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その人が何処から来たかなど、どうでもいいではないか。 どんな地位にあるか、どんな功績があったのか、どんな血筋を引いているのか、など全くどうでもいいではないか。 ただ、その人の行いを見よ。 今ここに於いて、何をするのかを見よ。 行いが正しく、羞恥があり、身と心を慎んでいるのであれば、その人は生まれがどうあれ、今から高貴な人ではないか。

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2015/05/28 (Thu)
釈迦の教え



< 釈迦が悟ったこと >

釈迦が悟った事とは、「縁起」や「空」といった言葉で表されるものではなく、体感したこの世の真理でした。


人はその人にとって、重要度が下がれば下がる物事ほど、そのものは見えなくなってしまいます。


例えば、赤ちゃんが生まれた母親が、町中を歩いていると、最近 赤ちゃんを多く見かける様に感じる事があります。

しかし実際は以前と同じであり、赤ちゃんという重要度が高いものが自分に存在する事で、ハッキリと周りにそのものが見える様になるからです。

自分にとって重要度の高いものはハッキリと見える。


自分にとって重要度の高いものが見えていて、重要度が低い、重要と感じていないものは見えていない…

人が重要ではないと感じる物事は、実際にそこに在っても見えなくなります。

もしこの世の全てが、その人にとって同じ高い重要度だったのならば、この世の全てがハッキリと見える。


だから自分の目の前に現れているものは全て、自分自身の心(重要度)が創り上げており、重要度のあるものは人それぞれに違うから、目の前に見えている世界もまた人それぞれに違ってきます。



全く我の消えた状態である釈迦が見た世界。それはこの世のあらゆるものの重要度が全て同じ世界!



母親も地球の裏側の人達も動物も虫たちも。そして石や鉛筆さえも。

全てが同じで、自分の赤ちゃんと同じ重要度の世界。


自分にとって、全てが同じ重要度になる事で、この世の全てがハッキリと見え、そこに現れました。

それは即ち、自分自身がハッキリと徹底的に見えた事に繋がります。


重要度が高いもの、低いもの。そこに生まれる拘り(重要度の差)が、それ以外をを見えなくさせ、強いては自分を見えなくさせます。


それを瞑想の中で体感した事が釈迦が悟った事であり、それを周りの人達に説明する為に、言葉として語ったその言葉が「縁起」であり、後代の人達が「空」という言葉を使って、釈迦の悟りを説明しています。


実際に釈迦が悟った事とは、「縁起」でも「空」でもなく、言葉には出来ないこの世の真理。体感したそのものだったのです。


これを言葉で知り、知識として知っている事と、自分で体感する事とでは全く違います。

それを体感する事が悟りになります。
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プロフィール
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kazu
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男性
誕生日:
1971/09/08
職業:
パラグライダー
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たそがれ、物想い、静寂、心穏やか、不安、楽しむ
自己紹介:
Kazu
Japan spirits and pride
Professional tandem / Adventure pilot

世界最高峰のヒマラヤ、神の国ネパールで生きていく為に始めた空飛ぶ道具パラグライダーでコマーシャルタンデムをやっています。夢は神の山マチャプチュレへの冒険フライトに挑戦すること。
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