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その人が何処から来たかなど、どうでもいいではないか。 どんな地位にあるか、どんな功績があったのか、どんな血筋を引いているのか、など全くどうでもいいではないか。 ただ、その人の行いを見よ。 今ここに於いて、何をするのかを見よ。 行いが正しく、羞恥があり、身と心を慎んでいるのであれば、その人は生まれがどうあれ、今から高貴な人ではないか。

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2016/01/30 (Sat)
バルパック村とラプラック村 視察まとめ。
先ずこの視察で痛感した事があります。それは「ネパール語」。

初日の段階でかなり疲れたのも、100%ネパール語だけでのコミュニケーション。日本のスタッフも仕事で来ているので、100%ネパール語での会話です。(気を使って日本語で話しかけてはこない)彼女は大学でもネパール語を専攻していて、何の不自由なくネパール語でコミュニケーションしていきます。

この1日で約10年間ネパールで聞いたネパール語、それ以上のネパール語を聞きました。

自分の日常は95%英語、5%ネパール語.... そんな割合なので、ネパール語は「旅先の英会話レベル」程度の限られた言葉しか使えない。

そしてポカラに戻って来て感じた事は「コミュニケーションが楽だな....。英語で楽して生活してきたんだな....」それを痛切に感じました。


村に行けば何処も英語は全く通じません。村に限らず町でもカトマンズ、ポカラなどのツーリスト圏内を離れれば英語はあまり通じません。ツーリストの方がネパール人は英語が出来る!と感じるのも、その近辺だけを周っているからに他ありません。

これは「言葉」とは勉強したからと言って話せるものではなく、環境によって話せるものだからです。故に自分がネパール語を余り話せないのは、この環境がネパール語を必要としないから。

しかし、これから村に行って色んなことをしようと考えるのならば、ネパール語でコミュニケーションが取れることは大前提で、言葉が出来なければ村人も心を開いてくれない。これは当たり前です。

ネパール語。これが一番の自分の問題である事をこの視察で痛感しました。

ネパールの村での視察で、英語を使っていること自体 不自然である。

あえて日本語で話をしてこなかったNGO前田さんに感謝します。

そこにとても重要な意味を感じました。




ユニセフの食料備蓄庫がバルパックに行く前の町ゴルカにありました。


スタッフがここで挨拶。


バルワ村855m。ここから上り坂が始まり、バルパック村2000mまで4時間の行程です。


被災地バルパック、ラプラックは2泊3日の視察でした。

視察では医療機関、学校、村のリーダー、女性。これを中心に訪問し、状況を伺いました。

医療や学校はその村の中心的役割を担っています。

「女性」というのはポイントで、ネパールの重要人物は男性ばかりで男性社会なので、そこでは聞けない話や分からない問題点が女性達と話をする子ことで見えてきます。


バルパック村の医療施設。


カトマンズから派遣されてきた男性医療関係者が1人。

見習い中の医師がネパール各地に派遣され、数年 滞在後 移動し、また別の医師が派遣されてきます。

医師といっても薬を処方して、簡単な手当てをする程度しか出来ません。


医療施設内。

手術などは出来ないので、重い患者は5時間ほどジープで下りた町 ゴルカの病院で手当てを受けます。

日本の村にある診療所.... そんな感じでした。

薬などの医薬品は支援によって足りているとの事でした。


新聞にはバルパックの学校についての記事が掲載されていました。

ユニセフの食糧支援や他国からの援助もあり、食料や医療品、衣料についても足りている状況でした。

これから必要なものは人々が住む住居の建設、そして学校の建設です。

今回同行させて頂いた北海道発のNGO「どさんこ海外保健協力会」は小規模なNGOで、コンセプトが「他のNGOが活動していない隅々で今 必要なところに必要なものを」。

今回のバルパック村では震災で片腕を失った男性の義手の作成を検討するすること。震災で親を失った孤児への奨学金を調査検討することになりました。


学校前にソーラーパネルが並んでいますが、震災後 電線の寸断などで電気が来ていません。

その為 このソーラーパネルは携帯電話などの充電に使われています。
村にはここしか充電できるところが無い為、朝には沢山の人が並んで順番待ちをしていましたが、雨が降るなど天気が悪いとそれも出来ません。



2日目には2800mにあるラプラック村へ行きました。

事前には行く予定ではありませんでしたが、道が通れるのとバルパックよりもより支援が必要.... との情報があり向かいました。

 
ジープで途中まで行きましたが、途中から道が悪く40分ほど歩いて上りました。


2週間前には大雪が降ったラプラック村。


この時は随分 雪も解けていました。

この場所にある村....

実は以前は放牧地で空き地でしたが、山の麓の村が壊滅してその村そのものが移動してきたもの。何と麓から6時間 歩いて上がって来て、仮設の村を作り人々が住んでいました。


ラプラック村も同様にビニールやトタンの簡易住宅に人々は住んでいました。


ラプラック村の医療施設。


ここで働く看護婦?さんに前田さんが色々と話を伺っていました。

彼女は昨年の7月からこのNGOで働いていますが、以前には青年協力隊やJICAでネパール勤務した経験もあります。日本では理学療法士。その後タイの大学で1年間公衆衛生修士を修了して、楢戸医師からのお誘いもあり、昨年からこのどさんこNGOで働いています。


今回バルパックとラプラックで衣料の配布も行いました。

数は限られますが、日本の「どさんこNGO」へ寄付されたものです。


ラプラック村の学校。


学校関係者にお話を聞くことで、子供全体の数や親を亡くした子供の数、教科書や文房具が足りているのか、村の中心的コミニティとしての意見など.... 村の様子を知る事ができます。

その上でどさんこNGOが出来る事とは? 前田さん初めネパール人スタッフも日本への報告と共に、今後の方針を決めていきます。


何故かこんな所にポカラのパラグライダー会社のジープが?

Peace Himalaya Paraglodingという新しい会社ですが、仕事も無くスタッフがジープで何かの撮影?に来たようでした。


自分はパイロットなので常々 何かパラグライダーで支援できる事は無いのか?を考えて村には行きます。

ここは是非 飛びに一度行きたい場所でした。

2800mのラプラックには簡単にテイクオフできる場所もあり、ランディングできるのは2000m下のバルワ村。標高差2000mのフライト、しかもタンデムフライトが可能な場所だと感じました。

ツーリストを呼んでくることもバルパック支援のひとつです。バルパックにはホテルもあり、ネパール人にとっては知られた場所。残念なのはマナスルトレッキングのルートには入っていない点ですが、世界遺産マチュピチュを連想させる村の姿+ヒマラヤが見える村。

今は被災地として知られていますが、2泊3日ほどでツーリストを呼んでくる村に充分成り得ると感じました。

村の観光担当の方の連絡先も頂いたので、再度訪れて色々と可能性について話をします。



今回のバルパック+ラプラックは地震直下の大きな村で、多くの支援がされてきています。

今後 最も必要なのは家屋の建設で、どさんこの様な小規模なNGOで出来る事ではありません。
そこで今回 話に上がったのは周りの村へのサポートでした。

そこには小さな集落があり、山道を歩いても5時間ほど掛かるそうです。水の確保が大変で本当は色々なものが揃うバルパックに来て住みたいそうですが、お金がなくそれも出来ないようです。

男性は中東へ出稼ぎに行き、子供達はバルパックの知人や親戚の家に住み学校に通い、老人と女性が離れて村で自給自足の生活をしているようです。

次回は状況を確かめる為に、この村の訪問を考えるとの事でした。

どさんこNGOの概念に当てはまるのは、このような小さな村で支援の無いところに支援をすること... だと感じました。


この日バルパック村にユニセフの食料が届き、村人が集まりました。

下の町 ゴルカからの道中、ユニセフや他のNGOなどのジープやトラクターと何度も出会いました。

バルパックは地震直下の村として知られ、支援も行き届いている感じがしました。


村の女性に話を聞く前田さん。

昨年の7月から月に2度のペースで色々な村を視察訪問し、今回で10回目の訪問とあって村人の懐に入る術を既に身に付けていました。



今回の目的のひとつに支援を日常とするNGO、彼等の見ている景色を見てみたい!と言うのがありました。

NGO職員の前田さんと共に行動している2人のネパール人HikmatさんとYubさん。

彼等は病院経営者と大学の教授で、医療機関のプロと教育のプロ。普段は別の仕事をしています。そして、村への視察や支援の時に前田さんと合流してボランティアで活動されています。

月2度のペースで訪問し、出来る事を見つけ、次の方向性を決め、支援を続けていきます。

経験豊富でネパールの事情を良く知る彼等がアドバイスをし、職員として働いている前田さんがまとめて報告をする。しかし、活動そのものはこの3人で決めて行動しているようでした。


きっと医療関係や教育関係に携わる人の中には、目的も抽象度の高いところにある人がいて、その人たちがこのようなNGOで活動している事が分かります。

この3人の職業や経歴がそれを表しています。

全く経歴の違った自分が出来る事とは何なのか?!それは少し違うところにあると感じるし、全く同じでは意味もありません。


今シーズンは「フライト1本に付き100円の寄付」をシーズン初めに決めました。

この状況下では精々5万円ほどにしかならないかも知れませんが、昨シーズンまでとは違う景色の中での結果なので、それを今まで訪れたチョウジャリ病院か今回のバルパック近郊の村か? シーズンの終わりに何をどうやって支援するのか?も含めて決めます。



次回はバルパック村で自分が今後 出来る事とは?と、その後に訪れた村、そしてゴルカでのNGOの活動を書きます。


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プロフィール
HN:
kazu
年齢:
53
性別:
男性
誕生日:
1971/09/08
職業:
パラグライダー
趣味:
たそがれ、物想い、静寂、心穏やか、不安、楽しむ
自己紹介:
Kazu
Japan spirits and pride
Professional tandem / Adventure pilot

世界最高峰のヒマラヤ、神の国ネパールで生きていく為に始めた空飛ぶ道具パラグライダーでコマーシャルタンデムをやっています。夢は神の山マチャプチュレへの冒険フライトに挑戦すること。
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