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その人が何処から来たかなど、どうでもいいではないか。 どんな地位にあるか、どんな功績があったのか、どんな血筋を引いているのか、など全くどうでもいいではないか。 ただ、その人の行いを見よ。 今ここに於いて、何をするのかを見よ。 行いが正しく、羞恥があり、身と心を慎んでいるのであれば、その人は生まれがどうあれ、今から高貴な人ではないか。

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痛感している。

オフシーズンなのでネパール人しかほとんど来ないが、コーヒーでネパール人では全くビジネスにならない。

こんなにも外国人とネパール人は違うのだ。

文化がなく保守的でお金も無い。

いっそ話をもらっている中東のバハレーンに行こうか。

何処でやってもネパールではコーヒービジネスはそこそこのビジネスでしかならないのが2019現時点。

一度バハレーンに視察に行こうか。

今日はイライラとストレスで本当に疲れた。
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バンダーリさんの壮大な夢が始まった。

ポカラから車で30分程に位置するカリカスタン村。

ここは6年前にアンナプルナ1周の最初のテイクオフ地点に選んだ場所。

ここにリゾート施設の建設を夢見て14年前に購入した土地がある。

その建設が始まっているので見せてもらいに行った。



先ずはレストランと展望台の建設が始まっている。


レストランの骨格。

彼は55歳で人生 最後の夢として10年計画でレストラン、展望台、ホテル、プール、ロープウエイの建設を計画していて総額1億5千万。

「最近カトマンズに3千5百万の家を買った」

「今 経営しているレストランは1千5百万で売りに出している」

ホテルと600万のジープに同じく600万のハイエースを所有し、日本では千葉にレストランを経営していた経験を持っている。

日本では最初はビジネスが上手くいかず失敗の経験、カトマンズでもクレープ店で失敗している。

9回失敗しても1回成功すればいい。

それで失敗の分は補えるし、その1回の成功で全てを補って余りあるビジネスをしている。

代々ビジネス家系。


彼の叔父が建設している大きなホテルがダムサイドにあり、今日はその成功を祈願するプジャに連れて行ってもらった。

その屋上からの景色はレイクサイドとダムサイドのホテルの中では一番。

カトマンズにはもっと大きなホテルを叔父は経営している。75歳。


彼等を見ているとビジネスに対する誇りを感じる。

そして頭の中。

考え方が全く違う。

だから代々ビジネスを成長させ、リゾートを建設に歩んでいるのだろう。


ビジネスは早ければ早いほど、若ければ若いほどいい!

なぜなら何度も失敗するから。そして若ければそれを糧にして成長していける時間が多く残されているから。


息子には10代のうちから、学校に通いながらでもビジネスを初めて欲しい!

小さなビジネスでもいいから早くに。

失敗を繰り返しながらも。

それが成功への鍵だと感じています。

自分は遅すぎます。

しかし自分の代で出来ることをひとつでも多くやっていきたい。
今シーズンもあと5ヶ月となり、今シーズン初めに目標としていた次のお店 開店を次のシーズンが始まる10月に設定して動いています。


大河と虎。
大河のニックネームはタイガーで、虎の写真をバックに入れてもらいました。


大河3ヶ月の記念撮影。



こちらが話を頂いているお店でレイクサイドにあります。









立地が今いちなのと、湖は見えますが湖側の歩道から隔離されているのと、隣の建物の影になっていて入り口が一方向から見えない・・・

他の物件も探していくので、今 直ぐに決断はしません。

先ずは方向性とスタイル。

そして立地と周りの環境。

色々な場所、色々なレストラン、色々なカフェを実際に行って見る事が重要です。


ポカラ空港近くのホテル&レストラン。


ポカラ競技場 近くの韓国人が経営しているベーカリー&カフェ。

昨日は夕方サルミラと出掛けて、気になっていたレイクサイドのレストランへ行きました。




今流行りのヨーロッパ風のレストランで、5カ国の料理が楽しめるとか・・・

イタリアもその中に入っていましたが、エスプレッソは自分の店の方が断然 美味しいです!

コーヒーに絞って「ネパールで一番 美味しいコーヒー」を目指してそれを売りにしているので、コーヒーだけは負けません!!

料理はうちには無いから、総合的には勝ち目はありませんが。

オーナーはイタリア人とネパール人で、他にもレイクサイドにレストランとホテルを経営していて、どちらもここではトップクラスの値段と質です。


Ps.レイクサイドで知り合いのカフェを紹介されたので来週 見に行って来ます。

40~50人座れる大きなスペースがあり、月の家賃が5万と聞いています。

レイクサイドには余り興味がありませんが、ビジネス目線でどれだけの売り上げが見込めるのか? 

自分の強味は目の前で自家焙煎 宣伝型のショー的なバリスタとしての仕事を見せるスタイル。

それが出来る場所なのかも含めて見て来ます。


昨日 息子の予防接種があり、体重測定もしました。

生まれた時が3.9kgで生後1ヶ月で5kg。そして間もなく生後3ヶ月になる現在7.5kgと順調に成長しています。

自分はネパールに住んでいますが、ネパールは発展途上国。

多くの人が中東に出稼ぎに出ていき、多くの人がアメリカやイギリス、オーストラリア、日本等の先進国に留学、そして働いています。

良く息子にいずれは日本へ行かせるのか? と聞かれる事がありますが、それは20年後 彼が決める事であり、自分は世界の何処でも選択してもらえる環境で育てていきます。

見えていない人は発展途上国での生活にマイナスなイメージを持つかもしれませんが、これから発展していく国には希望があり未来があります。

20年後 発展と希望がある国(環境)は今 自分が想像している国ではなく、隣の大国 インドや中国は更に、そしてアフリカかもしれない・・・

自分はアジア人ですが、息子の時代は世界。

自分は令和の終わりと共にこの世を去る世代ですが、息子は令和の次の時代に生きる世代。

時代は変わり続けるのだから、環境も自分で選んで変え続けなけらばいけない。

ここにいる自分もその過程だと感じています。






今日は土曜日でネパールの休日。しかしネパール人はビジネス対象にほとんどならない。

カトマンズやパタンでは見掛けた外国人も未だここでは多くはない。

午前中 僅か1000円の売り上げ。

これからネパールのビジネスマンや観光客が来ると言う午後から雨と風で、結局 夕方5時には閉めた。

今日の売り上げ僅か8千円.....


雨が降るなら午前中がいいのだが、この時期 天気に邪魔される事は仕方が無い。

ただやっぱり常連さんが付かないビジネスは毎日がストレス。

確かに沢山 ビジネスマンがいて競争が激しいのは街だけれど、頑張っても毎日が一からの一見さんビジネスは神経を使ってしまう。


今 サルミラと初めて次のビジネスについて話し合えた。

ここでのビジネスは最低でもまだ契約が2年半ある。それを待って次のビジネスを始めるのは遅すぎるし、時間の無駄。

このポカラとカトマンズ 両方でビジネスするのはこの2年半では無理。

5年後には2千万だから、この2年半で別の違った形のビジネスをポカラでもうひとつやって、経験を積んで売り上げでも1千万あげられてからカトマンズへ行きたい。

今の場所は一見さんのビジネスだから、ポカラの街ではどのようにしてリピーター、常連さんを作っていけるのか?! その経験と実績を積んでいきたい。


このバールを始めて6ヶ月が過ぎ停滞しているビジネス。

あと2ヶ月でサルミラも子供を連れて店を見てもらえる様になります。

2ヶ月後から週一の閉店を辞めてローテーションでスタッフには休んでもらい、基本 無休で店を回していきます。

これで月に5万ほど売り上げは上がります。

そしてこの2ヶ月でポカラの街でのビジネス場所を決めて、2ヶ月後のオフシーズン7月,8月,9月で次のビジネスを準備していきます。

そして10月から次のビジネスをポカラで始める考えに至っています。

ポカラの何処でどんなスタイルでやろうか?

次に繋がるビジネスを。


ポカラ ダム サイド


昨日までカトマンズへ行っていました。

目的は日本大使館に息子の出生届けを提出するのと、カトマンズをビジネス目線で観察すること。







息子の名前は「谷川 大河」です。

こちらでは「Taiga Tanikawa」ニックネームは「Tigar」タイガーです。

一度 聞いたら覚えてもらえる名前で、可愛い名前ではなく大人になってからも違和感の無い名前。

「谷」から流れ出た水が「川」となって、やがて「大」きな「河」となり「世界」に繋がる大海原へ・・・

そんな想いもあってこの名前に決めました。


今から約20年後・・・ 彼は何処の国(環境)を選んで生きていくのでしょうか?!

それまで一緒に生活して育てていきます。




日本大使館の向かい側にあるCafe Lava.

日本大使館に行った時には必ず寄るお店で、1店舗で年間2千万以上 売り上げるにはこの大きさ、このスタイル。

食べ物も充実してて高価なお酒もある。

ネパールでカフェと言えばレストランメニュー95%+コーヒーメニュー5%位の割合のレストラン カフェで、今の自分の様なスタイルで大きな店は考えられない。


カトマンズのStar coffee。

彼のお店はコーヒー カフェでポカラに2店舗、ダモウリ1店舗、カトマンズ1店舗の計4店舗。

パンとスイーツ、それにコーヒー。

このタイプだとネパール人相手には難しく、モモやチョウミンがあり、そこにコーヒーもあるお店でないと売り上げは上がらない。

コーヒーを目的にお店に入る人がまだまだ少なく、グループ行動だとその割合が一気に下がってしまう。



先ずどのスタイルで行くのか?!

そして次に何処に出すのか?!

もし1店舗で2千万を目指すのならば、食事やお酒を含めてビジネスを考えていかないといけなく、そこに対する知識も経験も今は無い。

カトマンズとポカラは行き来するには遠い。

どうするのか?

今は見えていないが意識はそこに常にあるので、どうしていくのか?必ず見えて来る。


大河へのプレゼント。

サルミラへのプレゼント。

今日がネパールの新年に当たり、ネパール暦で2076年になります。

久しぶりに歩いて5分の日本寺まで行って来ました。


この忙しいであろう時期にまたスタッフが辞めたので、サルミラに急遽 応援に来てもらっています。

息子は隣のお店で寝かせつけ、合間を見て約2ヶ月半振りにお店へ。

サルミラがいるだけで安心感があります。


自分と反対で奥さんが日本人で旦那さんがネパール人の家族。

圧倒的にこちらのパターンが多いですが、うちや彼の様に日本ではなくネパールに住んでいる家族は少なくて、彼の日本人奥さんもカフェに興味があり、カトマンズでカフェを開く予定だそうです。

Ps. ネパールの新年は沢山のネパール人がここを訪れます。

ネパールにコーヒー文化がない事をコーヒー専門店をやっていて、このネパール人の人の波の中で疲れ諦める程に痛感しました。

やはりコーヒーもまた文化なので、暑い時期だから熱い味噌汁は飲まない ! そんな日本人はいないように、コーヒーも文化があれば暑いからコーヒーは飲まない!とはなりません。

現に文化のあるヨーロッパ人等は暑くても熱いコーヒーを普通に飲みます。

あとは文化がネパールの他よりは発展しているカトマンズの人に方がはるかにコーヒーを飲みます。

うちに来るネパール人の8割りは遠いカトマンズの人。

今日 夕方に7人家族のネパール人が全てブラックコーヒーを飲んで行きましたが、10歳、15歳、17歳位の子供もブラックを飲んでいました。

ポカラの家族では先ず考えられないし、他のネパール地域の人では100%あり得ない事。

ビジネスを考えたとき、文化と人口は経済にとって切っても切れない関係性があります。

人口も経済もポカラの10倍のカトマンズ。

生活するにはポカラのほうが環境はいいです。しかしビジネスを考えると断然 カトマンズ。


今日 人々の動きを観察していて気付いた事があります。

「団体行動は自然と平均を好み、平均的な店なり平均的な物を好む」

だからひとつの突出した他とは違うビジネスをする場合、そのような人々が集まる場所を探し出す事が重要で、人通りの多い普通の人が行き交う場所では平均的な物を取り扱ったビジネス。しかしそれは平均的な売り上げしか上げられない。

そのような人々が必ずいて、今日の7人家族がそれに当たり、そのような人達はそのような人たちで集まっているので、その場所でビジネスをやる


その地はカトマンズ以外に今のネパールでは無いのかも知れません。

自分がプロフェッショナルならば、ネパールでビジネスを成功させる事は難しい事では無い。

コーヒーを広げる活動等はビジネスで成功してからやるべきことであって、その成功への最も重要なこと、それは場所選び。何処でやれるのか?!が成功への大きな鍵になる事は間違いない。

後3日でネパールの新年を迎える。

その1週間後に息子の件でカトマンズの日本大使館へ行く。

人口 = 経済。人口ポカラの10倍。そのカトマンズが自分の中で大きな比重を占めてきているので、ビジネス目線でしっかりカトマンズを見てきます。


プロフェッショナルの象徴。
やはり文化がない、習慣がない、お金がないネパール人に2019年 現時点でコーヒーをフラッと立ち寄って飲んでいってもらうにはハードルが高過ぎる。

本格的であってもほぼコーヒーしかやっていないから、人の流れではなく、どの国の人が通っていくかで売り上げは全く違ってくる。

ネパール人メインのこの時期、売り上げは去年よりも1日平均で5千円程 少ない。

今は店の規模も昨年より小さいけれど、違いは昨年はコーヒーがメインではあっても食事系もやっていたので、それで入ってくるネパール人がいた事が5千円の差になっている。

欧米の人が増えれば売り上げは確実に増えるがここはネパール。年間通して一番多く、年間通してやって来るのはネパール人。

この場所この規模で、決して売り上げが悪い訳ではないが全く入って来ない地方のネパール人。10年後のネパールではなく今のネパールでビジネスをしているので、コーヒー専門でビジネスをこの場所でやっていくにはこの売り上げが限界だと感じています。

毎月 生活費を引いても最低でも10万以上は貯まっていくし、生活していくには何の問題もないのだけれど・・・

やっぱり気持ちが悪くて考えてしまうのは目標がこんな金額ではないから!

今シーズンはある意味 我慢の年。

次に投資していく為の考え続ける我慢の年。

サルミラが店に戻り、今の売り上げをキープ出来る様になったらサルミラと今のバリスタに任せて、自分は本格的に次の場所に向かって行きます。


このような建物でも改築すれば次のビジネス場所に生まれ変われる。


最も重要なのは場所! 何処でビジネスをやるのかと言うこと。
ずっと考えている。

どの環境でこの子を育て、どの環境でビジネスをしていくのかを。

街には週一 買い物やその他の用を足すために出掛けるが、村で生活しているからだろう・・・ 車やバイクの騒音に街に住んでいた以前とは違う違和感を感じている。

人は如何なる環境下にも適応していくので、住めば生活していけるが、自分の残された時間と息子の20年弱の人生、どんな環境下で生きていくのか?! 考えている。

街であろうと村であろうと、生活していくだけのビジネス力 = 経済力は自分には備わってきているし、その稼ぎ幅は環境によっても大きく変わってはくる。

今でも家を建てて一ヶ所に定住する考えは持ってい無い。

一度はどれだけ自分で稼いで行けるのか? 試してみたいし、それを第一に考えるとその環境も必然的に決まってくる。

その後 本当に住みたい環境を選んでも遅くはなない。

いずれはヒマラヤの麓に囲まれて、一期一会のトレッキング客相手のビジネスを生活環境 重視でやってみたい。

でもその前にやらないといけないことがある。

その挑戦の環境を何処に求めるのか?

ここにいる残りの2年余りで考えて、結論を出す事になります。




21世紀は記憶力ではなく、自分で考えて産み出していく力が必要で、ネパールの学校教育に果たしてそれがあるのか? 人々を見ていると大きな疑問が沸いてくる。

一昔の日本や先進国を見習ってカリキュラムが組まれているのなら、それはもはや時代遅れ!

気が付いている人と気が付いていない人。

考え方の違いが収入格差の大きな差となっているのも真実。



息子の名前は未だ一緒に生活していないからイメージが沸いてこない・・・

離れた場所で毎晩 考えてはいるけれど、決められないのはここに息子がいないから。

シンプルで外国人でも発音しやすく、一度 聞いたら覚えてもらえる名前。

「一郎 イチローって・・・」でも、彼がその名前に輝きを与えた。

名前は自分が息子にプレゼント出来る人生最大の贈り物。

しかし、それに輝きを与えていくのが彼自信。

だから、シンプルでありふれた名前。そこに何か特別な意味合いを持たせる必要性も無いと思っている。



自分は自分の代で出来るビジネスマンとしての土台を造って、もし彼がビジネスマンとして生きていくのならば、その土台の上に更に何倍ものビジネスの層を造って行って欲しい。

ネパールで億万長者!

2代にしてそれは難しいことでは無い。

ネパールに拘る必要性も全く無いから。

やりたいことをやっていける考え方と行動力を持った人になって下さい。


またスタッフが辞める。

彼女は2ヶ月間 いたから長い方だが、仕事は覚える気がないのか出来なかった。

「雨が降っているから学校に行かない・・・」はネパールでは普通で、そんなレベルだからちょっと嫌だと逃げて避ける習慣が身に付いてしまっている。

国はその集大成だから、日本人とネパール人の違いがそれと一致するのも必然。

イチローが「アメリカ人 本当に適当なのには未だに慣れない・・・」と言っていたが、自分もネパールの適当さには慣れないでいる。

これは日本人に生まれた弊害?

ビジネス展開もスタッフが続かないと次に進めないので、そこは諦めて新たな方向性を考えなくてはいけない。

これが何故ネパールはビジネスに於いて家族、親戚 経営なのか? の答え。

その家族、親戚が頭が良くて考え方がビジネス成功の系統だけがお金持ちになり、それ以外は同じことしか出来ない。

どうしたら自分だけでお金を稼いでいけるシステムを作っていくのか?

頼れるのは自分だけ。





どんどん看板が増え、華やかさも増している店・・・

春休み時期に当たり、外国人 観光客も増えるに比例して店も忙しくなっている。

確かに生活も出来て、お金も少しずつ増えてはいっている。

しかし、これを続けていくだけでは目標達成に近づいて行かないし、何より体力的にきつい。

もう47歳・・・ 病気にも健康にも若い時と違って気を付けていかないといけない事は先日のダウンでハッキリと実感した。

自分がやっていかないといけないことはお金が入ってくる仕組み、組織を作っていくこと。

自分が手となり足となって動く事ではない。

今あるお金を回して次を作っていく事。

貯金なんて要らないから、早く次のビジネスへ投資していきたい。

その為の肉体的 精神的 時間的 余裕を持つことが自分に本当に必要な事。

外国のお客さんとも積極的に会話する。

そこに何か未来に繋がる縁があるかもしれない。

自分の店から歩いて1分のPeace Dragon loge に1泊したのも、結婚式3日間 大音量の音楽で一睡も出来なかったのを回避する為。

村の文化なのかも知れないが・・・ センスの無さにも程がある。

彼等は仕事も無く毎日がお休みで疲れも糞もないんだろうけど・・・   



昨日 サルミラの実家に行っても、父親(52)も兄(21)も叔父(38)も仕事もなくひなたぼっこ・・・

「仕事が無い」「問題だ&問題だ」はお金を稼げない人の典型的な口癖。

ここの村人もそうだけれど1万すら手元に持ち合わせていない人が多い。

でも考える訳でも無く、皆 同じように買ってきた物を店に並べては座っているだけ。

不思議な人達・・・


何故 53歳までに20000万 稼ぎたいのか?!
と言えば、「有限である最も大切な限られた時間の中で色々な所に行きたいし、本当に自分のやりたいことをやっていく時間が欲しい」から。

ネパールで年に20000万あればそれが手に入る。


自分はこんな意識で日々ビジネスしているので、正直 ここにいても居心地は悪いし、サルミラの家に行っても彼等もその違いに居心地は良くない筈。

ここをやりながら(任せられる人がいれば)ビジネスマンがひしめきあうカトマンズへ行くか?!

来シーズン、もっと高いレベルでビジネスをやっている環境に移って行く考えです。

以前に日本のお客さんから「スワンを描いて下さい」と言われ、その時は上手く描けなかったので毎朝 練習しています。

今朝のスワン。羽が小さいですが、このレベルならお客さんに出せそうです。


今日は昼から結婚儀式に呼ばれていたので、村総出で嫁いで来るお嫁さんの村まで2時間半かけて出掛けました。

街に居たときには寺院での結婚儀式ばかりでしたが、相手先の家での儀式には感動しました。

ほんとつくづく結婚とは家同士、親戚同士、村同士の結び付きなんだなと・・・  その誇りが伝わってきて、真っ赤なサリーを着た村の女性達に出迎えられ、新郎が作られたゲートのゴールテープを父親におんぶされながら切っていく瞬間は目頭が熱くなりました。

全く日本の結婚とは「結婚」の意味合いが違います。


そしてもうひとつ。

初めて自分が店にいない状況で売り上げが変わらずに上がっていた記念の日。

自分がいないと売り上げが上がらない・・・ が次へのビジネスの壁となっていました。

バリスタに「今日はお前がマネージメントしろ!」と発破を掛けて出掛けたので、帰ってきて売り上げがいつもより上がっていた事が嬉しかったです。


昨夜は賑やかな音楽を避けてサルミラの実家に行きました。

今夜はこの結婚を祝う大音量の音楽でも眠れそうです。


今日は息子の出生届けをサルミラの村であるカスキコートまでバイクで1時間かけて出しに行ったが、ネットが通じていなくて作業してもらえなかった。

今ではネパールでも届け出は役所で全てネットを通じて申請します。しかしネパール・・・ ネットが繋がらない。

何度となく行ってやっとひとつの事が出来るので、何時もの事で、何の憤りも無く、やっぱりまたか・・・ で自分の中で処理出来る様になっています。

要は日本が凄い!!!と言うことです。



その後、4ヶ月 住み込みで働いているソニーがスマートフォンが欲しいと言うので買いに行きました。

予算1万円でしたが1万6千円のが欲しいと言うので買うことに・・・

多分 値段交渉すれば少しは安くなるけれど、たかが数百円~千円。

その行為そのものが無断だし、自分を下げる行為だし、お金はまた稼げばいいだけのこと。

こうして次のビジネスに自分自身で考えなければいけない状況、プレッシャーを日常で掛けています。


昨夜 この村の赤ちゃんが生後3日目で亡くなりました。

この両親は以前にも同じ様に生後 数日で赤ちゃんを亡くしていて、2度 続いての不幸です。

何故また同じように・・・?

自分にも先日 子供が生まれているだけに、その心境は察するものがあり、その両親の悲しみははかり知れません。

お腹の中で9ヶ月。そしてお腹を痛めて生まれた子供が2人 続けて生後 数日で亡くなってしまう・・・  きっと今度こそはとの思いで待望の男の子だった筈です。

同じ時期に同じ村、隣同士であっただけに辛いです。

ネパールでは手術をしない限り、翌日に退院し家に戻ります。

元々 赤ちゃんの体調が悪かったのか? 何故 もっと病院にいなかったのか・・・



今 ネパールの平均寿命は70歳ですが、40年前で46歳、30年前で54歳、20年前で62歳、10年前で67歳でした。

因に日本は40年前は76歳、30年前は79歳、20年前は81歳、10年前は83歳、今では84歳です。

ネパールはこの40年間で平均寿命が30歳も延びていて、それは医療の発達と幼児死亡の減少が要因です。

自分の知り合いで生後数日で亡くなった赤ちゃんを知らなかったし、今では希なはず。

それが2人 続けてとは・・・ 

とても他人事とは思えず、顔馴染みの赤ちゃんを亡くされた両親とどのように顔を会わせたらいいのか・・・ 辛い限りです。


以前にタイのお客さんから頂いたミヤンマー マンデレイ都市のコーヒー豆。

てっきり勘違いしてマンデリン(インドネシアの高級豆)だと思って飲んでいた・・・

でも良く調べてみるとマンデリンは酸味が少なく深煎りに適した豆で、このマンデレイは浅煎りで酸味もしっかりした華やかなコーヒーだったので知識不足でした。

世界中から輸入しているコーヒーが採れない日本と違い、ネパールはコーヒー栽培が出来て地元で採れるので、ネパール産+インド産のコーヒーしか基本 味わえない・・・

あとよく聞かれるのがカフェインレス コーヒーのディカフェ。これもネパールには無い。

本気でコーヒーをやるのなら、値段は張っても少量でもいいから豆が揃う日本や海外からネパールでは味わえない品種のコーヒーを仕入れた方がより他との差別化が出来る。

今のスタイルでも差別化は出来ているが、よりもっと違ったスタイルを目指していずれは2極化(高級志向のビジネスマンと一般庶民)それぞれ別々のスタイルが出来れば、ビジネス面とコーヒー文化を広める面、その両方をやっていけるように。

やはりいずれはツーリストではなくネパール人相手のビジネス。時期や政治や災害に影響される外国人ツーリストではなく、長く浮き沈みなくやっていけるのは地元ネパール人へのビジネス。

先ずはビジネス面に重点を置いた高級志向をターゲットにしたCaffe Bar構想を考えています。


ネパールの結婚は突然だ!

仕事が無く、お金が無くても年齢が来て、結婚シーズンになればお互いに会って数日で結婚していく。

自分もネパール式の結婚をしたと言ってもいい。

これならほぼ100%の人が結婚していく訳だ。

日本の結婚しない自由もここでは皆無。

そこは日本と間逆の文化がある。






果たして自分は日本にいたのなら結婚していたのだろうか?

そして生きていくために自分でビジネスをしていたのだろうか?

環境を変える事で人生は180度 変わる。

これからも自分は環境を事ある度に変え続けていくのだろう・・・

人生をより良くしていく為に。



どの様な道を選ぶのか?は未だ分からない。

店舗を増やしていくのか? 集客力の大きなお店をひとつ作るのか?


今シーズンを始めるに当たって店舗数を増やしていく考えの元、人材を育てることをひとつの大きな目的にしていた。

そして1年後にはここを任せられる人を求めて一人 バリスタを雇っている。

しかしいつ辞めて外国へ働きに行くか?はネパールでビジネスをしているとそれも突然。

だから家族、親戚 経営がネパールでは一般的。

サルミラの家族、親戚にその様な人材がいれば一番だが、プリヤール カーストにはビジネス マンがほとんどいない。ペンキを塗ったり、建物を建てる力 仕事をしたり、日雇い労働をしたり・・・

考え方がビジネスではない。


今 雇っているバリスタには新人では破格の給料を払っている。

それはいずれここをやっていって欲しい。そのマネージャーとしての意味合いも含めて。

性格は内向的でおどおどしているので、もう少しバリスタとしての誇りを持ってやって欲しい。

しかし先日 村人に「コーヒーが不味い」と言われ、そいつと殴り合った事もあるし、自分の厳しい言葉に比例して少しづつお客さんとも話し、少しづつ変わり始めている。

いつの日か辞める辞めないは彼の選択。

今はドラフト1位の選手をどこまで我慢して使えい続けられるのか?

そんな監督の心境を自分自身 体験している。


サルミラの家族、親戚。そしてバリスタ。

その経験を自分自身が積む事でその答えも出てくる。


いずれにしても、どちらにしても年間 売り上げ2千万を5年半 以内に!

そこは決めているので、あとはどの道を選択するのか?! 

他の道も含めて考えていきます。





自分の人生に間違いなく影響を与えている方。

正直 言うと聞く度に「苦しい」ですが、自分がビジネスマンとして生きていく上で必要な「考え方」を学んでいます。

周りは見ていなくて、この環境にいますが見ているのは違う場所。

ここで5年間ビジネス勉強した後に、自分がビジネスで勝負したい環境に進んで行きます。


男の子なので人に雇われる従業員ではなく、自分で会社や組織を経営していく経営者になって欲しい。

自由意思を強く持った人に育てていきたい。




このバールをオープンさせてから4ヶ月と10日が過ぎ、経験して感じている事を書きます。

今シーズンは子供も生まれサルミラも子育てに専念する時期なので、売り上げは特に意識することなく、来シーズンからの事を考えて経営しています。

しかし1月の終盤から売り上げが上がらず、昨シーズン最も売り上げが良かった2月も何処か変で引っ掛かります。

今 生活していくには何の問題もなくても、5年後の2千万 売り上げ目標を決めているので、これでは気持ち悪いのも当然。

最初の2ヶ月では50万 貯蓄出来たものも、ここ2ヶ月で20万・・・ 4ヶ月と10日で70万の貯蓄はここでこの規模ではまあまあかもしれないが、それを次に回せていけないのとやはり2月だけで昨シーズンより18万程 売り上げが少ない点・・・

今後に付いて考えなければいけない時期に来ている。


やっていてハッキリとしていること。それは外国人が来るのか?ネパール人が来るのか? そこに大きな売り上げの差が生まれること。

ネパール人で言えばカトマンズ等に住むビジネスマンか先進国に住むネパール人。それ以外は先ず入って来ない。

基本 一見さんばかりだからお客さんになってもらっても一度きり。また来ます!が出来ないビジネス。それを通りで宣伝しては繰り返す毎日。

この二つの事がここでのビジネスでの欠点。

特に最初の件、おじいちゃんおばあちゃん含めてネパール人がコーヒーを日常として飲むには10年かかるので仕方が無い面もあります。

もちろん同じ行動で同じ物を買うネパールの現在には歯がゆさはありますし、入って来るネパール人のお客さんの多くが外国に住んでいるのもお決まり。

その文化や行動、習慣は今直ぐには変わらない。

だからビジネス場所はビジネスに於いて最も重要で、2千万を意識してビジネスをやるにはここでは無いのは分かってきました。


「カトマンズに何故無いのか?!」

と、ここでコーヒーを飲んで買ってもらったカトマンズのビジネスマンから言われる事も度々あります。

人口10倍のカトマンズ。

そのビジネスマンが集まる場所で出来れば、一度 顧客として付いてもらえれば、1店舗で2千万の売り上げは十分に可能性がある。

考え方としては今の様な店を幾つも作るのか? ターゲットが集まる場所に1つ大きな店を作るのか?

前者は巻かせられる人材がネックになり、後者は最初の投資額がネックになる。

これはこの4ヶ月で感じて考えていること。

いずれにしろ「2千万の売り上げを作る為には?」が目標としてあり、「その為には?」が問いとしてある。

今のスタイルをここでは2千万は不可能です。

どうしたらいいのか??

もっと売り上げを上げられるやり方、考え方が必ずある筈です。











生後18日。未だ名前を決めていない我が息子。

因にネパール語での名前はSam Youpで、生後9日目のお祈りの日にブラマン カーストの人が決めました。

自分達で決める名前はもう少し考えて決めます。


先日 買ったベットで寝ているSam Youp.

良いものは寝心地も良いでしょ!!


お金を稼ぐ = 自由意思がどれだけあるのか。

昨シーズン自分は年間の売り上げ目標を決めて、それを365日で割って1日平均で幾ら稼げばいいのか! 毎日 毎日 足しては平均を出して格闘していた。

最終的に目標は達成出来たが、この考え方では5年半後の2千万には到底 辿り着かない。

お金を稼ぐとはどういう事なのか?!

どうしたら2千万 稼げるのか?

頭に入れられてきた平均で物事を捉える考え方を捨て、稼げる考え方を身に付けて行動していかなくてはいけない。





昨日は5日ぶりに息子に会いに行き、サルミラと一緒に赤ちゃんのベットを買いに出掛けました。

5日ぶりに会うと少し成長している事に感激・・・

と同時に衝突もありました。





ベットはいいのを買ったので日本円で1万程しましたが金額的にはしれていて2万でも3万でもよくて、特にビジネスマンとして意識して生活しているのでそこで感じる事もあり・・・・

サルミラの家族はその値段に文句を言っていましたが、自分としては別に値段はどうでもよくて欲しい物を買っただけ。

ただ単純にまた稼げばいいだけの話。

値段で安いものを第一に考えるのは、お金を稼げない人の典型的な思考回路。

高いものを買う = 悪のようなイメージは無意識にその中にあり = だからお金が稼げない。

子供はその様な意識の環境下で育てたくないので、一緒に同じ屋根の下で生活していくことは無いし、ポカラにずっといる事も無いです。

そこは自分で選択していきます。






食生活はもう慣れたのでネパール食で何の問題もないですが、自分の日課となっている事に日本の食事を取り上げたYou tuberの動画を毎日 見ているので、美味しそうな物を見ては食べた気にしているのも事実。



あと最後に昨日の衝突 原因は赤ちゃんの耳の中に油を入れる風習について。

ネパールの文化として赤ちゃんの身体に油を塗って身体を強くするマッサージがあるのですが、そこで最後に耳の中に油を入れて(何の意味があるのか?分からない)いきます。毎日 毎日。

それは良くない事であることを知人から教えられていて、それが原因で若くして耳が遠くなる人もいるそうです。

実際 サルミラの母は自分と同じ47歳なのですが既に耳が遠く、それが心配で・・・

それを言うと「昔からやっている事で何の問題も無い!」と言うので話をすると一向に聞かずサルミラも自分に対して怒る始末・・・

赤ちゃんを生んだ後は玉ねぎやニンニクを食べてはいけないらしく、サルミラは何時もギーと言うバターと鳥肉のスープだけを飲んでいます。

今だに祈祷しが存在する世界だし、本を読んだりネットで調べたりする習慣も無く、昔からの古い経験だけで全てをやっているので、それ以外が見えていない分からない環境は辛い事もあります。

昔の話で生きている家族と勉強して外に出て21世紀の現在が見えている家族と・・・ その2極化が発展途上国ではハッキリ。

教育って勉強ではなくて「学ぶ習慣」を将来に向けて身に付けるもの。

大人になったとき過去ではなく変わり続ける「今 現在」に対応するには「学ぶ習慣」が無くては出来ない。

それを身につけるのが教育だと感じています。


雲ひとつない季節は終わり、ヒマラヤが見えるチャンスは朝。


2月も中旬を過ぎ、春のポカラは雲の発達に注意が必要な季節に入って来ました。

3日に1日は午後 雲が発達して、午後から夜には雨が降ります。そのサイクルが2ヶ月程 続きます。

そして毎日 午後には雨の降るモンスーンに入ります。


旧正月のシーズンも終わり、中国人や東南アジアの人達の姿も減ってきました。

逆に欧米人やインド人が少し増えています。


サルミラから送られてきた写真。

すっかり日焼けしたバブーは顔だけが真っ黒です・・・

大丈夫??

明後日はお店はお休みで、バブーの揺りかご?を買いにサルミラとお店に行く予定です。

その後 自分はコーヒー販売ボックスとその他 お店の買い出しに・・・

お休みといってもビジネスをやっているので、一日中 家でゆっくりする事はありません。
  
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プロフィール
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kazu
年齢:
52
性別:
男性
誕生日:
1971/09/08
職業:
パラグライダー
趣味:
たそがれ、物想い、静寂、心穏やか、不安、楽しむ
自己紹介:
Kazu
Japan spirits and pride
Professional tandem / Adventure pilot

世界最高峰のヒマラヤ、神の国ネパールで生きていく為に始めた空飛ぶ道具パラグライダーでコマーシャルタンデムをやっています。夢は神の山マチャプチュレへの冒険フライトに挑戦すること。
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