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その人が何処から来たかなど、どうでもいいではないか。 どんな地位にあるか、どんな功績があったのか、どんな血筋を引いているのか、など全くどうでもいいではないか。 ただ、その人の行いを見よ。 今ここに於いて、何をするのかを見よ。 行いが正しく、羞恥があり、身と心を慎んでいるのであれば、その人は生まれがどうあれ、今から高貴な人ではないか。

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ネパールにいて一番 「日本がいいな.... 」と思うこと、それは魚です。
日本は島国。美味し魚が食べられる世界有数の国。
「寿司」という世界に誇れる食文化が、それを象徴しています。
ネパールの魚は淡水魚で、カトマンズで食べられる魚はどぶ臭く、香辛料で味を消さないと食べられない.....
これが普通ならばこれが魚で問題ないですが、日本で美味し魚を知っている者にとってはこれは別の魚。
日本食レストランに行けば、インドやタイから輸入された魚が食べられ、寿司も食べられます。しかし、日本の倍の値段でクオリティは回転寿司よりも遥かに下....  色々な面で仕方がないないですが。
ネパールにもう14年住んでいて、そこだけが残念。
でも、それ以外は何の不満? もなく、大好きな国。
飛行機(国内線)はよく堕ちるし、街を歩いても今日が平日なのか?祝日なのか?わからないくらい毎日が緩い。
日本の討論番組やワイドショーを見ても、何でそんな事でもめているの?! 細かすぎる。
ネパールにアジャストしている自分が果たして、5年ぶりの日本で何を感じるのだろうか?
妻も息子も寿司(生食文化がない)が食べられないから、何でも流れて来る回転寿司は素晴らしい !!  東京に着いたら先ずはそこへ。
そこから日本滞在を始めよう。


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あと1週間で5年ぶりの日本へ。
あの時 あなたは生後7ヶ月でしたね。
全く記憶にないであろう異国の地で、日本人であるあなたは何を感じるのでしょう?
今はネパールしか知らないから、ずっとここがいい! と言っていますね。
しかし初めて経験する異国の地は、あなたのふるさとです。
あなたが大きくなった時、ネパールを離れる日が来ることでしょう....
その日の為にも
この滞在で日本人であるあなたが、日本という異国の地をどのように感じるのか?
私はその案内役。
日本は暑いので、熱中症には十分気をつけて。
5年ぶりのふるさとへ。
カトマンズ近郊の村へ移住すると決めて1年....
やはり、カトマンズに出来る日本山妙法寺の存在が大きかったのも、ポカラ日本山妙法寺の麓で過ごした4年間があったから。

2024年元旦、カトマンズ日本山妙法寺での瞑想で今後の在り方が見えたのもあり、もうその時にはこの麓の村と決めていました。

それから3回 村に出向き、村人たちと話す中で3件 借家を勧めて頂き、この家に決めました。

正直 ここならばどの家でも良かった。 
この家も特に理想としたものではないけれど、何処でも順応する事に焦点を当てて。

ただ変わり続ける事が必要なので、今のお店の二階に住み、4年間見慣れた場所を離れたいだけ。

そういう性分なので。

今日 再度気付いた事、それは自分は人生で一度も就職した経験がない事。
何故ネパールにいるのか?それは就職という選択肢が一切ない環境だから? 

自然とそれを選んでいるのかもしれない。

☆パソコンで見ると画角がズレているのに気が付きました。
携帯で日記を書いているので、携帯で見て下さい。


バトケパティ地域の白い点の場所に借家がある。

この家に住んでいた方が隣に家を建てたので、ここが空き家になり借りることに。1階が住みかで2階を焙煎場に。
2階だけ新しい家と同じ色に塗られていたが、1階は前のまま。

1階はこの色のままがいい。
 この村はキルティプル街の北に位置していて、お店までバイクや車で30分弱。

赤い点の所に建設中の日本山妙法寺があり、標高差300m程を歩いて家から20分くらいで行ける。

家から歩いて10分程下った所にバス亭と小さなバザールがある。
本当に日本へ行けるのか!眠れなかった3日間....

ネパールは土地バブルが弾け、小さな銀行は破綻し、大河のために貯めていたお金(10万程だが)が返って来ることはもうない。

それよりも昔からの知人に投資していた150万が焦げ付きかけ、彼が持っていた日本円60万円と3人分の飛行機代40万円を自分のお金から出してもらう事になったのだが、音信不通3日間からようやく昨日 飛行機チケットを送ってもらった。

これで晴れて日本へ行ける。

信頼出来る人なので150万返して貰える事は分かっていたが、彼が10人程に貸しているお金が倒産等で回収出来ない状況で、その事は2ヶ月前に直接話して知っていた。

今後は彼が持っている土地を売って、残りのお金を返してもらう事になっている。

彼が日本円で60万円を持っていたので、自分も今回の滞在分を両替する必要がなく良かった。

飛行機チケットがやっとで届いて、気持ちが本当に楽になった。

その後 移住する村へ行き、正式にこちらの家を借りる運びとなり、来年の2月又は3月から住まわせてもらう事になった。

1階が3部屋あり、キッチン、居間、寝室に。
2階は焙煎所、製作所。トイレ、バスル-ム。
そして屋上と小さな庭がある。
家賃も想定内で、今の住居よりも25%程安い。

日本へ行ける事も決まり、村での移住先も決まった。
日本への帰国が7月30日に決まりました。42日間滞在して9月11日にネパールに戻ります。

日本滞在は個人的には、自分のお店をリニューアルさせる為に日本のコーヒー文化を見て学ぶ事。

大河は滞在中に少しでも日本語に興味を持って話せたなら。

サルミラはネパール料理を作って日本の家族に食べさせたい、家の畑作業を手伝いたいと言っていた。

5年ぶりの日本に正直、私自身 慣れるまで時間が掛かりそうです。
頭で考えないと「こんにちわ」ではなく、「ナマステ」と挨拶しちゃうだろうし、周りのスピードにも付いていけないだろうし。

1ヶ月半後にネパールに戻った時には逆の事になりそうですが、ここが住みか。直ぐにアジャスト出来る。

実はビザ取得後 サルミラと大河はポカラに行っていて、ここ数日の雨で道が崩落で通行できずにいます。

毎年の事なので想定内ですが、日本に行く前にやっておきたい事もあり、何とか今週中には帰って来て欲しいところです。

  モンスーン。ネパールは雨。

6年後、もしポカラに戻るとしたなら.....
ここアスタムコットがいい。標高1200m程からは8000m夆が。コーヒー栽培も盛んな村。

先日から降り続く雨で気温が下がり、暑さは全く感じないカトマンズ。
今日も朝から降る雨が一旦上がったが、夕方前から100パ-セントの予報。
カフェは大変だろうな.... 天気に左右されるだろうから。
うちは天気や災害等は関係なく、☔️ならば本業の豆売りだけでいい。
どれだけお店に人が座っているのか?は関係がない。
どんなに沢山座っていても豆が売れなければ成り立たず、逆にお客さんが店にいなくても豆が売れれば成り立たつ。
ポカラのお店は完全フロー型で一見さん。目の前を人が常に流れていないと成り立たないお店だった。
今は完全ストック型で、私の焼いたコーヒーのファンの方が私のお客さんなので、急がず焦らず落ち付いてやっていける。
雨が心地良い。
お店をカトマンズに移転して3年と8ヶ月。
売上という数字だけなら、この間で差ほど変わらない。
2年間頑張ってお客さんを増やし、その後 早朝焙煎に変えてからは基本お店には立たず特に集客に力を入れてこなかった。
頑張った2年間でここに住む外国人のお客さんが売上の8割を占めるようになり、今 その人達は任期を終えここにはいない。
ただ、売上がほとんど変わらないのはネパール人のお客さんが増え、逆に彼等が8割を占める様になったから。
売上が正義。どれだけ売上が上がるか?!を追いかけるのならば、外国人は重要で沢山 外国人が住む地域だし、彼等はお金持っている。だからブリティッシュ スクールの前に皆 お店を出したりするのでしょ!!
でも、自分はブリティッシュ スクールのオファー断ったので。
私には明確な目的、基準がある。
ネパールでのお家コーヒーの普及を10年間続けられる形でやる事。
8割のお客さんがネパール人になり、それでも以前と変わらない売上があると言う事は確実に前進している証。
売上が変わららなくても、その内容は違う。
これからはより短時間でより集中したやり方に変えていくので、今のままではやっていけない。
さあどうする!! その答えが新たなお店の形。

サルミラの日本滞在ビザが無事に下りて、今大河とポカラへ行っている。
本当に久しぶりに日中お店でネパール人にコーヒーを淹れて、毎日 飲みに来てくれる常連さんに触れて.....  果たしベストな在り方とは? 今でも考え続けている。
決断。
あとはやるだけ。
常に変化しながら。



馬鹿をやりたくなる時が昔からあり、アンナプルナの裏側にあるフムデ空港に飛んで降りた事もあった。
一人アンナプルナ5000m付近でビバ-クした時も、その状況に武者震いしたのを覚えている。
歳と共に手段は変わっていくけれど、間もなく53歳にはなる今 またそれをやりたくなってしまった。コーヒーマンとしてのそれを。
中途半端ではなくて、おもいっきり変えたくて。
コーヒー屋なのにコーヒーが飲めないお店って、普通 怖くて出来ない。
お家で飲むコーヒー豆を買うならあそこ!!と500m圏内の人に認識してもらう為に一点集中絞りたい。お客さんも含めて。
毎日 一定人数 飲む為だけに来る人がいる。
それを敢えて捨てて豆売りだけに集中する決断は武者震いするし、やっぱり怖い。
それをずっと考えても挑戦するだろう自分....
Nepal home coffee culture 
お家コーヒーの文化を広げる為にやっているので。
今 自分にしか出来ない事だけをやっていく。
いつか真似され同じ様なお店が出来ることが、お家コーヒーの文化に必ず繋がっていくから。
強いては焙煎師という新たな職も造り出す事にもなる。
「自家焙煎コーヒーの豆売り」
それは、お家でコーヒーを淹れて飲む為のお店そのものだから。
一年前から今回の帰国に辺り大河のパスポート更新に始まり、サルミラの日本滞在ビザが常に頭にあった。

やっとあとはサルミラの日本滞在ビザの連絡を待つだけになったと思ったら、今度はサルミラの体調が優れず、果たして1カ月半で良くなるのか?

一人身の時には毎年 里帰りしていた日本も、気が付けば前回の帰国から5年の歳月が経ってしまった....

今回の帰国はお店にとっても切り替えのチャンスにあたり、日本ではお手本にしたいお店の視察も目的のひとつになっている。

それまでは売り上げは二の次で、暫く閉めることになるので新たなお客は必要なく、以前からのお客さんに情報発信をし、お店が閉まっている間の分のコーヒーを買って頂く。
そして新たなお店の形を説明、伝えていく事に注力していくことになる。

とにかく、無事に家族3人で日本へ行ける事を祈って。

「圧倒的な違い」を日本の珈琲店 文化を持って表現出来たなら。
何処もかしこも皆 一緒だから.... コーヒーはアートなのに、店に個性が無さすぎる。
 外国人である自分がやるべき事、それは新しい文化を紹介 広める事。
キルティプルに移住したら、そこに焙煎場を作って焙煎する気でした。
しかし、今のお店でも即興オーダー焙煎をする気に変わりました。
これで生きているので。もう数万回。
15分から20分 お時間を頂くので、それが可能なお客さんが対象です。村での焙煎は直ぐに買って頂くお客さんへ。お店での焙煎はフリーコーヒーを待つ間 楽しんで頂きながら、五感でコーヒーを感じていただけたら。
カトマンズに来てから封印していた焙煎ライブ。
これを見て新たな焙煎アーティストがネパールでも生まれたなら。
真似され、文化になっていく。
簡単には本物にはなれないけれど、今後同じようなお店が出てくる事を願って。
今日は予約していたサルミラの日本ビザ申請に行きましたが....

昨夜 サルミラが突然に胸から背中への痛みを訴え、呼吸困難になり、手が痺れ力が入らない状態に.....

心臓発作等 心臓病が一番 心配だったので、迷わずに救急で病院へ。

血液 血圧 MRA X RAY 心レンズ全ての検査を受けましたが異常はなく、診断結果はガストリック 胃潰瘍。

ガストリックはネパール人に本当に多く、病院に行かずに死に至る人もいます。

原因は油 塩分 スパイスの過剰接種と運動不足。

昨夜も油まみれのビリヤーニに塩分を感じないと塩をかけて食べていました。

ネパールでは生野菜を食べる習慣がほとんどなく、タルカリと言えば香辛料と油で炒め煮込んだ野菜カレーと塩分たっぷりの豆ス-プを白ご飯にかけ、アチャ-ルというこれまた塩分が高い漬物を添えて食べます。

一日二食。寝る直前に食べる夕食。

サルミラの家族でも、弟が以前に何日もガストリックで入院したことも。

今日はサルミラの体調を見て、一緒にビザの申請に行けそうだったので行きました。
お店は夜遅くに戻ったので朝に焙煎出来ず、無理して開ける必要もないので一日 お休みしました。

ネパールに住んで早14年近く。何の不満もありませんが、唯一 食事。 日本の食事。
やはり日本には遠く及ばない食生活。

自炊すれば日本の食材は周りにあるので。
ただサルミラには合わないし、仕事もあり自炊を頻繁には出来ない。

毎週 何日か日本食を自分が作る。

行き着くところは「たっぷりある時間」が持てる生き方が如何に出来るのか!
そうしたら日本食を作る時間だって持てる。

たどり着いたのは、たっぷりある時間と心身の健康が全てだということ。


結婚当初は痩せていたサルミラと私。

今では.....   一にもニにも健康が全て。
カトマンズにある日本補習校に毎週 土曜日に通って1年と2カ月。
今現在、大河はほとんど日本語が話せません。

言葉は最も環境と共存するので、誰でもその環境に住めば話せる様になります。何歳でも。
だから、日本に住む日本語を話す外国人も小さい頃から日本語を勉強したわけではなく、成人になって勉強よりも日本に住んで日本語を話せる様になっているはず。

ただ小さい頃から学校で勉強するためには、そこが日本語の環境ではなくても日本語が分からなくては授業に付いていけず、日本と同じ教科書で日本と同じレベルの授業を受ける事は子供にとって苦痛でしかありません。

でも大丈夫!! 何の心配もしていません。

何故 日本人の父親である私が日本語を普段から使って慣れさせないのですか?

もう日本語とはほぼ無縁の生活を10年以上送った結果、日本人とは普通に日本語で会話できますが、息子や妻に日本語で話す事が出来ず、日本語が出て来ない。考えないと日本語が出てこず、それも片言の変な日本語しか。

もう一人 少しでも日本語が話せる人が側いて、その中でなら普通に話せ、それを聞かせられるのならばいいけれど、今はブツブツと一人言を会話にならない中で自分が言っている環境。

大河の持っているスパイダーマンの人形を日本人にして、先ずは人形と日本語で会話し続ける。その中に大河が割り込んできた時は感心、又は変な奴と感心を寄せてきた時なので、大河ともその流れで話してみる.....

ネパール移住者も大概は両親のどちらも、又は家族が多少なりとも日本語が話せる環境がほとんど。 日本に住んでいたネパール人と結婚している人が大多数。

私の様な環境で子供が補習校に通っている人はまずいないので、これは大河ではなく自分の挑戦。

必ず大河は日本語を話せる様になります!
彼なら出来る。

私にはパニック障害があり、閉場恐怖症です。
昨日タクシーに乗ると運悪く事故車で、屋根が20cm程低く中で剥き出しのパイプで溶接、固定されていました。
こんなタクシー初めて....
その20cm狭い空間に5分で手が痺れ、窓もその分小さく、呼吸困難になり、その空間を認識しないように横になって目をつむり、後部座席で何とか耐えて30分弱。
日本大使館に到着後も痺れ呼吸困難を回復するまで外で休んでました。
とにかく狭くて空間がない場所がダメで、それは部屋の中でも同じて人数が多く空間のない場所には居られません。
乗り物テンプ-なんて絶対に無理で、飛行機でも後部座席で沢山の人が前に見え閉ざされた空間だとパニックになる可能性があるので、前の方の席でその空間を認識しない席をいつも希望で伝えます。
以前にやっていた自転車ロ-ドレ-スやパラグライダーは何の囲いもなく、風にさらされ、無限の空間が周りにあるからやっていた....無意識に選んでいたのだと思います。
外ならともかく、囲われた空間はダメ。
それは生き方や自分の個性にもなっています。
なので、今後も囲われた空間や人混みの場には参加しませんのでご了承下さい。


今日は大河のパスポート更新で確実 安心の日本大使館へ。
申請は2日前に私が行って行っていたので、今日は同伴で受け取りで終わり。
後は来週 ストレスかかるネパールのイミグレーションで大河のネパールビザの更新。
最後はサルミラの日本行きビザ申請をオンラインでブッキングしたので、来週 月曜日に申請。
晴れてサルミラのビザが受け取れて私は解放される。
大河の時代には身分制度? 身分差別? 日本人は本当に優遇されているビザ。そのシステムが終わる事を願って。
その後 大河のパスポート更新をお祝いして遊んで来ました。

カトマンズで迎える三度目のこの季節。
今年は雨がほとんど降らず、暑さで汗が流れ、一日に何度もTシャツを替えている。

先日カトマンズは暑くないと書いたが、それは日本の夏に比べれば全然暑く感じないとの意味で、カトマンズにいるのならば今年は暑いが大丈夫。

不安なのは真夏の日本(8月)に今年 帰国する事。
ここカトマンズで感じるに、今年の日本の夏はヤバい。

暑さに慣れていない妻と息子。果たして日本の酷暑に耐えられるのだろうか? それもネパールでは出来ない経験だけど。

地球温暖化は誰もが体感として感じていて、日本程にその影響を感じないネパール。
そういう意味でも今後 住みやすい場所なのかも知れない。

カトマンズの大気汚染は最初の年 2歳だった息子は咳き込んで肺炎になったが、今では咳も出ず皆 住んで慣れてしまった。

世界中でコーヒー農園をサポート、手掛けている三本木さんと1年ぶりにお会いしました。
Coffee Agronomist コーヒー農学者である三本木さんとの繋がりは、6年半後からコーヒー農園をやるであろう人生設計において必然だったのかも知れない.....
多くの日本のコーヒーマンとも繋がりがある三本木さん。
あの「コーヒーを愛し過ぎた男 岩崎 泰三さん」とも繋がりがあるようで、地球温暖化に適応できるネパールは今後注目されるコーヒー産地になる可能性を秘めており、泰三さんも感心を持っているとお聞きした。
言い続ける事。そして続ける事。
いつか泰三さんにネパールでお会いする日が来るだろうし、言い続け、続ける事で繋がっていくんだろうな.....  世界は面白く、不思議で満ちている。


コーヒー農学者の三本木さんとネパールのスタッフ

通称 コーヒーを愛し過ぎた男 岩崎 泰三さん。
A MAN WHO LOVES COFFEE TOO MUCH と自分のお店に描いている言葉は泰三さんへの憧れから。
想いを繋ぐ焙煎士へ。
「あなたから買いたいんです!!」
そう言って頂ける方が私のお客さんになり、また一人、また一人。
別に多くのファンの方が必要なのではなく、流れて行く人は流れ、繋がった希少な方へ想いを繋いでいく。
スーパーマーケット含め何処にでもあるものだから、価値創造が一致した方がお客さんになって頂けたら。
「あなたから買いたい」その答えの為に私はやっています。


スタッフが沢山いるお店では、売上が上がらない時にスタッフへの給料、そもそもその様なお店は賃貸も高いので、オーナーの精神状態は劣悪となり。

私の様な個人経営では売上よりも本人の体力と精神状態に左右され、年に何度かあるフラフラになりながらコーヒーを焙煎している時に実感する「これで生きているんだ....」。
本人がフラフラでも休めないのが個人店。


上振れが期待できるのは上。
上振れは無理だが、何があっても続けられる可能性が高いのは下。
ただし、本人の健康と精神状態に全てかかってくる。

だから、まずは心身の健康!!
売上は二の次。
ただ、経営していける売上は必要なので、自分自身での、自分自身への塩梅のいいマネジメント。

これから生活を大きく変えていくに当たり、「10年間続けられる」為に一番大切な事「心身の健康」。
その為に生活を変えていくことを選んだ。

あと、6年と5カ月で目標の10年。

この6年と5カ月で再度 地震が来ても、ウイルスが来ても大丈夫!   そんなお店が今の形。
あとは、心身の健康が何にも代えがたい。




「ここに来てゆっくりしていってください」がカフェで
「ここではなく、お家でコーヒー飲んでゆっくりしてください」が私のお店の形。
カフェにはなくて、私のお店にあるもの。
それは家族時間です。
それぞれ違った価値観、生活を送っているあなただけの家族。
もう、他人と比較するのはやめませんか!? 
それぞれの家庭には違った形があり、それぞれの時が流れています。

それをコーヒーという空間を介して表現していきたい。
私の家族もまた違う価値観を持っており、生活を通じてそれを発信していきます。

ネパールに住む珈琲家として出来る事。
家族時間とお家コーヒー。
そして比較しない、出来ない生き方を。

ネパールも日本同様に7月、8月が一番暑くなります。
しかし学校でプ-ルのクラスがあるのは5月から6月で、それは6月後半になるとモンスーンの季節になり雨がよく降るから。

だからネパールの夏?は涼しい!!
一番暑くなる時期に雨が降る事で暑さを感じません。

ただ、以前に住んでいたポカラは標高もカトマンズより低いのでより亜熱帯気候に近く、気温も高く、雨もカトマンズより断然 降ります。

突風や雷、大雨で何度も大変な想いをしたポカラでのお店経営..... それがカトマンズに来て一切ない。

ヒマラヤも近く、湖もあり、自然豊かなポカラですが、以外に気候という意味ではカトマンズの方が遥かに過ごし安い!!!それをこの3年間で実感しています。

持ち家を持ちたい人と持ちたくない人。
それはその人にとってストレスが何処にかかるのか?で別れると思う。

持ち家がない事で不安定だと感じるストレスと、持ち家がある事で身動きがとれないストレス。
持ち家がある事で住む場所は確保できるという安心感と、持ち家がない事で自由に動ける安心感。

この場所で10年後も20年後も同じような事をして生きている..... それを安心感と捉えるのか?不自由だと捉えるのか?

自分達がカトマンズ近郊の村に6年間住んだ間でも、今のお店の場所はカトマンズのより良い場所に変わるだろうし、お店の形も毎年変えていくだろう。

今までも変わり続けてきたし、それが出来ない状況下にストレスがある以上 変わっていく事は必然。

全ては変化し続ける。諸行無常はこの世の唯一の心理。

大河が巣立ち、自分も最後の生き場を決めた時。
サルミラが生きていくのに困らない為にも、その時初めてそこに家を建て、その場で人生終盤を送る事になるのだろう。

中学生の頃から聞いていたThe Alfee....

ネパールに来てからは聞かなくなったが、彼等が唯一無二な存在である点。それは立ち止まる事なく、一度も活動を休止する事なく、半世紀50年間 続ける事の意味。その実力と力だろう。

自分が掲げている「カトマンズで10年間続けらるお店」。

お家コーヒーの普及であったり、日本のコーヒー文化の紹介であったり、やっている事は色々あるけれど、続ける事の意味は続けられる実力とお客さんに支えてもらえる力があってこそ。

奇跡の50周年を迎える彼等は70歳。

52歳の自分はまだまだこれからだ!!
久々に眺める5年前の自分....  その中で息子の名前を決めた日 それは生後1カ月半の時。
谷川 大河 (ニックネーム タイガー)
「谷」から流れ出た水が「川」となって、やがて「大」きな「河」となり「世界」に繋がる大海原へ・・・
そんな想いもあってこの名前に決めました。
今から約20年後・・・ 彼は何処の国(環境)を選んで生きていくのでしょうか?!
あれから5年......  家族の一員としてお店には大きくなった大河がいます。


今 本当に久しぶりに5年前の日々に書いていた事を読み、振り返った....

あの後 コロナがやって来て、ほぼ半年間 時間ができた。

数日前にFace bookにも書いたが、あの何にも出来ない、しない日々が自然と自分を変えていったのだと思う。

本当にあの日々は豊かだった。

ビジネス!ビジネス!と唄っていた日々から5年の歳月が過ぎ、今ではこの写真と共に添えた言葉そのものが自分の中での変化を物語っている。

このコロナ下で撮った写真が今の「お家コーヒーの普及」活動に繋がり、それが生業となり生活出来ている。

この5年間での変化の先に、これからの生き方を想い描いて。
5年の時を越えて、この大空ネパール日記を再開!!
ほら、大河もこんなにも大きくなったよ

あんなにも意志強く願ったカトマンズへやって来て早3年と8か月.... 今度はカトマンズ近郊の田舎に移り住みます。

年月と共に想いは変化し続けて、ビジネスマンではなく自営業者として生きている今。
53歳になろうとしている自分は、これから何処に向かって歩んでいくのだろうか?

心身の健康
家族で暮らす豊かな時間
生活していけるだけの収入

それらを追い求め、キルティプルへの移住を決めた事を5年前のここにいる自分達に報告します。

時が動き出しました。


今 間もなく5歳4か月になる大河。

5年前の大河

  
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プロフィール
HN:
kazu
年齢:
53
性別:
男性
誕生日:
1971/09/08
職業:
パラグライダー
趣味:
たそがれ、物想い、静寂、心穏やか、不安、楽しむ
自己紹介:
Kazu
Japan spirits and pride
Professional tandem / Adventure pilot

世界最高峰のヒマラヤ、神の国ネパールで生きていく為に始めた空飛ぶ道具パラグライダーでコマーシャルタンデムをやっています。夢は神の山マチャプチュレへの冒険フライトに挑戦すること。
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