所にあるガチョーク村まで行って、歩いて周って話して、夕方にはここラチョークまで戻ってくる予定です。

来週にはマニーシャの村 ニルマリ ポカラに向かうので、一度ポカラに戻って、手間の村 クリスティに1〜2日滞在して、その後 ニルマリ ポカリに行きます。

あくまでも予定ですが、どう流れ繋がっていくことやら?


向こうに広がるのが明日訪れるガチョーク村。


ホームステイの御宅では、朝10時と夜7時にダルバートを頂いています。(基本 毎回 同じものが出てきます)
今日はアスタムを離れ、山を下りて、平地にある大きな村ラチョークまで来ました。


下の大地に広がるのがラチョーク村。

アスタムから見たラチョークには沢山の家があり、町?の様に見えましたが、話しに聞いた通り沢山の家が集まった村でした。

バザールもマーケットもなく、村が集まった大きな村… そんな感じですが、平地で木々がうっそうとしていて、周りが全く見渡せない、迷路のような大きな村です。


村に着くと、周りには木が生い茂り、全く周りを見渡せない…

家が沢山あり、人も多いのですが、やけに子供の割合が高い! 下校中の時間に村を周った事もありますが、会った人の7割が子供達でした。

その後は子供達に囲まれ、あっちにこっちに連れて行かれ、振り回されました…

子供には大人気の私です。


明日は子供達が学校にいる時間帯に、ラチョーク村を見て周ります。

大きな村なので1日かけて周り、村に溶け込んでみます。

村と言っても、丘の上にあるアスタムと平地に広がるここラチョークでは、全く景色は違い、雰囲気も全く違う。




同じ村でも、住むのなら断然 丘の上にあるアスタム!

しかし明日また、何か新たな発見がここにあるかもしれない…

それを見つけ、繋げていきます。


ラチョークではこちらの御宅の2階にホームステイ。

この部屋に停めてもらいました。

1階はショップになっていて、日常に必要な物は一通りあります。


裏の畑では奥さんが畑作業中…

隣りは旧家ですが、お婆さんが暮らしていました。

牛、ヤギ、ニワトリは村での3大宝です。
今日後にしたアスタム村。

ロケーション、村の雰囲気、ポカラからの距離… ここならば住んでみたい!以前からそんな村だったし、今回更にその想いは大きくなった。



昨夜はポカラからこのホテルのオーナー夫妻がやって来ていて、色々と話しを伺った。

オーナーは旦那さんが大学の先生で、奥さんが看護婦学校の先生で、旦那さんがここアスタム村の出身で、このホテル一帯の土地の地主。

前にある民家は以前、子供の頃から彼が8年前まで住んでいた旧家。


旧家の中は今では物置場となっていた。


この地で土地 + 家を建てるのらなば、どれほどのお金が必死か?も分かったし、このホテルのパートナーシップにならないか? との話しも打診された。


アスタムは隣りのダンプス村の様な、多くのツーリストが立ち寄る場所ではないけれど、ロケーションはダンプス以上だし、今はツーリストが少ない環境が幸いして、ネパールの村の雰囲気を充分に感じる事が出来る。

ダンプスよりも楽に行けて、ヒマラヤが見える村なので、今後は1泊2日の近場トレッキングとしてツーリストが増えていく事が想像も出来る。

この村 近辺を3日間歩いて周り、知り合いも沢山できたし、これも大きなアスタムと自分の繋がりとなった。

それだけでもアスタムを訪れた事は、この旅の財産になったし、ひとつ目的とも繋がった。


おばちゃん、おばあちゃん。

子供におばさん。

明日からルンビニに2泊3日の学校旅行に行くにもお金がなく、1000円が必要との事であげたら、カリカスタンに住むお母さんにその事を嬉しそうに報告していました。

カリカスタンとアスタム… 離れて暮らすこの子供とお母さん。

私が訪れたい場所 、アンナプルナ1周の最初のテイクオフ地点でもあったカリカスタン。

この子とお母さんを通して繋がった場所!

カリカスタンへも繋がりを求めて行きたい。

今朝はどん曇りでしたが、いつも通り11時過ぎには晴れてきて、午後2時まで太陽が顔を出していました。

冬になると日照時間が短くなり、11〜2時位の3時間は太陽も出て暖かいですが、それ以外は肌寒いです。

今日はその間ずっとアンナプルナ サウス7555mが見えていました。


ヌワガオン村にあった水の浄水システム。

これは日本のJica が協力していて、この緑のバケツを通る事で、水が浄化され、安全な水が飲める様に出来ています。

これが何ヶ所もあり、太陽発電が出来る大きなソーラーパネルもありました。


今日は下にあるコラムク村まで、一度山を降りました。(その道中)


村は大体こんな感じで、水牛にヤギにニワトリがいて、稲刈りを終えたワラは乾燥させ、この様に山積みにして、1年分の家畜のえさになります。


標高差400mを下りて、向こうに見えるコラムク村まで行って来ました。

明日はこの村に泊まろうと思い、見に行ったのですが、見て触れて分かる事があり、この村はこれでお終い。

明日からは大きな村 ラチョークへ行き、ホームステイの予定です。


分かっていた事だが、村にはおじいちゃん、お婆ちゃん。そしてお母さんに小さな子供達… しかいない。

ネパールの休日である土曜日には、街から里帰りで若い人達も村に戻ってくるが、平日は街で生活している。

今日5時間歩いて出会った若い娘さんは、この写真の内職をして働いていた2人と、日本のホテル「花のいえ」で草取りの仕事をしていた2人の4人だけでした。

この4人は年頃20歳くらいだと思いますが、この村に1年程前にパメ村やカスキーから嫁いで来た女性達で、結婚しているかどうかは額を見れば分かります。

ヒンドゥーでは基本、結婚している女性は額に赤い目印を付けています。

村の女性のほとんどは20歳前後で結婚します。
今朝はどん曇りで、日射がなく肌寒いです。

しかし思うのです。こんな所に1ヶ月も滞在したなら、人は皆 綺麗な心と魂に生まれ変われる… 美しい人になれると。

何の音もない静けさの中での眠りもまた、至福そのものです。


趣きのある民家。

台所では囲炉裏で、絞りたてのミルクを沸かしていました…

沸かしたてのミルクを貰いに来た村人。
美しい人が多い村… そんな印象です。

朝食もゆっくりと時間をかけて。
何処かに繋がる、ひとつの繋がりを見つけた1日でした。


黄色い花と赤い花が青空に映え、バックにはヒマラヤが… 村の贅沢はこれだ!

村は美しい…

民間の軒先にはもみ殻の付いたお米とヒエが並べられ、天日干しされていた。



今日の出会いは一人の美少女だった。

ガイラガオン村への道中で母親と歩く彼女に出会ったが、彼女に連れられてプジャ(お祈り)のお寺へ…

今日は特別なプジャの日だそうで、しかも土曜日で休日。

周りの村から、そして村出身の人がポカラから、沢山集まっていました。


若い女性、中年の女性、お婆ちゃんが代わるがわる踊っていました。


今回の旅では女性の年齢を聞かない事に決めているが、17〜18歳であろうマニーシャ(左)。右は彼女の弟さん。

ネパール女性にしては積極的な女性で、周りの目も気にしないで自分の手を引っ張ってお寺へ。

ポカラの学校に通う彼女はホステルに泊まり、家族の住むニルマリ ポカリ村から離れて生活している。

でもこれはネパールでは普通で、学校(高校、大学)は大概 街にあるので、村出身の人は親元を離れて生活しています。


踊りを眺めている自分の背中(マニーシャ撮影)


隣りでは大きな鍋で調理。

来た人皆に料理が振る舞われ、今日ご馳走になったのはライスプディング、ジャガイモとキャベツとトマトのカレー、イスクスという野菜の漬物でした。

これを食べてから退散。

私は彼女と母親と兄弟を見送る為に、山を下りた村 バスコットまで行きました。


ヘンジャコットからハイウェイの村 バスコットまで、石段を下りる事 約30分…

村から彼女の家族が住むニルマリ ポカリまで、お祈りに使うヤギを連れつの家路。

ヤギは何かを察したのか?はたまた今までいた村が恋しいのか? 必死に抵抗してなかなか歩いてくれなかったので、自分も抱きかかえて歩きました。


ハイウェイに下り、バスに乗ってヤギと一緒にポカラの町に戻って行きました。


今日歩いて、村人に触れて、そして聞いて分かった事があります。

この辺りの村にはバウン、チェトリ カーストの人々が住んでいる事。

そしてダンプスまで行くと私達と同じ顔立ちのグルン、モゴル カーストの人々が住んでいる事。

ダンプスにも何度か行っていますが、確かモンゴリアンが多かった… と思い出しました。

ダンプスへは行かず、ここアスタムにもう数日 滞在しようと思います。

ネパール人と結婚するのならば、モンゴリアンではなくアーリアン… そう決めています。

明日はヘムジャコットからヌワガオン経由で、次に訪れる予定のラチョーク側に下りて、村の雰囲気を感じて戻って来ようと考えています。


そして一度ポカラに戻り、予定にはなかったけれど彼女マニーシャの村「ニルマリ ポカリ」にも行ってみようかな…

1日ひとつの繋がりを見つけ、それをひとつづつ繋げていきたい!

結婚は決して目的ではなく、その繋がりを見つけ、人生を繋げていく事が今回の旅の1番の目的です。


明日も何か、何処かに繋がる繋がりをひとつ見つけたい!
今朝は雲ひとつない快晴で、マチャプチュレ、アンナプルナ サウス、アンナプルナⅡ.Ⅳがよく見えます。

アスタムはポカラからとても近い場所ですが、少し山に近づくだけで、その景色はまた違ったものになります。

ここはまさにネパールそのものです!


今朝は久しぶりの快晴で、景色は最高です。


朝から村人は前庭の畑作業…



村の家はこの様な土壁で出来ていて、屋根は薄い岩盤が敷き詰められている。
旅 初日の今日は、ミランチョークから約2時間歩いて、アスタムコットまで来ました。


アスタムコット


このアスタムコットはポカラからも近く、ミランチョークまで車で30分。そこから高低差300m程をゆっくり歩いても2時間で着く、老若男女 誰でも歩く事が可能な山道です。


ここはネパールの村そのもので、しかもヒマラヤが大きく見えて、自分が将来 住みたい村 No.1です。


1泊2日トレッキングの定番 ダンプス村の様なツーリスト場所ではありませんが、ホテルも3つあります。

ひとつは「花のいえ」で、ここは何度か紹介していますが、日本人オーナーの山岳リゾートホテル。
1泊2食付きで1万3000円程するのですが、部屋の造り、食事、景色、そして五右衛門風呂とポカラに来たらお勧めの場所です。


二つ目がエコ ビレッジで、アスタムで長期滞在するならここ。

料金は確か1泊1500円ほどですが、名前の如く自給自足を実験的に行っている共同体で、その中での宿泊… そんな感じです。


そして2年前にできた3つ目のホテルが、今回 私が泊まっているホテルで、ミスティック ハイランド リゾート。


アスタムにできた新しいホテル。


1泊1000円のホテルで、前回アスタムを訪れた時にはまだ建設中でした。

造りは面白くて、円柱形の建物で、部屋は360°回る様に造られているので、部屋によって見える景色、方角が全く違います。

今はオフシーズン。お客は私だけで、自分はヒマラヤではなく、この後に訪れるヘンジャコット、ダンプスが見える部屋にしました。


10月、11月のツーリスト シーズンにはアスタムにも多くのツーリストが訪れますが、それ以外の時期はネパールの普通の村そのもの。

村人もツーリストには慣れていますが、ツーリスト擦れはしていない。

英語もあまり通じない。

ポカラ(レイクサイド)からバイクで45分〜1時間で来られ、道も途中からオフロードですが1日2回のジープでの送迎もある。

バイク通勤するなら、普通のバイクではなくオフロード バイクが必要かな…

仕事も1日3本ルールなので、基本 午後3時過ぎには終わり、時間的に通勤は可能な村です。


明日はヘンジャコット手前の村「ヌワガオン」を訪ねて、出来るだけ多くの村人に出会いたい。

明日は土曜日でネパールの休日。

学校がないから多くの子供達や、町から戻った人達に出会えるだろう…


シーン… そこに子供達のはしゃぐ声と犬の鳴き声。

この静けさこそが村の最大の魅力です。
  
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プロフィール
HN:
kazu
年齢:
53
性別:
男性
誕生日:
1971/09/08
職業:
パラグライダー
趣味:
たそがれ、物想い、静寂、心穏やか、不安、楽しむ
自己紹介:
Kazu
Japan spirits and pride
Professional tandem / Adventure pilot

世界最高峰のヒマラヤ、神の国ネパールで生きていく為に始めた空飛ぶ道具パラグライダーでコマーシャルタンデムをやっています。夢は神の山マチャプチュレへの冒険フライトに挑戦すること。
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