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その人が何処から来たかなど、どうでもいいではないか。 どんな地位にあるか、どんな功績があったのか、どんな血筋を引いているのか、など全くどうでもいいではないか。 ただ、その人の行いを見よ。 今ここに於いて、何をするのかを見よ。 行いが正しく、羞恥があり、身と心を慎んでいるのであれば、その人は生まれがどうあれ、今から高貴な人ではないか。

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朝 Lionsのオフィスから

こうだからポカラの天気は分からない.....

昨日までの天気がコロッと変わり、今朝は雪化粧のヒマラヤがはっきりと。

ポカラに入ってからずっと見えなかったヒマラヤを、杉浦さんに見てもらうことが出来てよかった。

今日は絶対に雨は降らない! しかし夕方遅くに申し訳なさ程度に降った。

そうだ、今日はシバラットリー。シバ神のお祭りの日だ。

シバラットリーには必ず雨が降るという言い伝えがあるが、今までネパールにいて10年間、シバラットリーに雨が降らなかった事はなかった。

今日の雨はそれだ。



上のテイクオフ場から見上げたサランコット。



XC狙いのパイロットが行き、少し空域が空いたところで一緒にテイクオフしました。


明日も天気が良ければ、杉浦さんと今度はこの尾根場をプチXCが出来れば....


杉浦さんのレベルは大体分かったので、明日以降 安心して飛べそうです。

I bex17 でも何の問題も無く浮いていられますが、やっぱりここからテイクオフしてここを飛ぶグライダーではありません!
I bex でサランコットから飛んだのは2度目。3年前のアンナプルナ1周の最終日以来でした。

*(杉浦さんの写真から)


常にスタンディングで前傾姿勢で飛ぶスタイルは、自分がこのグライダーとこのハーネスでより自由に楽しく飛ぶ事を追求し、作り上げたスタイルです。

* 基本ではなく難しいので、真似しないでください!
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今日はバリ島在住の杉浦さんとタンデムで飛びました。

目的はエリア ルールの説明と飛び方、ランディング場の下ろし方だったので、普通のお客さんとは違い、明日からのフライトでの要点を説明しながらのフライトでした。

明日からの5日間で3日間ほど飛べればいいかな..... と仰っていたので、太陽が顔を出している日で、午後2時前までにはランディング出来るタイミンッグで1日1本の予定です。

今日もそうでしたが、午後3時には風と共に大粒の雨が降ってくるので、観天望気をしながらホテルに戻るまでの事も考えながらタイミングよく飛びたいと思います。




今日で5日連続の雨です。
まるでモンスーンのような空模様、天気の流れが毎日 同じように続いています。


杉浦さんに頂いたおみやげのひとつ。日本のカップめん。
日本の国力を現すひとつ。それがカップめん。クオリティーの高さは図抜けています。
工場がないネパールにはカップめん自体存在しません(韓国製の輸入カップめんはあります)。

ネパールでは普通のインスタントラーメンを湯がいて、メニューとしてレストランで出しています。
例えばサッポロ一番みそラーメンがレストランでそのまま出てくる.... それと同じです。

お湯をかけるだけで食べられるカップめんがひとつ50円ほどで売られていたのなら、ネパールでも市民権を獲得すると思います。(韓国製のカップめんは150円ほどで売られています)


バリ島からのお客様 杉浦さん。
お会いするのは初めてですが、メールを通して連絡を頂いていました。

明日は一緒にタンデムフライトをし、明後日からは一緒に行動してサランコットからをフライトやバイクでのツーリングを楽しみたいと思います。

天気は今日も雨が降り、日中も曇りがちですが、安全に怪我無くポカラでの日々を楽しめたのなら......

個人的にサポートするのは今回が初めてですが、バリ島在住の日本の方なので、感覚が日本人ではなく自己責任のもとで生きてらっしゃる方だと見受けました。楽しくサポート出来そうです。

安全第一でサポートします。



暑くなってきて、のどが渇きます。
最近はアイスコーヒーにして、アイスクリームを載せたコーヒーフロートにして飲んでいます。

アイスクリームと濃い目の苦いコーヒーは、愛称ばっちりです。
6月からはLionsのオフィス近くに住んで、パラグライダーの仕事がある時はレイクサイドに出向いて行く…

そして村に行く時には、Lions の情報発信と生徒の情報収集も兼ねて行く。


ハッキリしている事は来年の4月までLionsではほとんど収入がない事! それは2年目に状況の変化に対応せず、簡単に留学させられた1年目 同様の事をしてきたから。

結果 4月は誰も留学できず、今は留学目指して勉強している生徒が1人という状況。

4ヶ月 経験して分かった事は、新たに勉強を始めてから留学するまでに、9ヶ月を要するという事。

今から始めても留学は来年の4月。

自分で流れを理解して、計算した結果が9ヶ月です。

その間に2度 日本語テストを受ける機会があり、そのどちらかで合格して初めて留学申請が出来ます。


最低でも来年4月まではお金を毎月 払いながらのボランティア状態での仕事。
パラグライダーでの収入をLionsに回しながらの経営になります。

4月と10月。年に2度しか収入の機会がなく、その為にほぼ毎日オフィスへ出向いていく…
今後は少しであっても、毎月 何らかしらの収入があるものを作っていかないといけない。

会社名が「Lions education consultancy」。直訳すると、「教育の現場で意見を聞いて助言する」となります。

何人 ネパール人を日本へ送り込むか?ではなく、将来 ネパールと日本を繋ぐ人材を見つけ送り込む!が重要で、ビジネス面も含めると、毎年6人の人材を見つけ、教えて、日本へ留学させる事が出来れば続けていける。


先ずは今 教えているGaneshを10月に日本へ送り込む事!

彼は毎朝マンツーマンで教えていて、人間的にも将来を期待できる人材なので、次回 彼を留学させる事が出来なければ自分達の責任だと捉えています。

各村との繋がりの中で人材を見つけ、こちらの責任の元に教え、毎年 少数精鋭の若者を日本へ送り込む。

これは過去2年間のやり方とは全く違い、このやり方がLionsを続けていく為にも、ネパールと日本の将来にとっても良い方向だと感じています。



今日で4日連続で夕方 雨が降りました。
乾季は終わり、雨季への変わり目 プレモンスーンの季節です。

今日で村を周る学校訪問は最終日。
今日はバックンデ村、ツゥラケル村、クリスティ村、ニルマルポカリ村にある5つの学校を訪ねました。


Bakunde village = Snta higher secondary school (355students)


Snta Principal(校長)


Thulakhet village = Sinddhabaraha higher secondary school (700students)


Sinddhabaraha Principal(校長)


このバックンデ村、ツゥラケット村周辺は山の尾根上にある村ではなく、レイクサイドから続く平地に広がる場所にあります。


Kristy village = Dhabiesya nirmana uchabai higher secondary school (464students)


Dhabiesya principal and teacher (校長と先生)


Nirumal pokhari village = Fukuoka secondary school *Private school (275students)

このフクオカ学校は日本の福岡市が支援して出来た私立の学校です。
クラス10までしかない英語の学校なので、今回の趣旨にはそぐわない学校ですが、日本と所縁のある何度か訪れているの学校なので、尋ねてお話をしてきました。


Fukuoka Principal (校長)


Nirumal pokhari village = Shree janachetan higher secondary school (300students)


Shree janachetan Principal (校長)




この3日間で尋ねた学校は17校(国立15、私立2)です。

この中からLIONS の紹介バーナーを張らせて貰う許可を得たのは16校です。
今後 考え、今回の趣旨と照らし合わせて学校を決め、近日中に再度 訪れる事になります。

今回 自分は村担当で、以前に1度は足を運んだり、通りがかりに見かけた学校が殆どでした。

この様に実際に出向き、校長先生に顔と名前を知ってもらう事も大切なことです。


ポカラの街担当は、もう一人のオーナーであるディペンドラが周り、11の学校をリストアップしているので、明日にでも話し合い、LIONS の紹介バーナーを張る学校を決めます。


広告を出したり、人通りの多い通りにオフィスを構える日本語学校はあっても、この様に足を使って周っている同業者はいないと思うので、今後LIONS は地道に足を使い尋ねる事で、その人材を一人でも掘り当てられるように行動していきます。

今日もLions 後の朝10時から夕方5時まで、計8の学校を周って尋ねて来ました。

今日 尋ねた村はヘムジャ、スリケル、ダンプス、ディクリポカリ、カスキ、サランコット。

ターゲットとなるのは国営のhigher secondly school (クラス12)ですが、クラス10までしかない学校も幾つかありました。

各学校の校長先生とお話をさせてもらい、次回は今日周った中で計5校にLions の紹介ボードを置かせてもらう事になりました。



Hemja village = Gauri shanker higher secondly school


Surikel village = secondly school until class 10


Danpus village = Pritivi narayan secondly school until class 10


Dhikuru pokhari village = morning star higher secondly school (Private)


Morning star の校長先生は知り合いなので、対象外の国営ではないプライベートの英語学校ですが、ここにも告知版を置かしてもらう事になりました。


Dikuri pokhari village = Machapuchure higher secondly school.


Kaskikot village = Karika higher secondly school.


Karika の校長先生とは村を挙げての協力を頂きましたが、裕福ではない家庭も多く、お金の掛かる留学にどの様に繋げていけるのか?

国営の学校は授業料も安いですが、お金のある家庭は私立の学校に通わせるケースが極めて高いネパール。この学校も年々 生徒数は減少しているようです。
国営と私立では、その授業内容も全く違うそうです。

英語の能力は私立と国立では大きな差が生まれますが、私立 依存症の様な感じで、街では無理してでも私立に通わせる家庭が圧倒的に多いネパールです。


もうひとつサランコットにあるJonajagri higher secondly school(普段 飛んで上空から見ている学校) も尋ねましたが、クラス12の生徒と先生は朝6時~10時までとのことで、次回に会ってお話をしてOKが出れば、その時に張らせてもらいます。



自分の乗っているVRバイクですが、もう既に5回ほど倒しています。その度に後ろのハザードランプが出っ歯っている為に割れてしまう..... 

ネパールの街を走っていて思うことは、穴ぼこだらけ、人や耕運機や牛だらけ。

平坦な場所では普通に足は半分くらい地面に着くのですが、頻繁に停止しなければならず、そこが下り坂や穴ぼこや山だと足が1/3くらいしか着かず、バイクが傾くとバイクの重心が高く重い為に、一定の角度 以上に傾くと支えきれずに倒してしまう.....

日本のように信号機 以外に止まる必要がなかったり、道が整備されていれば何の問題も無いのだが、ネパールの様な環境では地面にしっかり足の着く、重心の低いバイクに乗ることがより安全。

後ろに人を乗せていると、傾いた時により支えられない。車高が高い分 停止した時に気を使うバイクです。(停止するときには、その地面でどの程度 足が着くのか?これも経験値)





昨日は朝Lionsが終わった9時から夕方Lionsが始まる5時まで、ラチョーク、ガチョーク、ディタール、アスタムにある、5つの政府のセカンダリー スクールをバイクで周ってきました。

目的は日本留学へのプロセスと情報を書いた、Lionsの宣伝ボードを置かしてもらう為の承諾でした。

日本留学へは12クラスまでを卒業している必要があり、システムが違いますが、日本では大学2年くらいで、年齢にして20歳程になります。

ネパールではhigher secondly school卒業後になり、その後は皆 進学する為に村からポカラの街に出てくるので、その村にいる卒業前の段階から興味のある生徒とコンタクトを取っておく為。

その後ポカラの街に出て来てからの生徒になるので、長い目で見ての行動になります。


1年目は収入ゼロ、先行投資を含めてマイナス70万円程になるかも知れないLionsの仕事。

自分で改めて計算してみると、生徒となり勉強を始めてから日本留学まで最低でも9ヶ月は必要であり、4月の留学と10月の留学があり、4月の生徒は最低でも前年の7月まで。10月の生徒は1月までに日本語の勉強を始める必要があります。

日本語試験も日程は決まっているので、必然的に受けて合格する必要がある時期も決まります。

ただ闇雲に生徒を集めて、次の時期に留学させようとするのではなく、しっかり年間スケジュールを組んで、必要な時間をかけて留学まで手掛ける。

今後はそうしないと毎回 留学ゼロが続く事になります。

当初の様なやり方ではもはや仕事として成り立たなくなるので、2年後、3年後に目標を向けて、そこを目指して今から行動していきます。

自分もオーナーであり、今後やり方を変えていかないと未来はありません。

*今日はガソリン5ℓを手に入れたので、明日はヘムジャ、ダンプス、ノウダラ、カスキー、サランコットを周る予定です。


< Bidawar village >  Baraha higher secondly school


< Naya pool village >  Nshpaksha higher secondly school


道中の滝もVRバイクで通過


< Lachork village >  Mahendra uchamabi higher secondly school


< Gachork village >  Sukraghandaki higher secondly school


< Dital village >  Bhomeshwr secondly school


ディタール村からアスタム(向こうの丘)へ

またバンダだ!!

今日は朝から晩までLionsの宣伝で村を周ったが、また3日前からインドとの国境がストライキで封鎖されている事を今日知った.....

またガソリンとガスが入らなくなる.....

もう大丈夫だと思って今日は沢山 バイクで走ったが、仕事の往復分を考えるとまたガソリンを気にして遠出 出来なくなる....

何事もコロコロ変わる、一行に安定しない国。

昔からこうだから、ネパール人は慣れっこだが、日本で生活してきた自分。少しは慣れてはきたけれど、やっぱり凹む。

全く違うね、だからいいのだけれど。

やっぱり凹む。


明日からプレ ワールドカップ開催で、パラグライダーの仕事は8日間のお休みとなります。

更にその後はパラグライダーでの別の仕事(日本人のサポート)が入っているので、計 約2週間ほどお客さんとのフライトはお休みです。


今月は震災後 10ヶ月間で最も仕事のあった月で、今日までで38本 飛びました。これでも昨年の約半分ですが、パラグライダーの仕事はこの程度で充分。

明日は4ヶ月振りにアスタムに行き、その後 ディタールとガチョーク、ラチョークを周って、Lionsの宣伝板を置く学校を調べてきます。


明日からはお休み。
暫くはここから離れて、別のことをやります。


今期の学生4人は誰も日本へ行く事は出来ませんでした。

ある意味 予想はしていたので、この結果で必ず必要な事が分かりました。

自分は昨年の10月26日から、Lions のオーナーに加わりました。

自分にとっては今回が初めての留学ビザ申請で、このLionsの発起人でオーナーのマヘンドラに言われた事をやってきました。

しかし、それが2年前の状況ならばまだしも、状況の変化に気付かず、対応 出来ず、同じ事をやってきた結果が今回の留学ゼロの結果になった… と感じています。

日本語試験に合格してなくても留学出来たのは過去で、合格していなければ書類審査にさえ進めない状況である事は確実です。

だから、面接の会話練習よりも、先ずは試験に合格する事。「面接の会話練習を中心に教えてください」が今の状況に当てはまらない事になります。

でも、これはオーストラリアやアメリカなど他の留学では当たり前で、ILESテストで最低6.0以上ないと申請すら出来ません。

日本では2年前、ネパール人留学生の窓口を広げ、需要と供給のバランスが±0 だった為に100%に違い割合で留学できました。

しかし、徐々に窓口は狭くなり、うちでは50%、前回25%、そして今回0%になりました。
これは留学100%の時と同じやり方でやってきた結果です。

2〜3ヶ月 短期間の勉強で、それを6ヶ月 勉強した… と偽っても、試験の点数は正直にレベルを表します。

ビザが難しくなり、ナンバー制度でアルバイト時間も厳しく制限される様になれば、日本への留学希望者は減っていきます。

しかし、そんな中でも日本に留学したい生徒こそが「日本へ行くべき生徒」なので、流れに流されない人材を一人でも多く!

13人 留学させるまで収入面ではボランティアになりますが、今回の結果を踏まえてやる事は分かったので、先ずは一人を留学させられる様に!

今 教えているガネッシュはNat5 合格 目指して教えている自分にとっては初の生徒なので、彼を留学させられる事が次の目的になります。

先ずは一人目!そこからです。



Ps. 六車さんが招へいしたネパール人3人の農業研修のビザは、来日間近になってビザが下りなくなったようです。

日本は島国で鎖国だった時期が長くあり、移民をはじめ異文化や異国の人を受け入れる事に抵抗感がある国です。就労ビザや研修ビザも含め、日本を観光するのではなく滞在する為のビザは世界でも最も難しい国のひとつです。

日本人の自分がこのようにネパールでビザを貰い、働き、生きていける状況にいる今、やはり日本は何かが違う国だな.... と感じます。




今日はパラグライダーの仕事を休んで、以前から約束をしていた「はなのいえ」オーナーの比田井さんにお会いしました。


比田井さんとネパールでの責任者 ドゥルガさんを交えて、約1時間お話しをしました。

3ヶ月前までメールでは何度かやり取りしましたが、直接 会ってお話しするまで待ってください… と言われていました。

ガソリン不足もあり、アスタム村そのものへも約4ヶ月 足を運んではいませんので、アスタムで何がやりたいのか⁉︎ そこへのアプローチも少し遠ざかっていました。

4ヶ月前、アスタムではコーヒー栽培とパラグライダー&トレッキングのアクティビティを考えました。アスタムにコーヒー栽培の農協組合を作り、村全体でコーヒー栽培を手掛ける事がアスタムに産業を! の趣旨には沿います。

その為には品質 重視のコーヒーを「はなのいえ」のコンセプトに沿って栽培していきたい!それをモデルケースにアスタム全体でのコーヒー栽培へ。続いてはネパール産業としてのコーヒー栽培、コーヒー文化を創っていきたい!

もう既にコーヒー栽培はネパールで盛んになりつつありますし、矢作さんを初め多くの人がコーヒービジネスを始めています。

自分の目的はネパールの田舎町にコーヒードカン(お店)が増え、ネパール人が紅茶を飲む様にコーヒーを飲む風景。その文化を創っていく事です。


パラグライダー&トレッキングは「はなのいえ」又はアスタムを訪れた観光客がお客さんですが、それほど遠くはないサランコットでこれ程までに盛んなものを、アスタムでやる意味はあるのか? ただのタンデムフライトだけならやる必要はないと考えています。
何故って、同じ事をやる意味がないから。

囚われたものでは無いもの。

例えば実際に飛ばないでも楽しめる、初めて見る飛び出す風景… そのものへの感動。

パラグライダーは決して飛ぶだけの道具ではないし、99%の人は目の前で飛び立つ場面や目の前を飛んでいる風景を見た事がありません。

なので一緒に飛ぶ事もそうですが、その目の前の光景そのものにもパラグライダーの価値はあるはずです。

体験するパラグライダーだけではなく見せるパラグライダー(パフォーマンス)もまた、必ずやアスタムを訪れた人々を楽しませる要因になり得ます。

何かに囚われない事です。


今後 比田井さんとドゥルガさんが話し合って、私に答えを下さる事になりました。

その答えによっては私の人生も変わっていきますし、どちらにせよ変化に合わせてやれる事を目的 高くやっていくだけです。
これだけルールがコロコロ変わる国があるんですよ!

広い心と許容力!が養われます。

ビザも1年毎更新だったルールがたった1年後には変わり、次回は4ヶ月しか更新出来なくなりました… とさ。

4ヶ月 × 3回 = 1年 の方が、1年間 まとめて払うよりもより収支がいい… というのが、政府の狙いでしょう。(でも、前回まで更新に5ヶ月も要していましたが、4ヶ月毎 更新があなた方に出来るの? でしょうか)


なので、次回にビザが切れるであろう7月15日までネパールにいる事にして、日本へはそれから一時帰国になるかも知れません。

こんなんなので、政府が発表した4年後 ポカラ国際空港、そしてパラグライダーが禁止される事は誰も、誰も信じていません。

4年間もあれば最低でも4度はコロコロとルールや決まり事は変わり続けるでしょうね。まるで40年、いや400年後を決めようとしている感覚です。

ビザも来シーズン中には、パラグライダーのビザではない他のビザを取得 出来る様にしないと!

Ps. 昨日 鍵屋さんで作ってもらったスペアーキー。 案の定 鍵は開かず、使い物になりませんでした。

こんな事は日常茶飯事なので、笑いながら日々を過ごせる「心」の有り様が自分を変えていってくれます。
今 自分がやっている事は5つしかない。

①タンデムフライト
②日本語学校
③コーヒー普及活動
④ボランティア活動
⑤パラグライダーでの新たな活動

ひとつの事を継続する事が素晴らしい.... とされたのは20世紀まで。

同じ環境、同じ景色の中で生きていく事は、多くのものを見えなくさせます。

そして、それは脳にとって最悪の行為。

だから変化の中で常に最低でも10のことは仕事として、活動としてやっていきたい!

やりたいと思うことを、興味のあることを、面白そうなことをやっていけばいいのだが、それは簡単なことではありません.... と思えば簡単ではなくなる。

その辺の捉え方。思考の在り方。

目標を下げる必要など何処にもない。

困難に出会ったら、更に目標をあげる!くらいが丁度いい。




Lions教室のスペアーキーを作ってもらったのだが、これで本当に開くのだろうか......
(下がオリジナルで、上が作ってもらったスペアーキー)

教えてもらった鍵屋さんで作ったのですが、出来栄えが物凄く不安です。
明日の朝 その結果が分かります。

これで開くと思いますか???



【AFP=時事】ネパールで24日、乗客乗員23人を乗せて消息を絶っていた小型旅客機の残骸が見つかった。アナンダ・プラサド・ポカレル(Aananda Prasad Pokharel)航空相が述べた。


 ポカレル航空相はAFPに「ミャグディ(Myagdi)郡ソリゴプテ(Solighopte)で、完全に燃え切った同機の残骸が発見された」と語り、乗客乗員の遺体が機体残骸の周囲に点在しているのが視認されたと付け加えた。


航空会社タラ・エア(Tara Air)は当初、双発プロペラ機「ツインオッター(Twin Otter)」の乗員乗客を21人と発表していたが、23人に修正した。


 タラ・エアによると同機には乗客20人、乗員3人が乗っており、中国国籍とクエート国籍の人がそれぞれ1人ずつで、残りはネパール国籍、うち2人は子どもだった。


 同機は西部の観光地ポカラ(Pokhara)を離陸した8分後に連絡が取れなくなった。タラ・エアがウェブサイトで発表した声明によると、ポカラから約20分の飛行で到着するヒマラヤ・トレッキング観光で有名なジョムソン(Jomsom)へ向けて同機が離陸した時点の天候は良好だったという。


【翻訳編集】AFPBB News


午後2時からは太陽が顔を出し、再度 飛びに上がりました。


ネパールに住んで10年近くになるが、毎年1度は航空機事故が起きている。

そんな中でも毎朝 見ているポカラ~ジョムソン間での墜落事故は記憶に無い..... (昨年はジョムソン空港で滑走路をオーバーランして川に突っ込んだ事故はあった)

ポカラからのマウンテン フライトでの墜落事故は、お客さん1人だけを乗せる小型機で昨年起きているが、その機体は未だに発見されていない。

毎年起きるのは頻度が多いが、その原因は山岳地帯が多い事と国民性。

自分はネパール内で国内線に乗ったことは1度しかなく、やはりそこには多少なりとも信頼感に不安を感じているからだと思う。

しかし、100% 事故が何処かで起こるのが飛行機でもあるので、仕方が無い.... としか言えない面も多分にある。


記事には天気は良かった.... と書いてあるがここは大きな間違いで、今日は10時から雨が降り、パラグライダーは飛べずに引き返してきた。

雨にはびっくりしたのだが、それはまだ雨季に入る前の晴天続きの時期で、朝は曇って太陽は出ていなかったが、これもここ数日と同じ。そして、決まって正午前から快晴になっていたから。

見た目も昨日までと同じ、天気図も昨日までとさほど変わらない。

そんな中でサランコットに上がる道中に大粒の雨になったので、正直 驚いた.....

しかし、10時からポカラで雨が降ると言う事は、ジョムソンのあるアンナプルナ サイドは早朝から天気が悪かった筈。しかし、朝は昨日までと同じ空模様で、雨が朝から降るなんて思いもしなかった。

この乾季と季節代わりのこの時期の狭間に、乾季の間 毎日同じ天気、同じ感覚で過ごし、飛んできた事が全てを見失わせたのではないか?

ネパールで飛行機が堕ちるのは乾季と雨季の狭間です。

乾季に飛行機が堕ちる事は先ず無いし、雨季に堕ちる事も先ず無い。

今日の事故は物凄く理解のできる、納得のいく事故だったと思います。

同じ事を繰り返していると、突然の変化に気付かず判断 出来ない事も起こり得ます。

この事故は環境と人間の心理。そこが繫がって見えてきます。



42歳の時に初めて感じた年齢の意味。

41歳 アンナプルナ1周を飛んで歩いた時も、体力の衰えなんて感じなかった。

44歳の今、身体のあちらこちらが痛く、自分は疲れている。

もう44歳か? まだ44歳か?

気持ちの高ぶりも、あの頃のようにはいかない。

しかし、未来の自分が今の自分に語りかけている.... 「まだ44歳だ!!」と。

何処に目線を置くのかで、現在の景色も変わる。

過去ではなく未来。

44歳はまだ、放たれた小僧に過ぎない。




就労ビザを目指して最近入って来た生徒とパビットラ先生。


今日はもう一人のオーナー ディペンドラと会って、今後の方針を確認しました。

前回は6人の生徒が日本への留学申請をしていますが、今期は今のところ留学希望 生徒は3人。しかも2人は音信不通で未だに授業に出て来ない..... これは本気で日本へ留学したい生徒だとは捕らえられないので、実質1人だけです。

Lionsは約2年半の会社ですが、当初は100%の確立で日本への留学ビザが下りていましたが、その後は50%に、そして前 前回は25%に下がっています。

他の日本語学校もビザが下りにくくなっおり、これは一旦は多く受け入れたネパール人留学生を制限している為。

前回申請した6人のうち、果たして何人に留学ビザが下りるのか? その結果も踏まえて今後の展開を考えていきます。


今日の話し合いでは、ポカラにある国立のセカンダリー(高等学校)に配布する為のボードの作成をする事。その為に先ずは手分けして現場に行き、学校名と数を把握する事。

特に国立の学校で街の外れにある学校をターゲットとする理由は、国立の学校、しかも街の外れは英語の能力が低い生徒が多く、人気のあるオーストラリアやアメリカなど英語の試験で高得点が必要な英語圏には留学できない学生で、英語を必要としない日本に興味をもつ生徒をターゲットにする為。

ネパールでは私立の学校はネパール語を除いて全ての教科で英語記載なので、必然的に英語が出来るようになります。逆に国立は日本と同様に英語だけが英語表記で、その他の科目はネパール語表記なので、必然的に英語の能力に大きな差が生まれます。


英語圏に留学するのか? 又は日本に留学するのか? 二者択一その受け皿になれるように。


いずれは英語圏の留学も始めていく予定ですが、先ずは日本への留学に力を入れていきます。

ディペンドラに相談してオフィスの近所でアパートも探してもらっているので、ポカラの街のど真ん中に住んで、このビジネスもこれまで以上に力を入れてやっていきます。


27日からのお休みは、コーヒーの普及活動と学校のリサーチを兼ねてポカラ近郊の村を周ることから始めたいと思います。

今日は夜 Yetiの家族に呼ばれた。何かあるな.... と思ったが、案の定何かがあった。

Yetiの次男ビシャール28歳が結婚する事になった。

お相手はポカラ在住で同じカースト。同じ学歴で看護婦のシンプルな女性。ホロスコープ(占星術)によると2人が結婚できるのは今月しかなく、その後は10年後になるという。

1週間前に両親共々 顔を合わせ、初めて彼女とも会い。3日前に2度目 会って結婚を決めたようでした。

彼にはまだ仕事がないので、本当は仕事を見つけて1年後にでも結婚できればいいのですが、2人の占星術では今しかなく、2週間後の3月7日に結婚する事になりそうです。

本当は長男のケシャブ30歳が先ですが、彼も今年が良い年だそうなので、3~4ヵ月後には相手を見つけて結婚する事になりそうです。

 
突然の結婚ではなく、これがネパールでは普通です。

数回 会って、数日後には結婚していきます。


ビシャールにケシャブ、三男サガールは2年後。

暫く結婚には意識が行きませんでしたが、これを期に自分の気持ちも変わっていくかもしれません。


2年前の誕生日 ビシャール(9月6日生まれ)とカズ(9月8日生まれ)。

今日は土曜日、日本語の授業はお休みです。

パラグライダーは午前中にオフィスへ呼び出され、精神的に少しイライラしていたし疲れていたので、自分は今日は仕事をしない事を告げて、電話のスイッチを切って、部屋に帰って一日中 寝ていました。何もする気がしない日です。

同じ事を日々 繰り返す人生を自分自信が拒んでいる事を、自分自信 客観的に見て感じています。

変わっていかないと。

変えていかないと。

全ては変わり続けているのだから。



料金も8500rsではなく5000rsに… 


時々 問題となるこの基準。

ノーマル フライト15〜30分 と歌っているが、15分 飛べない時もある。
そこがお客さんとの間で問題になる事もある。

風がない日は7〜10分で飛んで下りる事になる。それが分かっていて何故15分なの? (仕事として説明して上がりますが、必要のないルールである事は確か)

このいい加減さがネパールだが、フライトそのものに価値を見出せず、時間に価値があるお客さんにとっては納得いかないのかも知れない…

守れないルールを作って、ルールの意味がない事が多々あるネパール。

訴訟社会ではこんなの訴えられるだろうし、相手の気持ちを考慮すればこんなルールも作らないだろうに。

でも大事なのは、そこに価値を見出す事が出来るのか? その人間性。

日本の様な国はこんなトンチンカンなルールは最初から作らないけれど、環境が文化が違えば、それはそとは限らない。

日々 お客さんと飛ぶ中で、自分の仕事は明快になりました。

「安全にテイクオフし、安全にランディングする事」

これ以外に重要なものはないし、あとはオマケだと捉えています。

それだけで充分な価値があり、その価値を分からない人とは仕事をしてはいけない… 本来。

他の国ではフライト時間など決まっていなく、「1フライト幾ら」だけです。
フライト時間を歌っている国は、フライト時間によって料金が変わります。

考え方が日本と大きく違うネパールの生活で、人が生きていく上で何が大切なのか?

それ以外は適度に適当でいい。

この国にいる以上、15分に拘って価値を見出せない人は少し残念な人に見えてきます。


* 明日は間違いなくどん曇り。小雨が混じるかもしれないコンディション…

15分 飛べない事は確実ですが、土曜日という事で予約は沢山 入っています。

しかし、飛べてしまうであろうポカラ.... テイクオフも風が無いだろうし...

気を使います。


巻雲が広がり、天気が崩れる事を示しています。


セルフイメージはエフィカシー(自己能力への自己評価)とリンクしています。

これはどちらも高いのが当然で、高いのが普通です。

抑えつけられ低くなったセルフイメージを元に戻してあげましょう!


あなたは美人ですか?

私は美人です!それでいいのです。

この世に正しい基準は存在しない!のです。

http://am-our.com/special/73/3664/ <=ブスとは?その定義を苫米地 英人さんが話しています。




これほど飛んでいるタンデムフライトは毎日の意識と緊張感。そこから生まれる誇りの中でもう仕事として職人の域に入っているので、今までの経験と日々の中で確信しているものが既にあります。

今 自分の頭の中にあるのは25日の「はなのいえ」社長とのミーティングと、27日~5日までのコーヒー普及の旅です。

そしてLionsは今日から、新たな生徒を向かえ新たな授業が始まりました。


今期 生徒は今のところ6人です。

学生ビザで日本を目指すのが3人。

仕事ビザで日本を目指すのが2人。

1人は日本に住む親元の所に行く為に日本語を勉強するので、ビザは関係ありません。


Ganesh は既に2週間ほど授業を始めていますが、毎朝6時半から8時半まで勉強して、9時から5時まで働いています。
今まで教えた生徒の中でも特にがんばっている姿が見えるので、教え手としては何としても彼には留学して欲しい! そう感じる生徒です。

Ashok は明日の朝から授業に参加します。どんな生徒か楽しみです。

K.C は1年前に留学の申請をしましたが、許可が出ませんでした。オフィスには再度の申請に来たようですが、その後 電話が繫がらないのでどれ程 本気で日本へ留学したいのか? 知りたいところです。

2人の男性はコックの仕事で日本へビザ申請をする為、今日から授業に参加しています。
3ヶ月のベーシック コースで5000rs(約5500円)を払って日本語を勉強します。


途中で来なくなる生徒、新たに入ってくる生徒もいると思いますが、7月、10月の留学とコックの仕事での日本を目指して、今期の授業が始まりました。

*前期4人の生徒の留学ビザの結果は26日に分かります。

昨夜は蚊に悩まされた....

今年 初めてのことだったが、日中は25℃位まで上がり、朝晩も寒く感じなくなってきた。

ポカラはこの時期、一気に初夏の様な陽気に変わります。



パラグライダー。仕事に向かう道中もヒマラヤが奇麗に見えています。
今日は雲ひとつ出来ないネパール晴れでした。

この景色が仕事場に向かう道中に広がるのは、ある意味 幸せかもしれません。


今日のお客さんはサランコットにあるホテル「Bhanjyang」に宿泊中で、迎えに行きました。

確か3年前にはまだ建てている最中だったこのコテージ... 思えば約3年間 サランコットを訪れる機会がありませんでした。

毎日サランコットには上がって飛んでいますが、サランコットのテイクオフ場に行くだけで後は空中からサランコットを眺めるだけでした。

パラグライダーを始める前には3ヶ月ほどサランコットに住んでいた事もあり、顔見知りの村人も多いのですが疎遠になってしまいました...

山頂まで車道が出来、新しいホテルもお店も出来ているのを今日 知りました。
裏側には日本の大きなホテルが建設中です。

ポカラから最も近い丘であり、村でありますが、ここが職場となったことで訪れる機会は無くなってしまいました。

しかし、このコテージからの景色もそうですが、初めてポカラを訪れる人には絶好の場所!それがサランコットです。


Bhanjyang hotel.



後ろがサランコット。その後ろにアンナプルナ山脈。

そして、ここサランコットは年間 世界で最も多くのお客さんがタンデム フライトをする場所です。

昨日からツーリストは減り、約10日ぶりにパラグライダーの仕事がありませんでした。

今日 飛んだお客さんは100人弱に見受けられましたが、50以上の会社があればこの数では仕事があったりなかったりになります。


日本語学校は新たに3人の生徒が入ってくる予定です。

2人は留学を目指して、1人はネパール人の旦那さんが日本で働いているので、旦那さんと日本で一緒に生活する為に勉強します。

今のところ留学を目指して勉強する生徒は、留学の時に手数料を貰うので授業は無料で行っていますが、留学目的ではなく自分で日本語を勉強したい人には3ヶ月の基礎コースで5000rs(5500円ほど)の授業料を貰う事にします。

留学を目指す生徒についても、今回の4人の生徒の留学結果を見て、その後 授業料を払って教える事になるかもしれません。

授業料を払って、留学が決まればその分は手数料から差し引く事も考えています。

日本に住むオーナーマヘンドラもネパール人なので、言うことがコロコロ変わり(ネパールの文化)、何処も無料で教えている....と言っていましたが、実際は授業料を払って教えているところも多いので、努力して留学が決まればその分を差し引き、留学できなければ授業料は戻って来ない....それがいいかと考えています。

誰も留学できなければ、収入ゼロはおかしい。毎月1万円 経費に払っているし、始めたばかりですがまだまだボランティアの状況です。


ポカラと他の地を結ぶ交流地点 プリティビ チョーク。(夜と昼)

因みにチョークとは交差点の意味。

ローカルバスのバス停があり、ポカラの玄関口でもあり出発地でもあり、文化の交流地点でもあります。

プリティビチョーク近郊。



こちらニューロードは沢山の銀行、家具屋、洋服屋、電気屋などが並ぶ通りです。


来シーズン何処に住もうか?で、今日もまたオールドバザールに行って、アパートなどがあるのか? 聞いて周りました。

今の段階で他の候補地はマレパタン、ニューロード近郊、プリティビチョーク近郊など。

アスタムなどの村は朝夕の日本語学校での仕事が難しく、村へは必要なときに出向き、数日滞在する形になりそうです。

ポカラの街を色々と周って、来シーズン住む場所は決めていきます。

ポカラ オールドバザール。

今日はパラグライダーの仕事が1本で終わった。少し忙しい時期も終わり、パラグライダーの仕事はあったりなかったりの状況に戻りそうです。

今シーズンも残り3ヶ月半。来シーズンは住む場所を変えることになりそうです。

来シーズンは人生を変えていくシーズンになるので、ポカラに拠点を置きながらも色々な場所に出て行く機会が増えそうです。

その意味でも言葉を考えても、もうレイクサイド近辺に住む必要性が無いので、今はオーナーのアパートに1年住んでいますが、付き合っていく人達も変わっていき、住む場所も変えていきます。

今からポカラの何処に来シーズンは住もうか? 考えています。

今日は午後からポカラのオールドバザールをドライブして来ました。

ここはネワール族の住む町で、前回 訪れたパタンやバクタプルに少しだけ似た感じです。

この近辺にアパートがあるのか?調べないと分かりませんが、家賃はレイクサイドの半分ぐらいです。

ポカラにいない時期が多くなる状況で、高い家賃を払う必要性がないのも、レイクサイドを離れる理由のひとつです。

あとは言葉。出来るだけ英語で会話が出来ない環境に住みたい。

こちらに住めば逆に日本語学校に近くなるので、そちらにも力を入れられます。


人が求めているもの。それは「安心」「安定」です。

それを示すものに「箱物」があります。

マイホームを持つことに執着するのも、「安心」「安定」を求める...から来る無意識の行動です。

自分にはそれが昔から無く、同じ場所に居座る事で未来への変化に対応できない。居座る事で人生が閉ざされてしまう感覚がずっとありました。

宿は借りたほうがいいし、宿は移り代わって行ったほうがいい。

「箱物」はそのようなものだと考えています。

変化に応じて住む場所を変えていくことが、自分には合っています。

「安心」「安定」を求める生き方が既成概念を作り上げ、本当は得体の無い「不安」を作り上げている..... そう感じています。



ポカラ オールドバザールのイラスト。


こちらはポカラ ニューロード。


来シーズンはポカラの何処に住もうか? 考え中です。




 


先日のテストを採点しました。

88点、68点、63点、57点。目標の50点以上はクリアです。

あとは大使館からの結果待ちですが、その後も空港での試験があるとの情報もあり、以前よりもかなり日本への留学は難しい状況に変わっています。

でも、誰でも簡単に日本へ留学できるより、がんばって勉強した人が行ける方が、将来を見たとき絶対に良い結果が日本とネパールで生まれると思う。



次期  留学希望生徒は2人ですが、毎日 来るのはGanesh彼だけです。
7月に留学 希望ですが、次回からは必ずNAT5の試験に合格しないと留学の受付もしないので、4月10日の試験 合格に向けて勉強しています。

もっと生徒を集めないといけないですが、これからの生徒は最低でも6ヶ月間 日本語を勉強して、方針によっては授業料も払ってもらい、NAT5合格目指して教えていきます。
留学の申請はそれからです。

一昨年、昨年のように簡単に日本へ留学できる状況ではありません。


教材「みんなの日本語」を使って本格的に教えていくのはGanesh彼からになります。
教えながら、今後どの様に教えていったらNAT5に受かるのか?対策も立てながら、教え方も自分で学んでいきます。



ラトナ コーヒー 矢作さんの所のマーケティング スタッフが富士山に仕事で来ていました。

パッケージも新たに、ラトナのヒマラヤン コーヒーを宣伝していました。

矢作さんもネパールにドリップコーヒーを広める活動をしていくそうなので、何か共通なことで協力できることがあれば...とも考えています。

自分はビジネスの前にリサーチも兼ねて数年は、コーヒー自体の普及活動をしていきます。

27日からの1週間、バイクで色々な村を周る計画を立てています。

震災 以前の忙しさが戻って来たかのような状況が1週間続いています。

それも新年休みの中国人よりも欧米人の方が多く、毎日3本飛ぶ感覚はホント久しぶりです。

パラグライダーで飛ぶ値段ではない!程に値段が安くなっているのも要因かもしれません。


値段を知るとこの仕事を侮辱されている感覚になるので、もう値段を聞くことは止めます。

私達はもはや空飛ぶリキシャーマン、または空飛ぶタクシードライバーです。

私達を「パイロット」と呼ぶ事はもう止めませんか?!


ディスカウント。

割り引く事は決していい事ではなく、自分自身の価値を下げることにもなります。

限度を越えて割引を要求する人達は、そこに価値を見出せない人達。自分の価値をも下げて生きています。

矜持(自分の能力を信じて抱く誇り)を持って生きましょう。



 


  
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プロフィール
HN:
kazu
年齢:
53
性別:
男性
誕生日:
1971/09/08
職業:
パラグライダー
趣味:
たそがれ、物想い、静寂、心穏やか、不安、楽しむ
自己紹介:
Kazu
Japan spirits and pride
Professional tandem / Adventure pilot

世界最高峰のヒマラヤ、神の国ネパールで生きていく為に始めた空飛ぶ道具パラグライダーでコマーシャルタンデムをやっています。夢は神の山マチャプチュレへの冒険フライトに挑戦すること。
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