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その人が何処から来たかなど、どうでもいいではないか。 どんな地位にあるか、どんな功績があったのか、どんな血筋を引いているのか、など全くどうでもいいではないか。 ただ、その人の行いを見よ。 今ここに於いて、何をするのかを見よ。 行いが正しく、羞恥があり、身と心を慎んでいるのであれば、その人は生まれがどうあれ、今から高貴な人ではないか。

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今朝は8時から、今生徒4人 最後の日本語テストでした。

これで後は結果待ちになります。

先ずは一段落。来週からは次期 生徒の授業が始まります。





ここ1週間はパラグライダーの仕事も忙しく、毎日2~3本飛んでいます。

今日3本目は条件もよく2000m以上上がり、久々の高さに足が少しすくみました.....
そのお客さんは13歳の中国人少年で、何でも1人で英語も全く話せない中でネパールにやって来たようです!しかも今日2本も飛びました!!

2本飛ぶと言う事は大丈夫な人だと感じたので高く高く上げましたが、こんな感覚の少年 私は大好きです!!(写真はなし)








小松 美羽 http://miwa-komatsu.jp/




好きなことを、やりなさい。(水木茂)


私が好きなこととは何なのか? やりたい事とは何なのか?

そして、私に出来る事とは何なのか?

それを追求していく事が、とても、とても、重要です。


25日に「ななのいえ」日本の女性社長とスタッフ5人がポカラにやって来るので、「たべものや」でお会いする事が決まりました。それまでに自分の考えを再度 思考し、整理しておかなければいけません。

果たしてアスタム村で何が出来るのか? その話し合いをします。


抽象度の高い目的を掲げる事で、この日常と現状がものすごく居心地の悪いものに感じるようになっています。

現状維持は進化でなければ、維持することでもなく、退化の道です。

自由の刑に処される事を望んで生きていきます。


以前にも掲載した「自由への道」

自由とは自分の「心」と向き合う旅です。
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何とか明日のテストが完成しました。

何が大変だったかと言うと、プリントアウトする事だった…

テストは一昨晩 深夜1時まで頑張って出来上がったのだが、それがこちのパソコンに落としてプリントしようとすると文字化け… そして何より電気がほとんど来ない!

昨日は夕方2時間だけ。今日も夕方まで電気が来ないので、手書きに書き換えようか… とも考えましたが、そんな気力は出て来なかった。

プリントアウトするだけの行為がこんなにも大変だなんて… これがネパール。


日本で言うところのセンター試験。ネパールでは決まった日程に計画通り行われない事が多く、延期を繰り返す事もあります。

日本だったら責任問題に発展しますが、「電気が来ないから」「バスがストライキで走らないから」などなどで予定通りにはいかない、予定通りにならない環境で小さな頃から皆 育っています。

今回は生徒4人の最後のテストで、これで一応 全てが終了し、あとは日本大使館からの結果を待つだけになります。

そんな最後のテストが決めた日程に間に合わなかったなら、それは私の責任だ! そう捉える必要は何処にもない。

昨日も書きましたが、「責任と怒り」は環境によって、全く意味をなさなくなります。

何かに縛られている事に、こころが気付き始めています。

人間は論理の生き物ではなく、感情の生き物です。

頻度は少なくなりましたが、私も2ヶ月に1度は怒りが爆発するときがあります。
経験上、怒りは責任感から現れることが多く、どうでもいいと思う事に怒りは現れません。
「責任感」=「怒り」ならば、責任感が戦争を起こす事にもなり得ます。

怒りの正体を見たとき、その姿にゾッとします。


昨日はランディング場で中国人のお客さん同士が、断り無く勝手に写真を撮られた事に怒りを露にしていました。

今日はテイクオフ場でタンデムパイロットとソロパイロットが、順番待ちの件で口論となり、怒りを露にしていました。


海外ではたくましくなくては生きていけないのも、文化や習慣、意識の違いから腹が据わるから。いちいち気にしていられない状況がそこにはあります。しかし、そんな中でも怒りが湧いてしまうのは、人は感情の生き物だからに他ありません。

ここで生きている外国人パイロットは年配者ばかりですが、彼らを見ていると達観しているようにも見えてきます。

150人いるタンデム パイロットの中で、44歳の自分は上から5番目の長老パイロットです。

感情の生き物であるからこそそれを理解し、自分のものとする事で感情と向き合っていかなくてはいけません。


感情=自分のこころの状態によって幾らでも変わるもの。

それを、こころの調和の取れた状態を保つ事で、感情を自分のものとする。

「悟り」とはまさにそのような状態で、この世の全てと調和の取れた状態です。


この世に自分のものなど存在しません。

唯一 自分のものと成り得るのは「こころ」、そこに生まれる感情です。



                         冷静
               
                        穏やか

                          情熱


中国の新年と言うことで何時以来だろうか...? 中国のお客さんX3本を飛びました。

以前は毎日3本飛んでいましたが、今は1日だけでも3本飛ぶと疲れます....

まあ、朝 早く起きて授業に行って、夕方も教える為にまた出向いていくので、パラグライダーだけでよかった以前とは状況が違います。

夕方の授業は今週のテストで終わるのでひと段落ですが、次期の生徒が2人しかいないので、生徒を増やす必要があります。


約3ヶ月この仕事をやってきて、色々と改善しないといけない事が見えてきました。

「無料での授業の弊害」「試験に合格する為の授業の必要性」「本当に日本に行きたい生徒を集める事」

経験していく事で分かってくる事があり、年々 国によっての採用の浮き沈みもあります。

今回の4人の生徒の結果は間もなく出ますが、それを踏まえてやり方も変えていきます。





4年前、自分が初めてネパールで働いた会社がTEAM5でした。
その時にチームメイトだった韓国人パイロット  オー・ジェンスが、4年振りにネパールにやって来ました。

今回は6人の韓国人パイロットと共にタイで2週間、ネパール1週間、計3週間の休暇で飛びに来ています。

何でも7~8月 夏休み期間中の1ヶ月間、韓国ではタンデムフライトで100万円以上 稼いでいるそうです....

いっぱい稼いだから...と食事をご馳走してくれました。


昨夜はYETIに住むマニーシャ19歳の誕生日でした。
従妹のマニーシャがYETIに来て既に11年.... あの頃から知っているだけに、感慨もひとしおです。


長女ムナの息子リスキンも大きくなりました。



今日はパラグライダーの仕事がなく、今週 金曜日に4人の生徒に向けたテスト作りを始めるべく、午後早めにオフィスに行きました。

オフィスの斜め前には警察署があるのですが、今日は沢山の人々が集まってました....

話を聞くと、2日前にポカラで殺人事件があり、その犯人に対する住民の抗議運動だったようです。

ネパールで殺人事件.... 余り記憶にありませんし、新聞を見ていてもそのような記事はほとんど見かけません。


そして、今日は今シーズン初の嵐が午後1時過ぎにやって来ました。

春一番です。

アパートから見えたソロのパラグライダーは、風に押されてバックしながら飛んでいましたが.... 大丈夫だったでしょうか?

いつも通り飛んでいては危険です!

これからは空模様を常に観察しながら、飛ぶのか?飛ばないのか?又はどの様に飛ぶのか?の判断が重要になります。

でも、これが普通で、この判断がパラグライダー 最大の魅力です。



今日からテスト勉強スタート。

基本的なところだけを取り上げますが、テスト作りは楽しいかも....
何とか50点以上は必要なので、その絶妙なラインで作っていきます。



矢作さんのラトナコーヒーのお隣が引越しして空いています。
次はここに、どの様なお店が入って来るのでしょうか?

ここマレパタンはレイクサイドから少し離れたローカルエリアです。


仕事終わりのひと時をラトナカフェで。



今日 少しうちのオーナーにも話したのだが、来シーズンはずっとポカラには居ないで、基本「3週間ポカラ+1週間 ポカラ外での活動」の繰り返しの生活を考えています。

うちのパイロットは今5人ですが、1ヶ月もすればオーナーの従弟が加わる事になるので6人になります。自分がいないときは5人になりますが、5人いれば充分な環境になりました。

来シーズンは生活スタイルを変えていくシーズンになるので、ポカラを離れる時間をつくる中でその方向性を見つけ出し、今後ネパールで生きていく中で起きる大きな2つの問題「収入」と「ビザ」をクリアできる状況を自分で見つけ出さなければいけません。

そうなると、ポカラでの住居ももっと安い所に引っ越すことにもなるだろうし、バイクもあるのでレイクサイドに住む必要姓も無い。(言葉を取ってみても、ネパール語でしか会話できない圏に住む事は必要)

来シーズンとは言わずに、今から「変化」を意識して自分で生活を変えていきます!


初めてかな… xcをタコったのは。

xcの規定である35分以上飛ぶ事が可能な条件で、25分でヘロヘロとランディングに下りた。

3本目でお客さんの様子を伺いながら飛んでいて、少ししんどそうだったので回さずに飛んでいたら、サーマルとサーマルの間の淀んだ状態にはまり込み、ステイすら出来ずにフラフラと何とかランディング場に辿り着いた感じだった。

3本目の時間帯はタイミングを見誤るともがく事になってしまうのだが、何で2本目のxcを3本目に変更したのか?

2本目ならどんな飛び方をしても、いつでも上げ直す事が出来る時間帯なのに。

それはパイロットには分かっても、スタッフには分からない感覚だろう。
ロングフライトは先ずは高さをキープして、時間を長く飛ばないといけないのだが、そこにお客さんの状態が加わるので、そこに気を使うと下がって終わってしまう事がある。

xcはお客さんが吐いてしまうのか?吐かないまでもショートフライトで終わるのか?

何でxcなんてお客さんとのタンデムで必要なのだろうか?

いつも疑問に感じています。


今日の新聞に約5ヶ月間 続いたインド国境の経済封鎖が解除されたニュースがありました。

これでガソリンもガスも入ってくると思われますが、皆に以前の様に行き渡るには時間が暫く掛かりそうです。

でも、本当かな?ネパールなのでどうでしょうか....一安心?



間もなく中国の新年、旧正月だと思いますが、少しですが中国人観光客も見受けるようになりました。

今日の中国のお客さんは、とても上品なお顔で写真に納まっていました。






2本飛んでその後、約2ヶ月ぶりにレイクサイドにある「たべものや」に行きました。
コーヒーの木は7本ほどですが、今年は実の付きようが少ないようです.....

3~4年 背丈1m程の可愛らしいコーヒーの木。

この木が一番 実を付けていました。
今後の成長を見守りたい、「たべものや」のエースです。
収穫は2週間後ぐらい。


2月27日から1週間パラグライダーの大会があり時間が出来るので、12月に行ったチョウジャリ村へ行ってタンデム フライトを村人とやる予定ですが、フライト許可の問題。チョウジャリへの飛行機が決まった日にしか飛ばない事。それと「はなのいえ」スタッフが丁度この時期にポカラに来る予定なので、それが重なると話し合いの為にポカラを出られません。

3月の中旬は昨シーズン忙しくなかったので、その時期に飛行機の日程に合わせてチョウジャリ村へは行くかも知れません。

4月以降になってしまうと雨が夕方 降り始め、チョウジャリにあるマンコットの丘のテイクオフ場が水の恵みによる野菜やとうもろこしの畑になってしまうので飛べなくなってしまいます。


この大会期間中、チョウジャリに行けない場合はバイクで、コーヒー普及活動をしに色々な村に出向こうと考えています。
その頃にはガソリンも以前のようにスタンドで、いつでも補給できる筈です。(多分)


日本語学校の現状は、4人の留学への結果待ちですが、12月に受けた試験NAT5の点数がかなり低かったので、日本の学校からの要請で来週テストを受ける事となりました。そのテストを自分で作らないといけないので、夕方の授業とテスト作り+パラグライダーの仕事が来週の予定です。




今日は久しぶりの日本人のお客さん。その1本で1日終了。

あ...今 地震があった。PM22:06。

震度2くらいが5秒ほど。

日本人は余震は本震より小さい事が分かっているし、数年単位で揺れがある事は知っているので何の不案も無いけど、それを知らないネパール人は少しの揺れで動揺しているのが分かる....

あの地震は過去の話しであり、今はその延長線上には存在しない。

時は未来から現在、そして過去へと流れていくもの。

だから実在するのは未来、そして現在だけ。


この世界 全ては変化し続けているのだから、私も変わり続けなくてはいけない。

1ヶ月前の日記を読み返しても、自分が同じ人物だは思えないのは変わり続けているから。

1年前は全くの別人!

この日記がそれを物語っています。

過去のあなたも、未来のあなたも、今の私にとっては別人です。


自分の心の中でのセルフトーク(独り言)が、どんどんこの場所を魅力の無い環境にしてしまう.....

一言で言えば、甘やかされて飛んできたパイロットがプロのタンデムパイロットになってしまえるこの環境に魅力を感じない。

意味が本当に分からなかったのだが.... タンデムコースを合格して、お客さんを乗せる為の練習(友達を乗せて飛んぶ)をしているパイロットから信じられない言葉を聴いた。

パラノバ ランディング場は怖くて下りられない??? 本当に意味が分からなかった!

うちが使っているランディング場だが、普段はとても簡単にランディング出来る場所!

しかし、冗談ではなく本当のようだった。それを知ったときゾッとした。


彼等はソロでは何度もここにランディングしているし、タンデムはまだ初心者でランディングの技術も違うから分からないでもない.... とは、とても言えない!!

自分は経験も積んできて、彼等の感覚や意味が分からなくなってしまったのか..... なんて、とても思えない!!


タンデムコースを合格したパイロットがあの場所が怖くてランディングできない.... が120%理解できない。


彼等はソロ時代から何かにチャレンジする事も無く、いつもランディング場に飛んできてはランディング場に下ろしていた。

何故 自由なソロでもっと色々な場所やシチュエーションで練習しないのか?


いつも同じ風が吹くポカラ。しかし、4月、5月、6月だけは天候が急に変わり嵐になる日があります。
昨シーズンはネパール人タンデムパイロットが湖にランディングするシーンを何度か見ました。ポカラという安定した環境で育った彼等は、この3ヶ月に対応できない。

今シーズンからは死亡事故が起こりえる可能性は十分ありえます。


「甘やかされて育ったパイロット。今や60の会社。レベルの低下。それが自分にとって魅力の無い環境に変えてしまった..... 」
そうセルフトークすればするほど、自分がこの場所で飛ぶことの意味の無さに繫がってしまいます。

ここは誰でもいいのなら、誰であろうと構わない。

自分が飛ぶ必要性がない。

自分が必要な場所で、自分だから出来ることをしていきたい。

そんな想いで仕事をしているので、来シーズンには決断をする事になります。










* ここのパラグライダーの環境について書く事はこれで最後にします!!
  今後の自分の行動で判断して下さい。
後にも先にもこんな光景はないでしょう....

今日の2本目XC1時間フライト。100kgのトルコのお客さん。

XC100kgだから仕事としては重労働で、頭の中でやるべき事を整理しながらテイクオフに上がりまた。

それがまさかテイクオフする前に、グライダーと繋ぐ前に、テイクオフの坂からバランスを崩してお客さんが落ちていくとは.... 全く想像できませんでしたし、こんな光景今までパラグライダーをやっていて見たことありません。


注意が必要なお客さんとは傾斜が緩く、距離を走らないといけない(とは言っても5mくらい)うちのテイクオフ場ではなく、傾斜があり、2~3m走るだけで出られる上のサンライズ テイクオフ場を使います。

傾斜があると言ってもタンデムで出られる理想的なものですが、その傾斜に耐え切れず、自身で自重をコントロール出来ず、2歩 歩いた位からバランスを崩しそのまま下の林に落ちていきました... 衝撃です!

パラグライダーでテイクオフする以前に、バランスを崩し落ちていったお客さんは初めてです。


お客さんは「飛びたい...」と言っていましたが、お客さんの眼鏡が壊れ視力が弱い中で、しかも左腕も負傷していたし、このお客さんでは危険だったのでキャンセルしました。

その後 うちのオーナーと病院に行き、左腕が骨折していることが分かりました。

下は林なので、擦り傷程度は分かりますが、彼が骨折したのはまさに自分の体重が圧し掛かったからです。

私は100kg級とは飛ぶ頻度も多いですが、気になるところは体重ではなく体格です。

130kgのお客さんでもスポーツ体系なら気になりませんが、90kgでもお腹が迫り出した運動神経の無い体系はかなり気を使います。

今日のお客さんは後者で、ハーネスのベルトがギリギリ届いたお腹。

全くの素人であるエージェンシーがお客さんをブッキングして、最初に体系はチェックしますがもう車に乗った状態でテイクオフまで上がるので、どれほど運動神経があるのか?はそこからの動きでしか判断できません。

そして今日のようにテイクオフする前に怪我してしまう.... こんな事が起こってしまいます。


折角ネパールに家族3人で旅行に来て、その途中で骨折してしまって可愛そうですが、しかし怒りに似た気持ちも湧き上がります。

自分の体重を支えきれない、自分の身体をコントロールできない人は時に他人にも迷惑を掛けてしまいます。

今日はまだ林に落ちていったから良かったけど、これが階段やエスカレーターから落ちたのなら... 下にいる子供を巻き添え、大怪我させる事も起こり得ます。

ハッキリ言いたい事は、「お腹の極端に出た、自分の身体をコントロールできない体系は人に迷惑をかける」と言うことです。

自分の身体を自分でコントロール出来なくてどうするんですか?!


このような人達はそこに気付くべきです。


何でこんな事で疲れないといけないのだろう...それでも自分のお客さんだったから。



自分の身体は自分でコントロールして下さい!!
昨日、今日とパラグライダーの仕事はありません。

そこで、今日 早速 4ヶ月振りにニルマルポカリ村に行って来ました。



4ヶ月前に訪れたインドラさん宅をお邪魔し、コーヒーの発育状況を見せてもらいました。

インドラさんは養鶏所が主で、コーヒーは数年前から手掛けたばかり。

お兄さんのガンガーさんも直ぐ隣に住んでいますが、ガンガーさんはコーヒーが主で村にあるコーヒー オフィスでも働いているようでした。

コーヒーの木は伸び放題で、しっかり管理しているのか?は疑問でしたが、昨日も日本からのスタッフが訪れ、様子を見ていったようです。

ニルマルポカリで採れたコーヒーは全て日本へ輸出されていて、以前にもご紹介したキョーワズ珈琲株式会社で「フレンドシップ コーヒー」との名で販売されています。


これはコーヒーの苗を2ヶ月前に植えた畑です。


この様に日除けになる木を横に植えて、コーヒーの木に当たる日照を調整していました。

ニルマルポカリ村では200軒の農家がコーヒーの苗を植えて、コーヒーの栽培を始めています。


こちらが苗を育てている場所。

青々とした苗が育っていましたが、1ポット35円ほどで販売しています。


話では村人はオーガニックコーヒーを飲んだ事がほとんどない.... との事。
コーヒーを作っても飲むことなく、全て日本へ輸出されていきます。

次回はインドラさんとガンガーさん家族にオーガニックコーヒーを飲んで頂く為、ここニルマルポカリでコーヒーの普及活動をします!??? 

コーヒーの生産地でコーヒーの普及活動って変ですが、今日出されたコーヒーはネスカフェに砂糖を大量に入れたものだったし、栽培するだけで実際に実物を淹れて飲む機会はないようです。

コーヒーを飲まずしてコーヒー栽培している状況は単なる作業に過ぎず、本当のコーヒーの味を知らない事は彼らにとっても幸せな事ではない。だから、今の自分に出来る事はビジネスではなく本当のコーヒーを知ってもらう活動。それも文化をを作っていく上で重要なことです。



その後、お兄さんのガンガーさんが日本のスタッフの通訳をされているネパール人の方に連絡を入れてくれました。

何でも隣の村「バラット ポカリ」に居るとの事で、バイクを20分ほど飛ばして会いに行きましたが....


初めて訪れたバラットポカリ村には、韓国との協力で村の活性化を行っています。

その名も「Nepal Hope Village」。

この村でもコーヒー栽培を計画しているようで、明日ここで村人を集めての説明会が朝10時から行われるとの事でした。


韓国が支援した組合オフィス。

マレパタンにある農業試験場にもカトマンズ在住の韓国人がコーヒーの買い付けに来ていますが、この村では日韓ネ協力でのコーヒー産業が始まりそうです。


結局 日本のスタッフ一同とはすれ違いでお会い出来ず、今度 時間を作って会って頂く事にしました。

ポカラには定期的に訪れ、1ヶ月ほど滞在されるそうです。

ニルマルポカリ村の現状や新たなバラットポカリ村での活動、今後の展開など色々と伺います。そして繫がりを大切にしていきます。





街の子供達は皆ゲームが大好きです。

村の子供達がゲームをやっている姿を見たことはありませんが、それは経済的なものであって、自分も子供の頃はゲームが大好きでした。

見えているものが変われば、楽しいと思えるものも変わっていきます。

それが何なのか? それが分かるには時間が必要です。

変わり続けることが必然で、誰もそのまま大人になる人はいません。

今日と明日は誰もが別人です。


コーヒーの抽出方法にはどのような種類があるの?
マキネッタ(モカ・エキスプレス)で淹れたエスプレッソ コーヒー。

先日ティミを訪れて買った、おちょこ程の大きさのコーヒーカップで!


9月の下旬以来、私のバイクのガソリンが満タンになりました。

先週2時間半待って5ℓ入れてもらい、今日は全く待たずに門が開いて中に入れ、5ℓ入れてもう途中で溢れて満タンに....

これで少し自由に行動できそうです!


パラグライダーの仕事も少ないので、日中に時間があればニルマリポカリのコーヒー農園を見に行ってきます。

    

バルパックの視察は2泊3日でしたが、全体を掌握するには少し短いのでは? と思い、前田さんに聞きました。

 前田さんも「もう一日滞在しても良かったかも知れない....」と言っていましたが、視察の日程はネパール人スタッフが決めているようでした。

しかし同時に「滞在費や彼等のスケジュールもありますが、このNGOに出来る事で彼等は既に答えを出しているので、これ以上 滞在する必要は無い」とも話してくれました。



バルパックから30分ほど下りた村で、ここが震源地だと教えてもらいました。

向こうの山肌が崩れていますが、この真下が地震の中心だと教えられました。


村の子供達


畑に作られたトタンの小さな家。



ここから下る事5時間。標高1000mにあるゴルカの町に着きました。

どさんこNGOは以前からゴルカにある孤児院を支援しています。
今回もその学校を訪問しました。


ゴルカにある国営の学校ですが、ここに親を亡くした、又は親里を離れて暮らす子供達が20人ほど共同生活をしていました。


中国赤十字テント。


ユニセフのテントで孤児の子供達は寝ています。


こちらは授業を行う教室。


ここで生活をしている子供達が朝9時、朝ごはんを食べに集まって来ました。
下は6歳から上は14歳まで、食事や衣類、勉強道具や学費をユニセフやNGOがサポートしています。

どさんこNGOは定期的に尋ね、長期でのサポートをしています。

本が並べられた図書室がありましたが、そこへのテーブルや下に座れるカーペットなど.... を次回は検討するようでした。



ゴルカは1泊でしたが、ここで自分はお別れをし、もう1日ゴルカに滞在して見て周る事にしました。

どさんこNGOの彼等はその後ダーディン村へ移動し、以前からサポートしている医療施設を訪問してカトマンズに戻られました。


山の斜面にあるゴルカは坂の多い町でした。


丘の山頂には昔 王様が住んでいたお城がありますが、地震によって半壊状態でした。


ゴルカFMラジオを訪れました。
ここも日本が以前に技術協力をして出来たラジオ局でした。

ネパールにいると日本の支援が多い事に気付かされます。
地震後の援助額も他の国と一桁違い、日本人ということで感謝の言葉を伝えられました。


技術スタッフと女性アナウンサー。


ゴルカのレストランで初のコーヒーを広める運動をしました。
(本当は被災地バルパックで行いたかったのですが、ガスも電気も無い中で貴重な薪を使うことが出来ずに自粛しました)


この視察で初の試みをしたかったのが「コーヒーの普及」でした。

ネパールにコーヒー文化を造りたい!!これも私の目的のひとつです。

ネパールではコーヒー栽培がひとつの産業となりつつありますが、世界に知られるまでには至っていません。

うちの会社のオーナーもレイクサイドにカフェを開く予定で、レイクサイドはもとよりポカラの街の中でもカフェが増え始めています。

しかし、それはあくまでもビジネスありきで、コーヒーが好きでやる訳でもなく、実際うちのオーナーもコーヒーは殆ど飲みません。

あくまでもビジネス.....

これではいつもの同じ事をただやるだけで、文化も広まらない。品質が良くならなければ、世界にも認められない。

目的、その抽象度が低いから自分のやりたい事ではない。


Coffee solves everything コーヒーは全てを解決してくれる。

それは気持ちを和らげ、その場で時の流れを変え、結果 人生を豊かなものにしてくれる飲み物。

自分はお酒を飲まないのですが、お酒は抽象度を下げる事で気分よくなる飲み物だと思いますが、コーヒーは抽象度を上げてくれる飲み物.... そう感じています。


「人々を幸せにする為のコーヒー文化」を造っていく目的で、私はコーヒーを広めていきます。

その為にはネパール人(村人)へコーヒーを知ってもらう事が必要で、最初にやっていく事はビジネスではなく普及活動。

将来コーヒーショップを開くのならば、ポカラならレイクサイドではなく交通の交流地点プリティビチョーク。ツーリスト相手ではなく、ローカルな人々。


ゴルカのレストランでコーヒーを淹れて飲んでもらえた事はそのスタート。
これから目的に向かって行動していきます。


先ずこの視察で痛感した事があります。それは「ネパール語」。

初日の段階でかなり疲れたのも、100%ネパール語だけでのコミュニケーション。日本のスタッフも仕事で来ているので、100%ネパール語での会話です。(気を使って日本語で話しかけてはこない)彼女は大学でもネパール語を専攻していて、何の不自由なくネパール語でコミュニケーションしていきます。

この1日で約10年間ネパールで聞いたネパール語、それ以上のネパール語を聞きました。

自分の日常は95%英語、5%ネパール語.... そんな割合なので、ネパール語は「旅先の英会話レベル」程度の限られた言葉しか使えない。

そしてポカラに戻って来て感じた事は「コミュニケーションが楽だな....。英語で楽して生活してきたんだな....」それを痛切に感じました。


村に行けば何処も英語は全く通じません。村に限らず町でもカトマンズ、ポカラなどのツーリスト圏内を離れれば英語はあまり通じません。ツーリストの方がネパール人は英語が出来る!と感じるのも、その近辺だけを周っているからに他ありません。

これは「言葉」とは勉強したからと言って話せるものではなく、環境によって話せるものだからです。故に自分がネパール語を余り話せないのは、この環境がネパール語を必要としないから。

しかし、これから村に行って色んなことをしようと考えるのならば、ネパール語でコミュニケーションが取れることは大前提で、言葉が出来なければ村人も心を開いてくれない。これは当たり前です。

ネパール語。これが一番の自分の問題である事をこの視察で痛感しました。

ネパールの村での視察で、英語を使っていること自体 不自然である。

あえて日本語で話をしてこなかったNGO前田さんに感謝します。

そこにとても重要な意味を感じました。




ユニセフの食料備蓄庫がバルパックに行く前の町ゴルカにありました。


スタッフがここで挨拶。


バルワ村855m。ここから上り坂が始まり、バルパック村2000mまで4時間の行程です。


被災地バルパック、ラプラックは2泊3日の視察でした。

視察では医療機関、学校、村のリーダー、女性。これを中心に訪問し、状況を伺いました。

医療や学校はその村の中心的役割を担っています。

「女性」というのはポイントで、ネパールの重要人物は男性ばかりで男性社会なので、そこでは聞けない話や分からない問題点が女性達と話をする子ことで見えてきます。


バルパック村の医療施設。


カトマンズから派遣されてきた男性医療関係者が1人。

見習い中の医師がネパール各地に派遣され、数年 滞在後 移動し、また別の医師が派遣されてきます。

医師といっても薬を処方して、簡単な手当てをする程度しか出来ません。


医療施設内。

手術などは出来ないので、重い患者は5時間ほどジープで下りた町 ゴルカの病院で手当てを受けます。

日本の村にある診療所.... そんな感じでした。

薬などの医薬品は支援によって足りているとの事でした。


新聞にはバルパックの学校についての記事が掲載されていました。

ユニセフの食糧支援や他国からの援助もあり、食料や医療品、衣料についても足りている状況でした。

これから必要なものは人々が住む住居の建設、そして学校の建設です。

今回同行させて頂いた北海道発のNGO「どさんこ海外保健協力会」は小規模なNGOで、コンセプトが「他のNGOが活動していない隅々で今 必要なところに必要なものを」。

今回のバルパック村では震災で片腕を失った男性の義手の作成を検討するすること。震災で親を失った孤児への奨学金を調査検討することになりました。


学校前にソーラーパネルが並んでいますが、震災後 電線の寸断などで電気が来ていません。

その為 このソーラーパネルは携帯電話などの充電に使われています。
村にはここしか充電できるところが無い為、朝には沢山の人が並んで順番待ちをしていましたが、雨が降るなど天気が悪いとそれも出来ません。



2日目には2800mにあるラプラック村へ行きました。

事前には行く予定ではありませんでしたが、道が通れるのとバルパックよりもより支援が必要.... との情報があり向かいました。

 
ジープで途中まで行きましたが、途中から道が悪く40分ほど歩いて上りました。


2週間前には大雪が降ったラプラック村。


この時は随分 雪も解けていました。

この場所にある村....

実は以前は放牧地で空き地でしたが、山の麓の村が壊滅してその村そのものが移動してきたもの。何と麓から6時間 歩いて上がって来て、仮設の村を作り人々が住んでいました。


ラプラック村も同様にビニールやトタンの簡易住宅に人々は住んでいました。


ラプラック村の医療施設。


ここで働く看護婦?さんに前田さんが色々と話を伺っていました。

彼女は昨年の7月からこのNGOで働いていますが、以前には青年協力隊やJICAでネパール勤務した経験もあります。日本では理学療法士。その後タイの大学で1年間公衆衛生修士を修了して、楢戸医師からのお誘いもあり、昨年からこのどさんこNGOで働いています。


今回バルパックとラプラックで衣料の配布も行いました。

数は限られますが、日本の「どさんこNGO」へ寄付されたものです。


ラプラック村の学校。


学校関係者にお話を聞くことで、子供全体の数や親を亡くした子供の数、教科書や文房具が足りているのか、村の中心的コミニティとしての意見など.... 村の様子を知る事ができます。

その上でどさんこNGOが出来る事とは? 前田さん初めネパール人スタッフも日本への報告と共に、今後の方針を決めていきます。


何故かこんな所にポカラのパラグライダー会社のジープが?

Peace Himalaya Paraglodingという新しい会社ですが、仕事も無くスタッフがジープで何かの撮影?に来たようでした。


自分はパイロットなので常々 何かパラグライダーで支援できる事は無いのか?を考えて村には行きます。

ここは是非 飛びに一度行きたい場所でした。

2800mのラプラックには簡単にテイクオフできる場所もあり、ランディングできるのは2000m下のバルワ村。標高差2000mのフライト、しかもタンデムフライトが可能な場所だと感じました。

ツーリストを呼んでくることもバルパック支援のひとつです。バルパックにはホテルもあり、ネパール人にとっては知られた場所。残念なのはマナスルトレッキングのルートには入っていない点ですが、世界遺産マチュピチュを連想させる村の姿+ヒマラヤが見える村。

今は被災地として知られていますが、2泊3日ほどでツーリストを呼んでくる村に充分成り得ると感じました。

村の観光担当の方の連絡先も頂いたので、再度訪れて色々と可能性について話をします。



今回のバルパック+ラプラックは地震直下の大きな村で、多くの支援がされてきています。

今後 最も必要なのは家屋の建設で、どさんこの様な小規模なNGOで出来る事ではありません。
そこで今回 話に上がったのは周りの村へのサポートでした。

そこには小さな集落があり、山道を歩いても5時間ほど掛かるそうです。水の確保が大変で本当は色々なものが揃うバルパックに来て住みたいそうですが、お金がなくそれも出来ないようです。

男性は中東へ出稼ぎに行き、子供達はバルパックの知人や親戚の家に住み学校に通い、老人と女性が離れて村で自給自足の生活をしているようです。

次回は状況を確かめる為に、この村の訪問を考えるとの事でした。

どさんこNGOの概念に当てはまるのは、このような小さな村で支援の無いところに支援をすること... だと感じました。


この日バルパック村にユニセフの食料が届き、村人が集まりました。

下の町 ゴルカからの道中、ユニセフや他のNGOなどのジープやトラクターと何度も出会いました。

バルパックは地震直下の村として知られ、支援も行き届いている感じがしました。


村の女性に話を聞く前田さん。

昨年の7月から月に2度のペースで色々な村を視察訪問し、今回で10回目の訪問とあって村人の懐に入る術を既に身に付けていました。



今回の目的のひとつに支援を日常とするNGO、彼等の見ている景色を見てみたい!と言うのがありました。

NGO職員の前田さんと共に行動している2人のネパール人HikmatさんとYubさん。

彼等は病院経営者と大学の教授で、医療機関のプロと教育のプロ。普段は別の仕事をしています。そして、村への視察や支援の時に前田さんと合流してボランティアで活動されています。

月2度のペースで訪問し、出来る事を見つけ、次の方向性を決め、支援を続けていきます。

経験豊富でネパールの事情を良く知る彼等がアドバイスをし、職員として働いている前田さんがまとめて報告をする。しかし、活動そのものはこの3人で決めて行動しているようでした。


きっと医療関係や教育関係に携わる人の中には、目的も抽象度の高いところにある人がいて、その人たちがこのようなNGOで活動している事が分かります。

この3人の職業や経歴がそれを表しています。

全く経歴の違った自分が出来る事とは何なのか?!それは少し違うところにあると感じるし、全く同じでは意味もありません。


今シーズンは「フライト1本に付き100円の寄付」をシーズン初めに決めました。

この状況下では精々5万円ほどにしかならないかも知れませんが、昨シーズンまでとは違う景色の中での結果なので、それを今まで訪れたチョウジャリ病院か今回のバルパック近郊の村か? シーズンの終わりに何をどうやって支援するのか?も含めて決めます。



次回はバルパック村で自分が今後 出来る事とは?と、その後に訪れた村、そしてゴルカでのNGOの活動を書きます。




7年と4ヶ月 飛んできて初の体験をした。

パラグライダーではたまにある事だが、飛んでいていつもより力が掛かった瞬間にラインが切れることがある。

今日は85kgと若干重めのお客さんと飛んでいてウイングオーバーをしていたら、左のブレークラインがハンドルから10cm程上のところで「ブチッ」と切れてしまった....

このラインで操縦しているので、切れてしまうと操縦できなくなるが、それを想定してのリアライザーでのコントロールも練習するので、全く操縦できないわけではない。

リアライザーだけでランディングした記憶は.... ソロでなら練習であるけど、タンデムでは初めての経験だった。

ブチッと切れた瞬間から久しぶりにひとつ上のスイッチが入り、集中力と脳はフル回転に!

タンデムでリアライザーだけでどれだけ思ったように曲がれるのか? を体感し、同じ高さにグライダーがいないことを確認した。

一番気を付けないといけない事はランディングでのスピードコントロールや滑空比のコントロールが難しいので、最後のファイナルに入る高さと距離に集中し、リアライザーでのブレーキもどの程度効くのか? その感触に最後は集中した。

風も良かったので普通にランディング出来た。


何でこんな中途半端な場所が切れるのか? 分からないが、ラインは見た目だけでは劣化が分かりにくいし、まだこのグライダーは1年と3ヶ月で514本しか飛んでいない。今までの経験上あと200本は飛べるだろうし、空気の抜けも全く気にならない。テイクオフもトリムは絞ったままでもグライダーは上がってくる。保管状態も問題ないからラインの劣化は気にならなかった.....

その後Sunrise paraglidingでラインを交換してもらった。


ソロのテイクオフで引っかかってラインが切れた事はあったが、飛んでいては初めてだったし、ましてタンデムで操縦をするブレークラインが切れたのも初めての経験だった。


ブチッと大きな音がして切れたので、お客さんも振り返り不安そうだったが、何事も無く無事にランディングして一安心。

初の貴重な経験となりました。



インド人が経営するインド風洋菓子の古びたお店に掛かっていた壁掛け時計。

この歪んだ感じはデザインなのか?熱で溶けかけたのか?

文字盤はデザインにしては異様な感じだが、これがデザインなら素晴らしい!! ひと目で気に入りました。

ちゃんと動いていて、時刻は正確に刻んでいました。


ネパール技術協力 実行委員会の六車さんとのメールの中で、ニルマルポカリ村でのキョーワズ珈琲株式会社・福岡ネパール児童教育振興会による農業自立育成事業が2019年1月まで行われている事を知りました。

ニルマルポカリ村へは何度か行っていて、福岡市NPO法人の支援によるFUKUOKAスクールやJICAが始めた(JICAは役目を終え既に撤退)コーヒー栽培農家も訪れています。
そこには農業協同組合のオフィスもありました。

コーヒーは間もなく収穫時期を迎えるので、以前に訪れたベグナス農園も合わせて見に行きたいのですが..... ブラックマーケットでもいいのでガソリンが手に入れば、時間があるときに訪れる事にします。



独立行政法人国際協力機構(JICA)とキョーワズ珈琲株式会社及び
NPO法人福岡 ネパール児童教育振興会の連携プロジェクト
ネパール
ニルマルポカリ村コーヒー
農家自立育成計画

事業背景

キョーワズ珈琲は、NPO法人福岡 ネパール児童教育振興会を介し、「ネパール国カスキ郡ニルマルポカリ村コーヒー栽培による農業開発事業」を含め、コーヒー(ネパール ヒマラヤン アラビカ)販売を通じてニルマルポカリ村を支援してきました。村民がコーヒー栽培・収穫・精製・出荷までのプロセスを管理運営することで、村の活路を見出そうという動きがあり、この事業を提案しました。
生産技術能力・資金能力とも当村は不足しており、それらを補えるよう当事業にてサポートすることで、ニルマルポカリ村・周辺地域を含めた地域活性に至ると考察されます。




ニルマルポカリ村で
コーヒーの苗木の植付け指導


JICA九州国際センター所長のコメント


 ネパール「ヒマラヤン アラビカ」コーヒーは、キョーワズ珈琲株式会社及びNPO法人福岡・ネパール児童教育振興会と、独立行政法人国際協力機構(JICA)の連携により実施されているプロジェクト、JICA草の根技術協力事業「ニルマルポカリ村コーヒー農家自立育成計画」により、人々の生活向上を目指して支援している、ネパール連邦民主共和国カスキ郡ニルマルポカリ村で栽培・収穫されたコーヒーです。


 日本人の持つ細やかなコーヒー栽培の知識と技術を現地の人々に伝え、より質の高いコーヒーを生産し、収穫されたコーヒー豆はキョーワズ珈琲株式会社を通して日本のコーヒー愛飲家の手元に届けられます。


 この技術協力及び安定した販売ルートの確立は、ニルマルポカリ村の人々の収入・生活向上に役立ち、更に子どもたちの就学や健康において、大きく貢献することが期待されています。


 皆様に味わっていただく「ニルマルポカリ村産」1杯のコーヒーが、日本とネパールの協力の輪として広がっていきますよう、祈念しております。


独立行政法人国際協力機構(JICA)
九州国際センター 所長
勝田 幸秀


在日ネパール大使からのレター「日本のコーヒー愛好家の皆様へ」

自然の恵みを受けたネパールのコーヒー


 ネパールコーヒー栽培の歴史は浅く、悲劇の王様、ビレンドラ国王の奨めで20年ほど前にネパール西方地域にコーヒーの苗木が植栽されました。ただ、そのコーヒーの樹は観賞用として存在しただけでした。
 2001年6月、不幸な出来事により国王は逝去されましたが、王様が残したコーヒーのDNAは、今、ネパールの財産になろうとしています。
 1997年、福岡にあるNPOが起こしたニルマルポカリ村での教育支援は、学校の設立から始まりました。



 この支援は、財政的に恵まれた村ではないニルマルポカリ村を、教育に留まらず、支援に頼らず、広く村人の自立を促したもので、自らが自立し子供たちの教育資金を稼ぐことにありました。
 そして2003年、弊社も加わり村で本格的なコーヒー樹の植栽がスタート。それから6年後には、村人の努力と、福岡児童教育振興会の手厚い支援で収穫の秋を迎えるとともに、子供たちも大きく成長しました。
 コーヒーの実る季節、高度1300m の村は太陽の恵みをいっぱいに受け、夜はヒマラヤの厳しい冷気をうけるこの自然環境が、ヒマラヤンアラビカコーヒーの素晴らしいハーモニーを醸しだしています。



ニルマルポカリ村の
各コーヒー農家の調査とリスト作り

更に2014年から5年間「JICA草の根技術支援」と連携し、村の活性化に向けた支援に着手しました。
 世界の屋根、エベレストをはじめ8000mの山々を数多く擁すネパールですが、資源は乏しく豊かとは言えません。キョーワズ珈琲は、生産者が生産・生計を維持できるフエア・トレード精神に則り、「1杯のコーヒーがネパールの子供の笑顔に」を目指し、子どもたちの教育支援を続けます。


キョーワズ珈琲株式会社 京都・福岡


概要と活動内容

概要

事業対象地域:カスキ郡ニルマルポカリ村
事業期間:2014年1月 ~ 2019年1月
事業実施団体:本邦団体
       キョーワズ珈琲株式会社・NPO法人福岡 ネパール児童教育振興会
       現地団体
       Kaski District Coffee Producers Association (DCPA)
事業の目的:ニルマルポカリ村コーヒー農業協同組合を中心として生産者が自主的、
      自立的にコーヒー生産活動を行うこと
受益者層:ニルマルポカリ村のコーヒー農家 約280世帯

主な活動内容

  • ニルマルポカリ村コーヒー生産の
    現状と課題調査
  • コーヒー産地に適切な成育環境の指導
  • 効率的なコーヒー生産方法のセミナー開催
  • 各農家へのモニタリング
  • 組合オリエンテーション
  • 農民グループの形成・トレーニング
  • 各グループ代表者による準備委員会の設置

現場の様子

プロジェクトの趣旨


レッドチェリーのパルピング風景

 一般的にアラビカコーヒーは、標高800m~1800mが栽培適地と言われています。ネパールは、コーヒー栽培に適する標高(800m~1800m)に恵まれ、寒暖の差があります。その条件に沿ったカスキ郡ニルマルポカリ村は、コーヒー栽培に恵まれています。 
 ネパール国では、15年~20年前に他国の支援により幾らか植付けられたコーヒーの木が、栽培方法を知らないが為に、巨木になり低品質や収穫量の少ない物が随所に見られ、このままでは今後のコーヒー栽培の行く末を示している。
 コーヒー栽培適地のカスキ地域で、世界的に通用するコーヒー栽培を行ってほしいと思い、この提案をしました。
  コーヒーの木は一度実を着けた所は翌年は実がほとんど着かない性質があり、幹から新しい枝を作り、結実させる作業を繰り返して行かねばなりません。それ を知らないと木は実をつける為に枝が先へ先へと伸び幹から外れて栄養状況の悪い実が着き、収穫はできるものの、土地効率も悪く、高木になり過ぎ、収穫もままならない木になります。
 今後、適切にコーヒー栽培をして行くためには、この限られた土地で効率の良い換金作物にして行く必要が有ると思います。手入れ次第で、毎年元気な実をつけ収穫されると考えられます。
 今事業に於いて、組合を設立し、組織化をはかる事で、収穫・選別等の作業により、若者や女性へ賃金として労働力が還元されていく。 ついてはコーヒー生産農民が、適切な栽培方法を学び、効率の良い収穫量の確保と均一化した品質の管理をし、換金率の高いグレードのグリーンビーンズ生産迄の作業が出来る環境にしたいと思います。


キョーワズ珈琲株式会社 福岡支店
福田 光孝


整備して植え付けられたコーヒーの木
(枯れて見えるのは、太陽の強い日差しから苗を守るシェードツリー、その下に元気に苗が育っています。)

    
ニルマルポカリ村はポカラの街とアンナプルナ山系が見渡せ、ポカラの街へもバイクで40分ほど。標高1300mの尾根上にある村です。
    

昨シーズン、仏教繫がりでこの方に出会いました。

仏陀の悟りは体感ですが、言葉で表すとするのなら、彼の言っている事が一番 自分には腑に落ちます。

悟りは目的ではなく手段。悟った上で果たして何が出来るのか?!

そして、それは自然と大乗仏教の言うところの人々を救う。人々を助けることを目的としたものに、必然と繋がっていきます。

彼は仏教徒であり、縁起と空の思想で「コーチング」という手法を使って人々の心を開放し、戦争と差別の無い世界を実現する為に活動しています。

一度見ただけでは何の事か?難しいかもしれません。

彼の様な変わった人を嫌う人も多いでしょう。

しかし私には自分にとって重要なものしか見えていないスコトーマの原理は衝撃だったし、全てが同重要だからこそ全てが見え、故に宇宙全体が自分自身がハッキリ見えた仏陀。

ゲシタルト(全てが総和している状態)。それが言葉で表現できる悟りであることも。

コーチングでは「ゴール」と言いますが、それは重要な目的。抽象度の高い「ゴール」を持つ事で認識が生まれ、認識が生まれることでスコトーマが外れ、見えていなかったものが見えてきます。

沢山の抽象度の高い目的を持つ事で、沢山のスコトーマが外れ、沢山の見えていなかったものが見えてくる。

スコトーマで見えていなかったのものをが見えてくること。それが多ければ多いほど悟りの境地の近付き、人々の役に立つ事に繫がっていきます。











ポカラは数日 天気が悪く、今 小雨もぱらついています。

今やっている事(日本語学校)も、まだまだ中途半端で、生活全体に何かが足らない… そんな感覚です。

それは何処に住むとか、何をするかではなく、チョウジャリへも行き、バルパックへも行き、医療の現場やNGOの支援の現場にも行きましたが、自分の中にある何かが足らない感じです。

人生は決して楽しいものではありませんが、その何かが自分の中の未来への重要なものである事は確かなようです。

自分が目的としている事があって、それに現状が付いて来ていない.... その違和感を日々感じる毎日です。

そして、自分の中にあるはずの源。そのパワーが出ていない感じです。


絶対に必要なもの、それは高いエフカシー(自己能力の自己評価)。

それが低くなるとパワーは出ません。

その何かは「何」ではなくエフカシー。

自己評価をどんどん上げて生きていく事。その為に目的を高く高く高く設定していく事。


今、エフカシーが下がりつつあった事に書いていて気付きました!



ひとつの正しい基準は絶対に存在しない!!相対的に物事を見てはいけない。

仏教で言う「唯識論」。この世界はあなたの心が生み出している。

今シーズンのテーマである「心」の在り方。

バルパック村の震災前(上)と現在(下)。

上空からもハッキリと分かるのは、屋根が石瓦からトタンやビニールに変わっている点です。

村の雰囲気が上空からも違うのが分かります。




震災後




現在のバルパック村

石の家は倒壊し、村は簡易なトタンとビニールの家。全く違う雰囲気に変わっています。



ビニールの家

トタンのお店


2週間ほど前には雪になりましたが(上)、私達が訪れた時には雪にはならず雨が降りました(下)。

後ろにはバウダ ヒマール6670mがあり、そちらは雪景色になりました。



震災から9ヶ月。地震直下の村ということもあり、多くの支援が行き届いていて、現在では食料や医薬品は足りています。

村人にとって必要なもの、それはRebilding。住居の建設でした。


次回はバルパック村、そして更に上ったラプラック村での今回のNGO(どさんこ海外保健協力会)http://blogs.yahoo.co.jp/dosanko_community_healthの活動の模様、そして感じた事をを書きます。
(写真:khunaspix / PIXTA)
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E5%BF%83%E3%81%8C%E5%BC%B7%E3%81%84%E4%BA%BA%E3%81%8C%E6%8C%81%E3%81%A4%EF%BD%A2%E4%BB%96%E4%BA%BA%E3%81%AB%E5%8F%8D%E5%BF%9C%E3%81%97%E3%81%AA%E3%81%84%EF%BD%A3%E6%8A%80%E8%A1%93-%E3%82%82%E3%81%86%EF%BD%A4%E3%83%A0%E3%83%80%E3%81%AB%E5%8F%8D%E5%BF%9C%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%82%84%E3%82%81%E3%81%AA%E3%81%95%E3%81%84/ar-BBlF6T1#page=2

「他人に反応しない」は今 私に最も必要な真理であり、その上で「人の心の痛み」を自分の事として感じられる人間になる事。

反応する必要のない事に反応し、反応しなければいけない事に反応できない。

人としての徳、「心」の在り方に気付かなければいけない。
今回のバルパックをまとめる前に、前回のチョウジャリ村への道中で訪れたネパールガンジについて書いておきます。。

ネパールガンジは南西ネパール最大の都市ですが、33歳のとき仕事を辞めインドを放浪してネパールに入ったとき、気になったのがネパールガンジでした。

多分「ネパールガンジ」この名前に心惹かれたのだと思いますが、結局ネパールガンジではなくポカラを選び、その選択が自分をネパールに導くことになりました。

あの時ネパールガンジに寄っていたのなら、帰国の日程的にそのままカトマンズに行ったので、そのままそれが最後のネパール訪問になっていたかもしれない..... そしたら、自分は今頃 日本で何をしているのか?

人生を変えたくてインドへ行った、目的があった旅でした。実際あれから人生が変わりました。

あれから11年、初めて訪れたネパールガンジ。


ネパールガンジ。インドとの国境ゲートが後ろに見えます。

今はインドの制裁でガソリンやガスがネパールに入ってきませんが、隠して持ち込まれないようにこの検問所で警官が荷物のチェックをしていました。

逆にこの対向車側、ネパールからインドへのチェックは全くありませんでした。

インド人、ネパール人は国境を自由に行き交う事ができます。


チョウジャリからポカラまで27時間.... その間には2度の足止めがありました。

山道で前のバスが故障し道を塞がれてしまい、結局 男性陣皆で前の止まっているバスを押して横に移動させましたが、バスとバスの間は5cmほど。

ネパールのバスの運転手は、この隙間を器用にすり抜けて行きます。


ネパールガンジの庶民の足はリキシャーです。
リキシャーも人力、オート、馬、ロバ.... 色々な種類があります。

この馬やロバのリキシャーはタライ平原にしかなく、ポカラにはリキシャーそのものがありません。

何故か? それはポカラには坂が多少あるから。

タライは緩やかな傾斜すらほとんど無く、故にタクシーよりも安くガソリンも必要の無いリキシャーが人々の足となっています。

ここネパールガンジもバスは走っていますが、タクシーは1台もありません。


そして今まで訪れた街の中で最も砂埃の多い、空気が黄色い街でした。

自分がここにいたら、数日で気管支をやられそうです.....


ネパールガンジの中心街。
< バルパック村 >

目的① NGOの方の活動とはどの様なものなのか? それを知る。

目的② コーヒーを被災者、村人に飲んでもらう。

目的③ バルパック村で自分が出来る事とは何なのか? 思考する。

目的④ パラグライダー支援の在り方をバルパックを通して思考する。

目的⑤ 被災者の方々、村人と積極的に会話して現実と心の内を探る。

目的⑥ NGOで支援を続ける方々の見えている景色を見てみたい。

目的⑦ 支援の在り方、ボランティアの在り方を考える。



今回はこの7つの目的を持ってバルパックへ行きました。



今日はバルパックへ行く前に寄った、最古の都バクタプルについて書きます。


バクタプルは17年ぶり2度目でしたが、一言 バクタプルに恋しました!

17年前は全く感じなかった感情ですが、住むのならこんな街に住んでみたい.... そんな想いです。


バクタプルはネパール最古の王朝の都であり、カトマンズから車で東に向かい30分ほどの所にあります。

カトマンズの南にはパタンがあり、都がバクタプルから移行した場所で街の雰囲気も同じですが、パタンとバクタプルの違いは中心を離れても街の感じが変わらないバクタプルと、近代的な大都会が直ぐ近くにあるパタン.... 

ツーリストエリアの味気ない似たり寄ったりなレイクサイドに住んでいると、この唯一無二な街の雰囲気には魅力を感じます。


地震によって幾つかの建物は倒壊しましたが、それでも尚 多くの世界遺産が残されています。


この街に住む人々の95%がネワール民族。そして、これ全てがネワール建築。

ネワール人はアーリアン系とモンゴリアン系の中間の様な顔立ちで、約半数が仏教徒です。

ネパールの約6%がネワール族で主にカトマンズ近郊に住んでいます。




ネワール族から選ばれる生き神 クマリ。


バクタプルも陶器作りは盛んです。



ネワール建築は素晴らしく、唯一無二の世界に誇れる建物です。

ネワール族が多く住む町は趣があり、ポカラのヒマラヤと湖とは違う魅力があります。

多くの観光客がカトマンズを敬遠するのは、それはタメルという観光エリアを敬遠しているのであって、そこを数キロ離れれば全く雰囲気は変わります。

もし今後 自分のやりたい事が首都カトマンズが拠点になるのであれば、住むのは通えるバクタプル。そして、ネワール建築の中で飲むコーヒー。ここでコーヒー文化を広げられたのなら.....

やはり似たり寄ったりではない、唯一無二のものには心惹かれます。

原始仏教の施設もあり、今度 時間を作ってバクタプルに滞在しようと考えています。


今までのようにポカラに常にいるのではなく、どんどん必要な場所へ出掛ける時間を作っていきます。



インドによる制裁でガソリンが不足して早や4ヶ月、最近では週一でガソリンが入ってくるようにはなりました。

バイクへの供給は毎週土曜日で、ガソリン5ℓを買う為にほとんどのネパール人は6~8時間 並んで買っています。(1度に5ℓのみ)

バイクは燃費が車よりもいいので、1ℓで30~40km走り、5ℓあれば1週間 何とかなります。

それでまた土曜日に6~8時間並び、次の週の足を何とか確保する.... それの繰り返しです。

ネパールでは毎週土曜日が休日です。休日はガソリンを買う為に1日中 並んで待つ.... が休日の過ごし方となっています。


私は政府とネパールで働いている外国人専用のガソリンスタンドがあり、ほとんど並ぶことなく5ℓ買えるか、又は夕方遅くなれば無くなっている.... で今まで50/50の確立でした。

今日はちょっと待つように指示されて、2時間半 待って5ℓ買うことが出来ました。(スタンドで買えば正規の値段1ℓ110円くらいですが、闇市で買う事が出来れば今は少し値下がりして1ℓ300円くらいです)


バイクを買った途端にガソリンが不足し、未だにバイクで遠出 出来ないでいます。

折角 行動範囲を広げ、色々な所へ出掛ける為にバイクを買ったのに......

アスタムのホームステイも頓挫してしまいました。


ガソリンがなくなったら、一体どのようになるのか?

これもネパールだからこそ体験でき、ネパールだからこそ少し混乱しても社会は何とかなっています。



ここにきて、色々と思うことあって飛んでいます。

来シーズンがサランコットで仕事をする、ここでお客さんと飛ぶ最後のシーズンになるかも知れない.....

ここが居心地良かったのは過去の話で、自分に見えてくる景色が変わっていく中で、きっと進化成長する中で、この環境や周りで働く人々との景色の違いが、以前は楽しかったものが今では違和感を感じるようになっている.....

もっと上を見て、もっと遣り甲斐のある環境で、同じ景色が見えている人達と時間を共にして生きていきたい! そう感じるようになってきました。

これは自分が成長していく中で現れる居心地の悪さであり、もっと遣り甲斐のある環境、別にもっとやらなければいけない事がある。その現われだと感じています。


今シーズンもまだ4ヶ月ほど残っていますが、絶えず変化していく中で、重要なものが変わっていく中で、来シーズンには決断をする事になりそうです。
ポカラに戻って来ました。

先ずこの視察で感じたこと、学んだことは「人の心の痛み」を自分の事のように感じられる人。

人の痛みを感じられる人になる..... その「心」です。

それは難しいことですが、その景色が見えている人は自分がどのようにして存在しているのか?を知っている人です。

「心の痛み」

それを自分の事のように感じられる人になりたい。

それは正に仏陀の見ていた景色。

そこに「心」が存在します。


バルパック村。ユニセフから支給された救援物資を取りに集まる村人達。

後ろに見える家はトタンやビニールシートで出来た簡易なものが多く、村人にとって一番必要なものは家の建設でした。
  
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プロフィール
HN:
kazu
年齢:
53
性別:
男性
誕生日:
1971/09/08
職業:
パラグライダー
趣味:
たそがれ、物想い、静寂、心穏やか、不安、楽しむ
自己紹介:
Kazu
Japan spirits and pride
Professional tandem / Adventure pilot

世界最高峰のヒマラヤ、神の国ネパールで生きていく為に始めた空飛ぶ道具パラグライダーでコマーシャルタンデムをやっています。夢は神の山マチャプチュレへの冒険フライトに挑戦すること。
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