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その人が何処から来たかなど、どうでもいいではないか。 どんな地位にあるか、どんな功績があったのか、どんな血筋を引いているのか、など全くどうでもいいではないか。 ただ、その人の行いを見よ。 今ここに於いて、何をするのかを見よ。 行いが正しく、羞恥があり、身と心を慎んでいるのであれば、その人は生まれがどうあれ、今から高貴な人ではないか。

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今回の1週間は色々な町や村を周りました。

人々の役に立つ事を必然とし、活動している人達と行動を共にした1週間でした。

これからは個人で出来る事。そして、NGOなどの組織で活動されている人々とも協力しながら、ひとつづつ、色々な活動をしていきます。

一人だから出来る事。

団体だから出来る事。

その両方が必要だと感じています。


明日ポカラに戻ります。


被災地バルパック、ラプラックは日本のNGO&ネパール人、私も含め計5人での活動でした。

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ペルーにある「天空都市マチュピチュ」を想わせる村 バルパック。


バルパック村からラプラック村、そして麓の町 ゴルカに下りて来ました。

バルパック村が標高2000m、ラプラック村が標高2800m。そして麓のゴルカは1100mの所にあります。

昨日、今日と雨が降りましたが、気温が暖かくなってきたので雪にはなりませんでした。

またポカラに戻ってから、今回の事は詳しく書きます。

明日もう一日ゴルカに滞在し、明後日ポカラに戻ります。

ネパールは間もなく春を迎えます。


ネパール地震の震源地に一番 近い村 バルパックの様子は後ほど…
バルパックに到着しました。

電気もなく充電もできなく残り金額も少ないので、また後々 報告します。

kazu.
今日はバクタプルを見学したあと、陶器の町 ティミ へ行きました。


エベレスト セラミック工事










かまど




自分の家で淹れる、エスプレッソ用の小さなコーヒー カップを買いました。


今回 お世話になりましたカルパナさんとその旦那さん。

*またポカラに戻ってから、バクタプルやティミについても詳しく書きます。


ネパール最古の都 バクタプルにやって来ました。

ポカラ〜カトマンズ6時間 バスの旅がこんなにも近く感じたのは、前回のチョウジャリ村27時間を経験したからに違いありません…

カトマンズからはローカル バスを乗り継いで1時間半、今日の目的地 バクタプルに午後1時半 到着しました。


その後はカルパナさん宅にお邪魔し、色々とお話しました。

カルパナさん宅が地震で半壊し、今は離れに住んでいる事。

父親は乾燥したお米をペチャンコに潰したチュウラ作りを、ここバクタプルで初めて機械化した人。しかし、籾殻の中で毎日 仕事した結果ぜんそくに掛かり、夜は酸素ボンベを付けた状態で病に侵されている事。

六車さんとの事や昨年9月に日本のNGO医師の方の通訳で、今回 私が訪れるゴルカに7日間 滞在した事など…

今日は少しバクタプルを案内してもらいましたが、明日はバクタプルの中心街を案内してもらい、その後は彼女が旦那さんと住むティミという町を案内してもらう予定です。


バクタプルは観光地なので幾つかのカフェがあり、エスプレッソも飲む事が出来ました。

明日 案内してもらうティミは陶器の町として有名で、ラトナ コーヒーの矢作さんもここでコーヒー カップを特注で作ってもらっていました。


インドでは駅などで使い捨ての陶器の容器にチャイ(甘いミルクティー)を注ぎ、容器ごと販売しています。

お客さんは飲んだ後 陶器の容器を地面に叩きつけ、粉々になった陶器は土に還っていく… そんな風景に以前 出会いました。


電気が来ていれば、明日は陶器作りを見学出来るそうです。


今日 泊まるゲストハウスのオーナーも地震で家が倒壊したそうです。

バクタプルを歩いていると地震の爪痕はハッキリと残っているし、仮説住宅に住む人々も見かけます。



バクタプルを歩く中で仏教施設があったので、中に入って見学しました。

何でもここは原始仏教のお寺で、仏陀の教えに忠実な悟りを目指す小乗仏教。

チベット仏教などの大乗仏教は人々を救う事を目的としたものです。

ここで42年間 修行をしているモンクの方に1時間ほど話しを伺いましたが、小乗仏教が自分の悟りに重きを置くのではなく、如何にして仏陀の教えから人々に人生の真理を伝え、社会をより良い方向に導いていけるのか?!

その為の行動である子供達への教育。子供達を預かり、子供達を学校に通わせ面倒を見たり、たくはつを行い知恵を授けて各家庭を周ったりしています。

何故に出家をするのか?

その答えが、家族と離れる事で特定の執着から離れ、社会全体が公平平等に見渡せるようになる。

そして、やるべき事が沢山あり、家族に時間を費やす事が出来ない。

その様なものでした。


在家 仏教者もいますが、日本のお酒を飲み、家族と生活を共にし、たくはつを行わないお坊さんを果たして真の仏教者と呼んでいいのか?

本物か偽物か?はどうでもよいですが、その違いをハッキリと感じます。


以前に訪れたラダックには小学校からブッディ(仏教学)が授業にありましたが、ネパールにも仏陀の教えを学ぶ授業が定期的にあるそうです。



初めて仏教少女を見ました。

これは親が教育として10日間、この施設に少女達を預けている様子です。

30人程の少年少女がいましたが、このままモンクになる者も稀にいますが、ほとんどは教育を受けた後に家庭に帰って行きます。

寝食をともにし、学校に通い、施設では仏陀の教えの元で学ぶ。

それを無償で行っています。
今回の日程は7〜8日間の中で、バクタプル、パタン、そしてバルパック村を訪れます。

バクタプルではカルパナさんにお会いし、農業組合を造った六車さんとの取り組みや、現状を伺う予定です。

パタンではNGOの前田さんにお会いし、今までの取り組みや今後の予定などを伺います。

バルパック村では目的を7つ立てましたが、その中でも特にNGOの彼等がどの様な景色を見て生きているのか? を村の視察と同時に、彼等を観察しながら過ごします。

彼等がどの様な想いで行動し、何故にその様な人生を送っているのか?!

「チョウジャリ村でパラグライダーを使って人助けが出来ないだろうか?!」

ポカラでたまたま出会った森医師の言葉によってスコトーマ(盲点)が外れ、今まで見えていなかった景色が目の前に広がり始めています。

それをチョウジャリ村に続いて、バルパック村へ見に行って来ます。




18日からNGOの方とバルパック村に行く事が決まりました。

緊張感があるのもこれは旅ではなく、被災地バルパックの今後の支援を考えた視察であり、初めての土地、初めての経験が待っているからに他なりません。

これから訪れる村々は、今後 自分と係わりを持ち繫がっていく場所です。

アスタム、チョウジャリ、そして今回のバルパック.....

果たしてこの地バルパックで自分に出来る事とは何なのか?!思考する日々が始まる.... 

村を訪れる事とは自問自答のスタート。それは新たな人生の始まりです。



チョウジャリ病院で昨日24時間で生まれた15の命。


母親と赤ちゃんが病院にいられるのは24時間。

24時間後には村々へ帰っていきます。


ある意味、この仕事が出来るから色々なことに進んでいける。

お客さんとのフライトの本質は変わりませんが、その意味は自分の中で変わっていきます。

2年前に目指した悟りの世界は、今も変わりません。


今日は日本語学校のあと、3ヶ月ぶりにマレパタンにある農業試験場を見て来ました。

コーヒーの実も色付き始め、あと1週間後から2ヶ月間に渡って収穫を迎えます。





既に天日干しにされたコーヒー豆もありました。


こちらはマカダミアナッツの木。


女性のスタッフがマカダミアナッツの種を植えていました。
こちらは2ヵ月後に販売されるそうです。

その他にもアボガドの木もありましたし、グアバなどのフルーツの苗もありました。



PS. アスタムの「はなのいえ」で始めたいコーヒー栽培ですが、2月に日本のスタッフと女性社長の計9人が来られるそうです。

この農業試験場の責任者ドゥルガさんにも話をして、「はなのいえ」ポカラでの責任者ドゥルガさん(同名)とも互いに電話でやりとりをしてもらいました。

「はなのいえ」ドゥルガさんもここマレパタンに家があります。

コーヒー栽培は社長を含めたスタッフとの話し合い次第ですが、しっかりとお話が出来るように!今度こそネパールに足を運んで欲しいところです!!

しかし、この話が進まない中で別の道「コーヒー文化を広める旅」が見えてきたので、どんな形に変化しても目的があるので行動していきます。

 
村の生活はポカラ近郊の村の生活とさほど変わりませんが、大きな違いは電気が来ていない中での生活です。

水力発電しかないネパールは乾季になると計画停電が増え、ポカラでも今は一日15時間以上停電していますが、ここチョウジャリ村は年中 電気が全くない中での生活です。

(*チョウジャリ病院には電気を起こすジェネレーターがあり、ほぼ毎日 行われる
手術や室温管理など... の為に電気を使います。しかし、ジェネレーターを動かす為のディーゼルがインドによる経済制裁で不足していました。)


病院にはテレビもインターネットもありましたが、この村の生活にはテレビというものが存在しません。情報源はラジオのみです。

以前に政府から安い値段でソーラーパネルが配布されたので、3割ほどの家には小さなソーラーパネルがありました。

夜7時過ぎには眠り、朝3時過ぎには起きる.... 早朝から正午前まで家畜の餌である草刈に出掛け、家畜の世話、農作業をして、朝昼 兼用の食事をして、午後からはゆっくり過ごす.... そんな生活です。





今ネパールではキリスト教が広まりつつありますが、このチョウジャリ村でもキリスト教に改宗した人たちが多くいます。そして、その多くがヒンズー教のカーストによって虐げられた立場の人達。

このチョウジャリ病院もクリスチャンの病院ですが、ちょうど訪れた時期がクリスマス週間だったので、キリストが生まれた日 本当のクリスマスがどういうものなのか? 


キリスト教は「愛」の思想とも言われますが、その愛とは母がわが子に向ける無償の愛に近く、人類愛。見返りを求めない施しの愛。

これは仏教の「無我」に近く、自他に何ら区別は無く、仏教の「縁起」縁ある人を自分と同じように愛し、キリスト教の「隣人愛」自分の周りに居る人を自分と同じように愛す。

何故に真のクリスチャンと仏教徒の自分が合致しあうのか?!

それはイスラム教も含め、何故に世界3大宗教が長年に渡って多くの人々への教えとして伝えられてきたのか.....  その本質に何も違いが無いからに他なりません。



ジャジャルコットの町。

チョウジャリ村からバイクで45分。距離にして15kmほどの所に丘があり、その上にジャジャルコットの町があります。


ジャジャルコットにあるラジオ局。

ここで病院の情報も流しているのですが、私と一緒に飛んだ森外科医がチョウジャリにやって来る情報を流すと、多くの人が手術してもらう為に病院に押しかけるそうです。

森医師は今年は5月から4ヶ月間、チョウジャリ村に滞在する予定です。


チョウジャリ村のバザール。


見返りを求めず、与える事に喜びを見出すクリスチャン。

人生の答え「感謝」がそこにあります。


ここチョウジャリ病院を訪れる事で、人生において何が重要なのか?

その景色が変わって見えて来ました。





何処も同じですが、村にもバザール(繁華街)があり、お酒やタバコをふかす村人がいて、病院には酒豪やヘビースモーカーが身体を悪くして運ばれて来る.....  それを献身的に助ける人たちがいて、それを客観的に見ている自分がいました。

今シーズン 自分のテーマは「心」の在り方にあり、物事をより抽象度を上げて見ることで、その人にとって重要なものがその人に見えている景色になり、重要なものは人それぞれに違うので、見えている景色もまた人それぞれに違うことに気付かされます。

その見えている景色が人生であり、近い景色を見ている人たちが自然と集まって、自分の環境がそこに出来上がります。

どんな景色の中で生きていくのかは?人それぞれです。

しかし、その景色は変わっていくべきものであり、その変化の中で見えてくるものが光、未来だと感じました。


自分にとっての喜び。それが変わってきているのは確かで、その喜びが同じ人達と繫がっていきます。

残された時間の中で、自分に何が出来るのか?

余生を考え始めるようになりました。


今日の新聞には、昨日ゴルカに雪が降った写真が載っていた....
そう、18日から訪れる予定の村です。

乾季の冬はカトマンズやポカラでは雪は降りませんが、少しヒマラヤに近づくと雪が降ります。







今日はYeti レストランの三男サガールの27回目の誕生日でした。

彼はエンジニアの大学を卒業していますが、ネパールでは仕事が少なく就職浪人中です。


サガールと長女ムナの息子ルスキン。


サガールへはこのラトナ コーヒーのマグカップ×4色をプレゼントしました。


そしてやはりこれ!

コーヒー豆をその場で挽いて、淹れて、体験してもらって、コーヒーの魅力をプレゼンしました。
 

オーガニック コーヒーをその場で挽いて、淹れて、飲んでもらう.....

普段は必ず砂糖やミルクを入れて飲むネパール人も、コーヒーの淹れ方によって砂糖やミルクなしでも美味しく飲んでもらえます。苦味を抑えられ、さっぱり、しかしコーヒーの旨味と香りを楽しんでもらえる.... そんなコーヒーの淹れかたがあります。


*今年はコーヒー文化を広める運動をしていきます。

コーヒー道具を背負って、ネパールの村を巡りながらコーヒーを淹れて周ります。

そんな計画を立てています。お楽しみに!

先ずは18日から訪れるゴルカ郡 バルパック村で実践してみます。


ゴルカ郡にあるバルパック村。

今月 会う事になっているNGOの方に、興味があれば.... と誘っていただいた村。

18日から5日間の日程で、今後の支援の必要性を考える為の調査に行かれるそうです。

ここゴルカ郡は昨年4月 ネパール地震の震源地近くです。


ちょうどカトマンズとポカラの中間地点、そこからヒマラヤ側に入ったところにゴルカがあります。


震災直後の写真。(バルパック村)

ここゴルカ郡は私達と同じ顔立ちのグルン族が多く、写真にもチベット仏教徒の印しタルチョ旗が棚引いていますが、彼等は仏教徒です。


壊れた家の屋根に上って作業する人。


そして、ここゴルカ郡はマナスル トレッキングの玄関口にもあたり、後ろには8165mのマナスルが見えます。


冬のバルパック村。


う~ん、行きたい!

今後の為にも、是非行って活動を見て、感じる事は必要です。

そこからまた、何かが必ず繫がっていきます。


そうなると1週間は仕事を休む事になり、2ヶ月連続でポカラを後にする事になります。

パラグライダーは他にもパイロットがいるし、今後 忙しくはなくなるので問題ないですが、日本語学校は2月初めに生徒5人の最後の面接が日本の大使館とあり、その為の練習をこれからしないといけない.....

面接にはまだ3週間あるので、1週間 授業で練習して、1週間はパビットラ先生にもお願いして、自主練習してもらって、最後の1週間はテストで実践を繰り返す。それでいきます。



今日はもう一人のオーナー ディペンドラと会って、自分が加わってからの収支を計算しました。

2ヵ月半で出費が9万円ほど。それを3人のオーナーで割るので、1人3万円の支払い。

この5人が全員 合格して、4月に留学できればいいが、ビザは以前より厳しくなっているので果たして何人が留学できるのか? 収入はそれからになります。

ビジネスとしてやっていますが、正直 収入は眼中にはなく、生徒が目的を持って自分のやりたい事を日本で出来ることが一番で、その為のLionsでありたい。

最近は「みんなの日本語」という教科書をやっていて、文法を教えているが..... 生徒も楽しそうではない.... 何か違う。

勉強は焦点が違うので、何がやりたいのか?(を問う)見つけ出す為の授業。

それが一番 大切だし、見つかれば自然とやって、自然と話せるようになります!



今 自分がしたい事、その行動はNGOの方と同行して、バルパック村に行く事。

1週間、バルパック村へ行くことに決めました。










チョウジャリから戻って2週間でパラグライダーの仕事が無かったのは2日間だが、毎日 飛ぶ体力は問題ないが、その中で1日に3本飛ぶと疲れてしまうのは、飛ぶ為の持久力が地震後 養われなかったから。

でも実際は移動で疲れるのが本当のところだろう....

ポカラでのパラグライダーが以前に戻ることはもう無いだろうが、飛び続ける体力は飛び続けることでしか養えない。

タンデムパイロットになって4年間で2200人以上のお客さんと飛んできた。この仕事はパラグライダーの中でも職人の世界に当たるが、この経験を生かしてパラグライダーの新たな可能性を見出していこう!

タンデムパイロットとしての経験は必ずそこに生きてくる。


一昨日にお会いした、日本語の翻訳家でガイドもされるカルパナさん。

今月23日からネパール駐在員 日本のNGOの方に会う為、5日間ほどカトマンズとパタンに行く予定だが、その時にこのカルパナさんにもお会いします。

カルパナさんはネパールに5つの農業組合を造った六車さんのネパールでのガイドもされ、コーヒーを含め農業にも繫がりを作りたい自分には大切な繫がりとなります。

彼女の仕事場はカトマンズですが、カトマンズから30kmほど離れた古都バクタプルに家があるので、17年振りにバクタプルもを訪れようかな.....

そうなると1週間は居たい。

そうなるとまた仕事を休むことになる。

ネパールだから、話を付ければそれはどうにでもなる。

今の収入よりも、未来への繫がりを大切にしたい。


この年になってやっと人生が開けてきた。

若い頃よりも、年を重ねると共に可能性が広がっていく人生。

この国には「Old is Gold」年を重ねることで、原石は金になる.... そんな言葉があります。

可能性は若い頃よりも、年を重ねる事で未来に向かって広がっていくものです。

昨年の観光客数は例年の40%程でした。

地震とストライキが大きく影響しましたが、今年も観光客数は例年の5割程だろう....と考えています。

観光業以外で色々と見えてきたものがあるので、そこに力をいれて今年もやっていきます。


 
農業経営のプロ 六車さん。


今晩 富士山で食事をしていたら、ひとりのネパール人女性が声を掛けてきました。

彼女は主に日本人を対象にしたツアーガイドをやっていて、何と以前にお会いした六車さんと5年来の知り合い。昨年も一緒に同行して、被災地のダーリンを視察したそうです。

六車さんは以前ネパール5ヵ所に農業組合を造り、そのひとつが被災地ダーリンで、そこからネパール女性を日本に農業実習として派遣しているそうです。

彼女の住むバクタプルではアスパラガスの栽培に力を入れているそうです。今月中に日本のNGOの方とお会いする為にカトマンズに行きますが、その時に彼女ともお会いする約束をしました。

彼女の本職は日本語の本などの翻訳家ですが、今回は日本の中学生がネパールにホームステイするガイドとしてポカラに来られたそうです。

また目的に向かってひとつ繫がりました。

不思議です。







父と私。

うちの父は寅さん(渥美清)に似てる.... と言われることも。

性格は自分と正反対ですが、血の繫がりをはっきりと感じます。

でも、血の繫がりは今後 色々の事をやっていく上で全く重要ではなく、家族であるとか親戚であるとか、血縁関係は関係がない。

全て同じ人間です。

今日は今週末からオーストラリアに留学する、デポックさんの次男アニッシュ(21)と飛びました。

彼がネパールに戻って来るのは早くても6年後。

どのような人生を彼は歩むのでしょうか?!

デポックさんと自分は同じ年なので、アニッシュが自分の子供でもおかしくない年齢の青年。

そして、自分はこんなんです.....


人生は人の数だけ存在していますが、アジアで最も発展し豊かな日本で人生の半分を過ごし、アジアで最も貧困な国 ネパールで人生の半分を過ごす。

両極を知るものだけが中道へ、涅槃寂静へと。

人生の前半を日本で過ごし、人生の後半をネパールで過ごす事で、ある意味 この世の中道を歩む事ができる人生だと考えています。





アニッシュ 自分の道を歩め!



35年以上前の自分(左)妹、弟。



ラトナのコーヒー豆が切れたので、BEANS Cafeで使用されているヒマラヤン ハイランドの豆を買って来ました。

ラトナはミディアム ローストですが、こちらはダークで更に焼いてあります。

見た目は豆のオイルが滲み出ていて、テカテカ光っています。


粗挽きにして飲んでみました。

ラトナのマチャプチュレ プレミアムとの比較は、口に残る味に雑味を感じたのは淹れ方の問題なのか?

深煎りなので、粗挽きではなく細挽きにして飲む方がこの焙煎には適していると思います。

マチャプチュレは中粗挽きで、旨味だけであっさりと。

ヒマラヤンは細挽きで、苦味、渋味、酸味を楽しむ。

そんな飲み方が良いかな...  と感じました。
今日は夕方から、以前 お世話になったダムサイドのデポックさん宅にお邪魔しました。

ここの長男は8ヶ月前にニュージーランドに留学しましたが、次男が今週の土曜日からオーストラリアに留学するので、その前に明日パラグライダーで一緒に飛びます。
そのお礼も込めて食事を頂きました。

ここの奥さん シマさんからは今まで色々とお土産を頂いているので、今日は何か持っていこうと思い、考えた結果コーヒーをご馳走する事にしました。

コーヒー豆、コーヒー豆を挽くミル、ドリッパー、お湯を注すケトルなどを持参して、その場で豆を挽いて、コーヒーを淹れました。

先ずは中粗挽きに豆を挽いて、さっぱりした飲みやすいコーヒーを淹れました。

次に細挽きに豆を挽いて、コクのある苦味と酸味の利いたコーヒーを淹れました。

評判が良かったのは最初に淹れたコーヒーで、これは苦味が苦手な人でもそのまま美味しく飲めます。

次に淹れたコーヒーには砂糖やミルクを入れても負けない味なので、そのままではなく砂糖とミルクを入れて飲んでもらいました。



3回目はデポックさんに実体験してもらいました。

ミルで豆を挽く作業は楽しく、その香りはインスタントとは全く違うので、作業と香りを楽しんでもらえました。


3回目は初の5杯淹れに挑戦しましたが、豆の挽き方が予定よりも細かくなり、味も濃い目の苦味の効いた味になってしまいました。

自分は苦味が強く出る中細挽きで飲む事が多く、デポックさん達の為に家で中粗挽きを試して飲みました。そして、1回目の中粗挽きもそうでしたが、こちらの方が美味しく飲める事を発見しました。

豆の挽き方ひとつで全く味が変わるところが、コーヒーのひとつの魅力です。


コーヒーを実演して淹れる事は好評で、プレゼントとしては大正解でした。


もちろんコーヒー豆を栽培することも、コーヒー文化を創って行く事には必要ですが、この様に目の前でコーヒー豆を挽いて、淹れて飲んでもらう事もコーヒー文化を広げていく事に繫がっていきます。

ネパールの村のどこかに行く時には、コーヒー豆とミル、ドリッパーを持参して、行く先々でコーヒーを淹れて飲んでもらう.....

こんな小さなことでも目的に近づくと感じています。





< チョウジャリ滞在記 その四 >

今回はチョウジャリ村で体験した、人生初体験の幾つかを書きます。
(*長いですが、貴重な体験だったので是非 読んでください!)


チョウジャリ病院はキリスト教徒による宗教的使命感に基づき、困難な状況下にある人々への支援のひとつとして、20年以上前にヨーロッパ人によって建てられた病院です。

今では日本の楢戸医師が運営する北海道にあるNGO「どさんこ海外保健協力会」が中心となってこの病院を支援しています。

NGOとは非政府組織の民間団体で、非政府、非営利の立場で地球規模の課題(開発、環境、人権、平和など)を解決する為に活動しています。

支援する為の収入は賛同してくれる人からの会費、寄付、セミナーや公演等です。

このチョウジャリ病院は現在ネパール人医師のカリブ氏、スウマン氏が中心となって患者を見ていますが、楢戸医師や今回お世話になった山本医師、そしてポカラでパラグライダーをし相談をされた森医師、それにヨーロッパからの医師も含めて定期的に滞在し患者を診ています。
そして、彼等は同じ時期に滞在しないように、順番にローテーションで訪れているようです。

医師はそれぞれにスペシャルなものが違い、今回お世話になった山本医師は産婦人科。パラグライダーを相談された森医師は外科医。楢戸医師は家庭医です。
しかし、このような病院では全てをやらないといけないので、専門外の手術も手掛けます。
ある意味 何か特別なことをするのではなく、平均的に出来ることをする。これは離島などの地域医療にも似ています。


毎朝の病院内の患者巡回に立会い、症状や状況の説明を受けながら一緒に周りました。

患者さんは40~50人いて、一様 重傷者の治療室もありました。もちろん、レントゲン室や手術室、分娩室、薬局もあり、最近 ポカラから歯科医が来てチョウジャリ初の歯医者も併設されました。(今までは医師が歯の手当てもしていました)

患者の多くは小さな子供達で、一番多かったのは手の骨折。これは走り回って倒れた時になるそうです。

次に多かったのは出産で毎日 何人かの赤ちゃんがここで生まれます。しかし、24時間で退院しなくてはいけません。

そして冬だということもあり、焚き火中に女性の服に火が燃え移り、重度のやけどで運ばれてくる患者さんが毎日いました。(女性はサリーの様な裾の長い服を着ているので危険です)



初の医療現場で、ネパールの貧しい田舎にある病院で経験した事を書きます。

素人なので特にですが、以前 森医師が手術を手掛けた少女の足には鉄の串状のものが何本も足を貫通して固定されていて、足の甲から串刺しにされた足を見たのは初めてであり、それを覆うカバーみたいなものがないので、その光景は普通は見られない衝撃なものでした。

ある日 山本医師から「エコーで調べた結果、お腹の中の赤ちゃんの頭がない妊婦さんがいるが、自然分娩で生んで諦めるしかない....」「頭のない赤ちゃんはお腹の中では生きられても、外に出てきてからは日本でも生きられない」と言われました。

その翌朝に生まれましたが、その亡くなった赤ちゃんを見せてもらいました。

顔はありましたが、首から後頭部に掛けて欠損していました。年間に何人もの生まれた赤ちゃんが病気で亡くなりますが、その遺体は近くのリベ川の近くに穴を掘り埋め、その上に分かるように石を載せるそうです。

雨季には川が広がり、その遺体は流されていくそうです。

このようなリモートエリアでは、遺体を政府に報告する事はないそうです。

以前は家庭分娩が普通で、それによって多くの赤ちゃんが亡くなる事もありましたが、今では病院での出産が村でも主流で、それによって生存率は格段に上がったそうです。
しかし、病院までの道中で生まれてしまうケースもあり、そこで亡くなってしまう事もあるそうです。


そして、とっても貴重な体験を最終日にすることが出来ました!

日本では勿論のこと、ネパールでも経験できることではないのですが、カリブ医師に「患者さんの手術を近くで見てみたいか?」と言われ、手術室に入り、目の前で手術の一部始終を見ることが出来ました。

しかし、見ているのかで気絶しそうになってしまい、一度 退席し10分ほど横になりました.....

気分も戻り、どうしようか?悩んだのですが、こんな貴重な経験は出来ないのでどうしても!
 と思い、再度 手術室に入り、約1時間半の手術を見届けました。

人の皮膚や肉や脂肪や内臓がどうなっているのか?を初めて見ました。

医師でない限り、親族でも絶対に経験できない事を経験できました。

私達の支援とは間接的なことが多いのですが、医師という活動は直接的に人々を助ける、生死を見て生きているような人達です。

何故にクリスチャンの彼等がここに来て、このような活動をしているのか?が少し分かりました。


医療について正直 考えた事がこれまでありませんでしたが、この経験で如何に医療が大切で必要な分野なのか!が分かりました。

自分にでも出来る医療の在り方。例えば衛生医療とかを伝えていくことは出来ます。

ボランティアと医療の在り方。そこに気分転換や楽しみの一つとして、支援タンデムフライトを行う。

次回からの訪問でやりたい事が見えて来ました。



国境無き医師団でも活躍された山本医師と、以前にここチョウジャリ病院に研修生として訪れ、小児科医の経験を積んで戻って来たカリブ医師。

山本医師は勿論ですが、このカリブ医師の人格は素晴らしい!と感じました。

若干31歳ですが、学ぶところの多い方です。


毎朝のミーティングでは、賛美歌の後に患者の数、病状、今日の手術などの1日のスケジュールが伝えられます。

最後はクリスチャンなのでお祈りを捧げ、神のご加護を受けます。

キリスト教についても、一度 学ぶ必要がありそうです。

私は仏教道者ですが、キリスト教やイスラム教なども尊敬し敬うことが大切だと感じています。

世界3大宗教は長年に渡って何億人もの人々の教えとして成り立ってきたものなので、必ずやそこには真理があります。

そこに大きな違いはないと感じます。


左からカリブ医師、ラビンドラ歯科医、スマン医師。

皆 志を持った若者達です。


村ではこれを救急車と呼んでいます。

担架に乗せられて山を何日も歩いて、チョウジャリ病院にやって来る人。
< チョウジャリ訪問記 その三 >


チョウジャリ病院

今回の訪問での目的6つのうち、3つについて書きます。


② チョウジャリ村の医療を通じて、ネパールの支援の在り方を考える。

今回はパラグライダーの視点で訪れましたが、パラグライダーによる支援という目的に向かって抽象度を上げていく必要があり、次回は村人に実際に楽しんでもらう為のパラグライダーの在り方。一緒に飛ぶタンデムフライトを企画します。

パラグライダーだけではなく、自分に出来ることを広げていく必要もあり、医療の現場に携わることは生きることに直結するので、直接的に自分がどの様に医療に携わることが出来るのか?!思考していきます。


③ 自分がネパールに生きる繫がりを考える。

チョウジャリ村がその繫がりのスタートであり、ネパール全土のリモートエリアで自分に出来ることが必ずあるので、その支援の在り方がネパールに生きる繫がりになっていく。

その為に今回 痛感したのがネパール語。ネパール語を読んで、書いて、話せる事が必須であり、一からネパール語を学んでいきます。


⑤ 将来への具体的 目的を見つけ出す。

パイロットとしての目的は人々へのサポートにあり、次回からの具体的 目的は支援タンデム フライト。そこから始めていきます。

自分は日本人なので、日本語を覚えてもらったり、日本に興味を持ってもらうことも次回の目的になります。

そして、コーヒー文化をコーヒーというものが存在していないネパールのリモートエリアであるチョウジャリに次回は持ち込みます。
先ずは病院関係者や警察、軍隊、要人にコーヒーを飲んでもらうような働きもしていきます。



病院内での朝晩の巡回検診。


キリスト教系の病院で、20年前にヨーロッパ人がこの病院を開業しました。

毎朝8時から病院でのミーティングがあったのですが、賛美歌を歌い、神に祈りを告げてから毎日が始まりました。

ちょうどクリスチャンにとっては最も重要な時期でもあるクリスマス週間に滞在したので、色々な行事があり、村々にいって賛美歌を歌い、キリスト教を広める運動にも同行しました。

このキリスト教徒との日々で感じたことについては、後日 改めて書きます。



丁度 この時期が医療系の学校を卒業した若者の研修期間に当たり、チョウジャリ病院ではネパール全土から20人を越える若者が2ヶ月間の研修に来ていました。


若者の前でお話をしている医院長のカリブ医師と日本の産婦人科医 山本医師。

このお二人についても後日 報告します。


病院で働いている方は殆どがクリスチャンで、人々を助けることを日常とし、考え方も行動も人間的に尊敬できる方々でした。



クリスマスに集まったチョウジャリ村の要人。




類は友を呼ぶとありますが、人生にとって重要なものが近い人、その人達が集まって自分の生きていく環境は作られます。

チョウジャリ病院で働く人々にはそれを強く感じました。

このようなリモートエリアで、電気も来ていない場所にある病院には、医師もスタッフも含めて志の高い人々が集まってきます。

この辺りはカースト的にも弱い立場の人が多く、ネパールでも貧しい地域に当たります。

この病院ではジャジャルコット郡、ルクム郡、サリヤン郡の3郡をカバーしていて、患者は担架に乗せられて数日間 運ばれて来る事も多いそうです。

現場で体験した医療についても後日 書きますが、日本では絶対に経験出来ない現場に身を置くことが出来ました。


「何が重要だと考えて生きているのか?」

それがその人にとって見えている景色であり、その景色はここでパラグライダーをやっている人々とは全く違った景色です。

そのことをハッキリと感じました。

だからこそ、ここでのパラグライダーでの環境と日常に居心地の悪さを感じるようになって来たのだと思います。


チョウジャリとの係わりで、人生はこれからどんどん変わっていきます。

今日からはストリートフェスティバルも終わり、通常のレイクサイドに戻りつつあります。

パラグライダーの仕事はまだありますが、明後日ごろからは それも終わりそうなので、それからは日本語学校をどうしていったらいいのか? 思考しながら、生徒を増やす事を重点にやっていきます。

伊尾木イントラ率いる日本人パラツアーも今日までで、4日間連続で夕ご飯をご一緒させて頂きました。

6日間 全て飛べて、最終日の今日はXCでグリンオールを周って来たパイロットもいて、よく飛べたツアーになって良かったですね。

時間がなくてチョウジャリ滞在記をまとめられないでいますが、これからは時間も出来てくるので、しっかりと今回の旅の成果をまとめて次に繋げていきます。

朝から仕事があるので、夜は遅くても11時には寝るようにしています。

仕事と言ってもやりたい事をやっているので、がんばってやっている訳ではなく、目的に向かって勝手に行動しているだけ。

アスタム村にはガソリンの関係で既に2ヶ月以上行っていませんが、アスタムでもやりたい事はあるし、チョウジャリ村でもやりたい事が出来たし、やりたい事はたくさん見えてくるので、それをどんどん繋げて目的に向かっていきます。


チョウジャリ病院で研修を2ヶ月間受けている、医療に携わる若い卵達。

年末は毎年恒例のストリート フェスティバルに沢山のネパール人観光客がやって来ます。


お陰で仕事もあり、今日2本目はネパール第二の人口都市 ビラトナガールからのお客さんでした。






今シーズン タンデムフライトは全て白黒写真で載せていますが、1月1日だけカラー写真です。

< タンデムを白黒にしているのは、今シーズン最初に感じたこんな思いからです >

自分はネパールに住む為に、パラグライダーを7年前に始めました。
そして今。パラグライダーパイロットとしての意味が、パラグライダーで空を飛ぶそのものにあるのではなく、形 =(幻)としてそこに映っているだけで、実際の姿はそこにはない.....  そう感じています。
成績や結果や経験など、形に縛られるものへの興味は全くなく、技術さえも必要ない。
プロとして飛んでいて、技術も必要ない..... など失格と思われるでしょうが、そんなものには全く興味がない。
ただただ、心の在り方があるだけ。
パラグライダーで空を飛んでいる姿、形とは、鏡に映る幻に過ぎません。
ただ、そこに映る心の世界があるだけです。


日本からは伊尾木イントラ率いる日本人のパイロットの方々も、ポカラの年末年始を楽しんでいます。



自分の毎年の区切りは新年ではなく、シーズンを終える6月。

今シーズンも後半に入りました。


新たな世界、新たな景色。

果たして何が始まるのだろうか?

この星の未来は希望に満ち溢れています。
< チョウジャリ滞在記 その二 >

今回は6つのテーマを持ってチョウジャリ村へ行きました。その内の3つについて書きます。

① 地形を観察しパラグライダーで飛べる場所なのか?実際に1~2回 飛んでみる。


チョウジャリ村は飛べる場所であり、タンデムフライトも可能な場所でした。

医療を目的としたフライトは5日間の滞在では限られた場所しか見て周れず、もっと地形と場所を見て周らないと分からないが、村の山村は難しいが山を下りた田畑や川の畔ならばランディングは可能なので、そこからの搬送は可能だと感じました。


④ パラグライダーでの支援のあり方、出来る事を思考する。


次回は村人とのタンデムフライトを行って、村人がパラグライダーを体験する、その場に居合わせる、楽しみや喜びを共有する事で、人々に喜んでもらえる形での支援。

その後の訪問ではボランティアを募って、村や病院での体験支援と寄付を目的としたタンデムフライトをやっていく。


⑥ 自分を村人に知ってもらう。


今回のフライトで自分の存在やパラグライダーというものを知ってもらえた。

人としてどんな行動をして、何を伝えられるのか?は大切なので、次回は公演の場を設けてもらい、何か皆の前で伝えられるようなものを準備していく。



今回はチョウジャリ村と川を挟んで向こう側にある、尾根上にある村からテイクオフ出来そうに見えたので、そちらにバイクで連れて行ってもらい飛ぶ事にしました。


道中は砂漠のような道で、2人乗りでは上れない場所も多かったので、降りては歩きまた乗せてもらう.... を繰り返し、約1時間半で目的地の村に着きました。


尾根上の村で標高は1450m。
ランディング予定のチョウジャリ病院までの標高差は750mありました。


1箇所だけテイクオフできる隙間があったので、とうもろこし畑にグライダーをセッティングしました。
アンナプルナ1周で色々なところからテイクオフした経験が生きます。


マウンティングライダー IBX17でのテイクオフ。
このグライダーの最大の魅力は、色々な環境からテイクオフできる可能性の高さにあります!


ジャジャルコットの空へ。


*カメラのレンズが汚れていた為に、画像がご覧の通りにボケています。

グライダーが小さいのでソアリングは大変ですが、テイクオフから400mほど上の1850mまで上がり、チョウジャリ村を目指しました。


真下にチョウジャリ病院があり、リベ川が流れています。


病院での朝のミーティングで私が今日 飛ぶ事が告げられ、テイクオフと同時に一緒にバイクで行ってくれたスタッフが電話で連絡したので、ランディング場には100人を超える村人が待っていてくれました。


チョウジャリ病院まで飛んで行けるのか?不安もありましたが、上手く飛べたので1時間弱で目的地にランディングできました。

ジャジャルコット郡チョウジャリ村での初のフライトは、今までの私のパラグライダー人生の中で最も意味のあるフライトになりました。

この後は約15分ほどパラグライダーについての説明を、村人に対して行いました。

しかし.... この翌日に大きな問題が起こりました。


こちらはチョウジャリ村にある丘 マンコット。標高差300m程の丘です。


ジープも通れる道があり、歩くと1時間ほどで上がれます。
歩きが主な交通手段ですが、トラクターがこの写真の様に行き来していました。


マンコットの尾根上にあるとうもろこし畑。

雨の降らない時期には農作物が作れない為、ごらんの様な空き地になっています。

傾斜のない広い平地ですが、タンデムでもここからならテイクオフ出来ます。

ただ傾斜地ではないので、風がまともにはグライダーのところまで入らないので、タンデムのテイクオフには技術が必要になります。


マンコットの丘から見るチョウジャリ村。

本当はここからも1本飛びたかったのですが.....


1本目を飛んだ翌日に、空港を管理する政府の要人に呼び出され、フライトの許可書とライセンスの提示を求められました???

今までネパールでは自己責任の下で自由に飛んで来ましたが、許可書とランセンスを求められたのはポカラ以外では初めてのことでした。

空港は週1木曜日に飛行機が離着陸する事は知っていたし、それもPm12以降である事も知っていました。

飛んだのは月曜日で、今までにアンナプルナ1周では飛んで来ないことを知った上でフムデ空港の滑走路に直接ランディングした経験もあり、その時も「グッドラック!」と空港職員には言われただけで握手して終わりました。

日本では当然しませんが、ネパールでは何処で飛んでも自由だと思っていたので..... 逆に驚きました。(もちろん毎日 使われる空港近くではネパールと言えども飛ぶ事はしません)

グライダーも没収され、カトマンズに行って手続きをする様に言われました。

うちのオフィスから自分のドキュメントを全てスキャンして送ってもらいましたが、最終的には病院のスタッフや村の重役、軍隊、警察の助けで、今回は許してもらう事となりました。

チェックしたのは最近 村の空港に派遣されてきた政府の役人ですが、最終的には「村に貢献してくれる人を罰するなんて、何てひどい奴だ!」となってしまったので、逆に申し訳ない気持ちに.....

本当に許可の件は知らなかったし、聞いたこともなかったのですが、実際ポカラに帰ってきて聞くと何時からかは分かりませんが、今はネパールの何処で飛ぶにも政府の許可書が必要になっているようです。

次回はこの件をしっかり調べて、許可を取ってからチョウジャリへ向かいます。

今回は村人に助けられました。



今回 バイクで目的地まで連れて行ってくれたり、村を案内してくれた彼。

名前はヒト・ライで私達と同じモンゴル系。
カトマンズの近郊からこの村の病院へ、スタッフとして働いています。

今日も3本 仕事がありました。

3本目は自分の順番では在りませんでしたが、指名があったので自分が飛びました。

パイロットとしては指名される事はうれしい事で、以前のお客さんからの繫がりや、エージェントからの支持であったりします。

年末年始はパラグライダーの仕事はありそうです。






< チョウジャリ滞在記 >

今回のチョウジャリ村 滞在での目的を6つ決めて、この地に行きました。


① 地形を観察しパラグライダーで飛べる場所なのか?実際に1~2回飛んでみる。

② チョウジャリ村での医療を通じて、ネパール支援の在り方を考える。

③ 自分がネパールに生きる繫がりを探す。

④ パラグライダーでの支援のあり方、出来る事を思考する。

⑤ 未来への具体的 目的を見つけ出す。

⑥ 自分を村人に知ってもらう。

*①~⑥ への答えは次回に書きます。



チョウジャリ村は周は山々で囲まれていますが、標高700mの台地が広がる電気も来ていないリモートエリアで、カーストの弱い人達が多く住んでいる場所です。

緯度的にポカラと変わらないので、気候もポカラに似ていますが、ヒマラヤから遠い分 雨季の雨の降り方はポカラとは違います。


この辺りがバザールでメインマーケット。
村には学校が6つあり、この右側にも2つありグランドも見えます。


バザールの反対側には国内線 空港があります。この写真の中央より左側。
カトマンズから週一で飛んでいます。


この辺りの山はご覧の通り。
針葉樹がまばらにあり、山の地肌が見えています。


チョウジャリにはリベ川が流れていて、今は乾季ですが雨季になると大きな河になります。
この川はガンジスへと繫がっています。



次回への繫がりと、先ずの目的が見えて来ました。

次回はマンコットからのタンデム フライトを村人10人以上と行います。(その為の許可を政府から取る事)

先ずは今回でパラグライダーを知ってもらえたので、次回は実際に村人に体験してもらいます。

これは直接の支援にはなりませんが、アトラクションのない村ではパラグライダーで一緒に飛ぶ事が村人にとって大きな経験と喜びに繫がると感じています。(飛べる人は限られますが、実際には飛ばない人でも、その場に居合わせるだけでも共有できます)

先ずは自薦で飛びたい人と飛びますが、出来るだけ性別、年齢が分かれるように、色々な方と飛べるように。

これが次のステップ。


その次にはボランティア活動をネパールで行いたい人に来てもらい、チョウジャリ村での生活体験や医療体験をしてもらいます。そして、その中のひとつでドネーション タンデム フライトを行い、その料金の100%をチョウジャリ村での医療機関に寄付します。

ボランティアで多くの外国人がネパールに来ているので、チョウジャリ村もその場所として来てもらう。そこで寄付を目的としたタンデムフライトを行う。


今回の旅で見えてきたのはここまでです。

パラグライダーによる医療支援と人々の搬送は現状では不可能ですが、現状では達成できない目的こそが最も必要で、そこを変える必要は全くありません。

今後の活動の中で見えていないものが必ず見えてくるので、それを毎回 繋げていけば形は変わっていくかもしれませんが、目的に必ず近づいていきます。


仏陀の教えに「無我」と言う言葉があります。

「無我」という教えは、自他に何の違いもないという事です。

それは誰かの支えとして生きるという事は即ち、自分の為に生きるという事と同じです。

自他が同じであるからこそ、人は支えあって生きているのだと。


それは抽象度を上げていくと見えてきます。


パラグライダーで言えば、趣味で自分が楽しむために先ずはパラグライダーがあり、次に大会などで活躍して応援してくれる人に喜んでもらう為のパラグライダーがあり、次にお客さんに喜んでもらう為のパラグライダーがあり、次に村での支援の為に飛ぶパラグライダーがあり、その次に人々の生活に必要なパラグライダーがあり......

自分は楽しむ為、周りに喜んでもらう為、お客さんに喜んでもらう為のパラグライダーはやってきたので、パイロットしての次の在り方がここチョウジャリで始められると考えています。


チョウジャリ病院。


片道27時間のバスの旅はカトマンズ ポカラ間の7時間のバスの旅を体験した事のある人ならば、どんなに大変なのかは分かってもらえると思う。その4倍を片道だけで移動したのだから....

ネパールのバス、そしてバス移動は日本のそれとは全く違う。

ネパールガンジまで15時間。これだけでも疲労困憊だが、そこから更に12時間のバス移動はどうしても1日休まないと行けなかった。

結局11日の旅の中で6日間を移動+休息に費やしてしまった.....


今日から仕事で3本飛んだが、まだ身体は揺れていて、疲れが溜まって抜けない。

フラフラの中での仕事だった。


次回はチョウジャリ村へは飛行機で行くことにします。

身体のことを考えたら、計50時間を越えるバス移動は危険です。









チョウジャリ村。

今回の旅について書きたい事は山ほどありますが、明日から1週間くらい掛けてひとつづつ書いていきます。

チョウジャリ村は5日間の滞在でしたが、人生で初めて体験する事が幾つもありました。

今後の繫がりも出来たので、これから年に何回かは訪れる場所になります。

今回の目的は6つありましたが、余り写真は撮らなかったので、感じた事を明日から言葉に換えて説明していきます。







無事にポカラに着きました。

余りにも長いバスの移動だったので、今日は休んで明日以降に今回の旅について書いていきます。

頭が少し回っています。
  
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プロフィール
HN:
kazu
年齢:
53
性別:
男性
誕生日:
1971/09/08
職業:
パラグライダー
趣味:
たそがれ、物想い、静寂、心穏やか、不安、楽しむ
自己紹介:
Kazu
Japan spirits and pride
Professional tandem / Adventure pilot

世界最高峰のヒマラヤ、神の国ネパールで生きていく為に始めた空飛ぶ道具パラグライダーでコマーシャルタンデムをやっています。夢は神の山マチャプチュレへの冒険フライトに挑戦すること。
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