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その人が何処から来たかなど、どうでもいいではないか。 どんな地位にあるか、どんな功績があったのか、どんな血筋を引いているのか、など全くどうでもいいではないか。 ただ、その人の行いを見よ。 今ここに於いて、何をするのかを見よ。 行いが正しく、羞恥があり、身と心を慎んでいるのであれば、その人は生まれがどうあれ、今から高貴な人ではないか。

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2015/05/23 (Sat)
十二縁起
十二縁起とは、苦が生じ繰り返される連鎖を、12の因果関係で表したもの。


無明=>行=>識=>名識=>六処=>触=>受=>愛=>取=>有=>生=>老死=>無明




無明とは、真理について無智だということです。「無我」なのに、何らかのものを「我」と認識すれば、そのものに執着することとなり、苦の原因になります。認識することが「識」であり、認識しようとする意志を「行」といい、それは無我という真理を知らないから生じます。

無我とは自他一体のことです。それを無視して何らかのものを自分と認識し、他のものを認識すれば、他を認識するための心身のはたらきを認識し(名色)、さらには眼耳鼻舌身意という六つの感覚器官を認識することになります(六入)。他のものと六根が接触(触)することで、他のものを自分の心が感受(受)します。感受とは、他と接触することによって、「快・不快」の感情を起こすことです。快の感情を起こせば、手に入れたい、近づきたいという欲望が生じ、不快の感情を起こせば、手放したい、離れたいという欲望が生じます。この欲望のことを「愛」といいます。

愛とは、キリスト教的な愛とは異なり、貪るような欲望のことです。ペット屋さんで可愛い犬を見て(触)、気に入り(受)、飼いたいと想い(愛)、その気持ちが高まって執着する心が「取」です。自分の欲に執着し、犬に執着し、自他は分離し、自分と他が存在するとみて疑いません。これが「有」です。欲への執着、存在への執着によって心は煩悩に染まり、智慧の眼はふさがれ、真理を観ることはできず、生老病死という苦の世界を輪廻することになります。

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プロフィール
HN:
kazu
年齢:
53
性別:
男性
誕生日:
1971/09/08
職業:
パラグライダー
趣味:
たそがれ、物想い、静寂、心穏やか、不安、楽しむ
自己紹介:
Kazu
Japan spirits and pride
Professional tandem / Adventure pilot

世界最高峰のヒマラヤ、神の国ネパールで生きていく為に始めた空飛ぶ道具パラグライダーでコマーシャルタンデムをやっています。夢は神の山マチャプチュレへの冒険フライトに挑戦すること。
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